8話「温もりはここに」
雨に打たれながら手頃な石で錆びた杭を打ち付ける。まだ何を作ってるのかどうか分からないぐらいの段階だけど、必ず作り上げる。それまで死ねない。いや、君に会うまでにしよう。それも違うな。君と暮らしてからにしよう。延び過ぎだな。それまで体が許してくれるだろうか。無理してるからな。それにしても、
寒いよ。
食料を買う余裕がない。外に出た後の事も考えて食料もある程度必要だ。時間がない。俺は急ぐように廃病院を出た。よく朝ご飯を一緒に食べていたのだが、あの時はしてなかった。いつも君が花言葉とか、廃病院で初めて見たものとかを話してくれたのに。今思えばあの時間がどれほど貴重だったか分かるよ。
俺は馬鹿だ。ああ、もう。また言ってしまった。ここに咲いている花の花言葉を、教えて欲しいな。
この工事現場に来るのは3回目だ。そろそろ見つけないとまずい。というのも、さっき街中にいて気付いたのだが、保安官が君の行方を探しているようだ。有名人だからすぐに誰かが気付いたのだろうか。焦燥に駆られて俺は工場の周りを探した。気が付かなかったが、ふと上を見上げると、高くそびえる電柱がある。ここを登れば行けるのではないか?資材を足場にして電柱に軽く足を掛ける。この調子なら登れそうだ。少し登ってみる。塀が段々と低くなって行く。
建設中の建物には保安官がいた。驚いて息を潜めたが、数体いる保安官は全員動きを止めている。フェイクか?工事現場を装っている様だ。俺は電柱を途中で降りて、中に入る術を見つけた事に強い喜びを覚えた。
この電柱が、俺たちの希望だ。
家に帰ると、君がいた。
「おかえりなさい」
「……ただいま」
君は顔を少し俯けている。料理をしようとしていたみたいだ。奇しくも、あの時と同じ状況だ。
「今日は早いのね」
「ああ。もう、終わったからさ。これからだ」
「終わった……?」
俺は、その時、君に言う事にした。全て。今まで言わなかったのは、不安にさせたくなかったんだ。でも、それが返って君の心を辛くさせたんだ。
「あのさ!」
君は突然、冴えない顔を無くし、俺に向き合う。
「まだ、朝ご飯食べてないでしょ? 食べようよ! 一緒にさ!」
気を遣ってるんだな。ごめん。俺のせいなのにさ。
「料理、練習したんだよ?」
俺も自然に笑顔になる。料理、練習してたんだ。本当に、悪い事したな。
「食べようか」
美味しい君の料理を口に運ぶ。酒場の喧騒とは打って変わっての食事だ。いつもの朝食。でもさ、不安を隠して食べてた以前より今の方が寄り添えている気がするよ。
温もりを感じるスープ。こういう身近な幸せが欲しかったんだ。
朝食を食べ終わり、ロビーの椅子に腰掛ける。隣には君がいる。君がいた。今の状況は言いたくない。もういいだろ?これは昔の話なんだ。今は関係ない。関係ないよ。
「この桜草、プリムラなの」
「そうなんだ」
「信頼よ」
「どう言う事?」
「プリムラの花言葉。恒例行事でしょ」
俺は呆気に取られる。君は申し訳なさそうに笑い、続ける。
「私は、信じるわ。君を。君が私を連れ出したのは君の、覚悟でしょ?おかしいのは分かってるの。でも、どこかで私も、誰かに連れ出して欲しかったのかもしれない。だから、」
俺は、君を抱き締めたくなった。とても、強く。理由は分からない。いや、理由はいらない。でも気付けなかったんだ。その想いの原動力に。
馬鹿馬鹿しい程、君が好きだ。
俺は君を腕で包み込む。君は突然の出来事に言葉を失っている。しばらく、こうしていた。君が、どうしようもない両手をそのままに言う。
「どうしたの?」
君の鼓動だ。君の温度だ。君は、俺が守るんだ。
「俺は馬鹿だ」
「馬鹿じゃなきゃここに私はいないわ」
「ごめん」
「……そればっかり。」
「君に黙って、俺は外への手がかりを探していたんだ」
「そうなんだ……私の為に?」
「君と一緒に外に出たい。いや、出よう」
「手がかりは見つかったの?」
「手がかりなんかじゃない。出口を見つけた」
「そうなんだ。いつ出るの?」
「……明日」
「分かったわ。じゃあ、今日の朝食は最後って事ね!」
「美味しかったよ」
「ありがとう」
君がそっと俺に腕を回す。俺たちはお互いの鼓動を感じ、自らの呼吸に心を溶かした。君の桜草は、俺の目から涙を引き出した。
温もりはここにある。
