6話「忘れない」
ああ、手首に紫色の痣がある。毒は静かに俺を蝕んでいるという事か。長くないな。朝起きて、腹を満たし、こうやって昔に逃げて、眠る。俺は馬鹿だ。ああ、これが口癖になっている気がする。
きちんと品は用意した。保安官にもバレていない。だが俺もそろそろ保安官に監視されそうだ。下手な事はできない。
「用意したよ」
コペルニクスが美術品に興味津々だ。
「ねぇねぇ。これとっても綺麗だね! わーい! これ僕たちのなの? わーい! 僕たちのものだ!」
ガリレオは怪訝な顔をする。
「まだ決まってねぇだろ。さっさと査定しろ。俺も忙しいんだ」
コペルニクスとガリレオは俺が用意した美術品の査定を始める。俺はその場でどうしていいか分からず、緊張していた。と、そこに少