君が寝息を立てるのを確認して、俺はガイガーに向かった。別れの挨拶だ。俺は明日、旅立つ。ああ、もう今日じゃないか。夜が明ける前に、この壁から出るんだ。酒場には人がほとんどいない。飲んだくれですら職務質問は面倒臭いんだろうな。
「こんにちは。菊さん」
「こんばんはの間違いでしょ?莉桜斗」
「閉店の準備してますよね」
「当たり前じゃない。あんたに酒は出さないわ」
「今日は飲みに来た訳じゃありません」
菊さんは、動きを止める。
「俺は、この『世界』を出ます」
「……見つけたんだ」
「はい」
「そっか……」
沈黙。お互いがお互いの足元を見つめていた。蛇口から水が垂れ、シンクにぶつかる音が耳に届く。
「あのさ」
菊さんが口を開く。が、言い淀んで続きを吐かない。
「菊さん。今まで、お世話になりました。外に出る為に、俺はこの酒場に訪れました。ですが、いつしか、俺はどこかでこの酒場を純粋に楽しんでいました」
「嬉しいね」
「菊さんが彼らを紹介してくださらなければ、俺は辿り着けませんでした」
「私も……楽しかったよ。あんたと話してて」
「はい」
菊さんは浮かない顔をしている。複雑なのだろう。俺は、パーカーのポケットから花の髪飾りを取り出した。
「これは、お礼です。黄色のマーガレット。菊さんの髪に、似合うかなって」
「花の髪飾りだなんて高いもの……いいの?」
「いいんです」
菊さんは長く白い髪をさすり、慣れた手つきで髪飾りをつける。黄金色の瞳とマーガレットの黄色がそっくりで、白によく似合う。
「ありがとう」
酒場で客にやるような元気な笑顔ではなく、とても優しい顔をする。こんな表情もするのかと胸が締め付けられた。菊さんはこの『世界』で幸せにやっているんだ。皆、外に出たい訳じゃない。出なくても十分なんだ。美しさは、あのスープのように傍に寄り添っている。
菊さんは元気なこの酒場が好きなんだ。優しさは、菊さんが見せない、弱さなのかもしれない。
「大切にするね」
菊さんの瞳を見つめる。黄金色が君の面影を誘った。俺が手を引く前の君の顔と重なる。俺は、菊さんの手を掴んだ。衝動だ。あの時が蘇ってしまった。菊さんの驚く顔を見て、我に返る。すぐさま俺は、掴んだ手を握手に変えた。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
菊さんは、先程の行動には触れず、元の元気な笑顔を見せた。
「行ってきな! もし、辛くなったらさ……待ってるからさ! 気が向いたら、ガイガーに帰ってきな!」
「……はい。必ず、帰ります」
そう言って、手を離す。お互いに頷き、俺は酒場を発つ。ドアベルが揺れ、音を鳴らした。綺麗な音だ。初めて聞いたような気がした。
水商売だからなのか。菊さんの手は、水のように冷たかった。俺の手の温度が、吸い込まれていくようだった。今の俺の手は、温もりを探している。
私は外へ行く道を探し、『ガイガー』に辿り着いた。そこの女将の菊さんと話をしていく内に菊さんが君を知っている事に気付いたの。菊さんは、閉店後に店の前で待つように言った。
菊さんが店を締めて出てきた。
「あんた、もしかしてあの子の言ってた女の子?」
「あの子......?」
「莉桜斗よ。知らないなら、いいのだけれど」
やっぱり、君の事だった。
「......知ってます。彼と一緒に居ました」
「そう......あなた、路春さんよね?」
「はい」
「あの子......有名じゃない。路春 桜なんて。あんたの名前、知らなかったのよ。あの子は」
「私もさっきまで知りませんでした」
「お互い名前も知らないのに、あの子......妬いちゃうな。本当に」
「あの、彼を知っているんですか?」
「ねぇ、何でここにいるの?」
その声は強く私の胸に響いた。
「何でって......」
「あの子......あんなに熱心にあんたを外に連れていきたいって言ってたのに、あの子、あんたを置いて行ったのね」
「そういうわけじゃ、」
「私が馬鹿みたいじゃない......」
「そんな事......」
「......あんたの店で買ったこの花の髪飾り、とても綺麗よ。マーガレットは、信頼を意味するわ。でも、もう私には必要なさそうね」
「私は......」
「あの子は行ってしまったのね?」
「......はい」
「あなたを置いて」
「違います!」
違う。置いて行ったんじゃない。君は、私をかばったんでしょ?
「あんたはここにいるじゃない。何が違うの?」
「......私は外から戻ってきたんです」
「......詳しく聞かせて」
「私、彼と一緒にここを出ました。私達は外の世界に出て、でも彼が戻れって言うから......私、戻ってきちゃいました。だから、その、私、何であの時彼と一緒にいなかったんだろうって後悔してるの。謝りたいの。もう一度会って、今度は側にいたいの」
「馬鹿ね......あの子」
「でも、これって置いてかれたって、事になりますかね?」
「あんたも馬鹿よ。そんなわけないじゃない」
「そう......ですか」
「あんたは、その時何も言わなかったの?」
「はい......」
「私と似てるわ」
「え?」
「......外にあの子がいってしまう。もう帰ってこないかもしれないのに、自分勝手かもしれないけど、私止めたかった。死ぬかもしれない。だけど、何も、言えなかったの」
「何も......」
菊さんは自分の髪飾りを外して、私に握らせた。
「私は、緩衣 菊。覚えていて。この髪飾り、あんたに渡すわ。私には必要ないってさっき言ったからではないの。あなたに、託すわ。私の気持ちを。私の言えなかった言葉を」
菊さんの握る手は細かく震えていた。
「どこかの女将さんが、あなたの事、好きだったよ、大好きだったよって・・・あの子に会ったらそう言って」
「菊......さん」
「信頼するわ。あなたを」
菊さんは、君の事が好きだったみたい。私は、私は。
「はい」
「はいっ! さっさと行きな! あの子は、あなたの事きっと待ってるわ!」
菊さんは私の肩を掴み出口の扉へ体を向かせた。
菊さんが後ろから小さく、力強く囁いた。
「必ず会いな。これは約束だ。絶対、絶対に会うんだ」
「はい」
「ごめんなさい......もう少し、このままでいてくれる?」
菊さんのすすり泣く声が微かに聞こえる。私達はしばらくそのままだった。私は菊さんの手に触れ、確かな声で伝える。
「彼に会います。ちゃんと伝えます」
菊さんの声は普段とは異なり、弱々しかった。
「私は、あなたみたいに強くなれない。目の前の、身近にある美しさで、満足しているの。あの子の心とか、決意が、私の心を満たしてた。あの子は、私にとって何よりも美しかったの」
「私は......私は......分からない。彼に会いたいと思うけど、彼には謝る事しかできないと思う。」
「それでもいいわ。彼、それでも喜ぶと思う。単純だもの」
「そうですね」
菊さんは私の肩から手を離し、取り繕うように笑顔になった。
「行ってきな!もし、辛くなったらさ......待ってるからさ!気が向いたら、ガイガーに帰ってきな!」
「......帰ってこないと思います」
「そんな事......分かってるの。それでも待つわ。じゃあ、もう行かなきゃ」
菊さんの背中を私は見送る事しか出来なかった。




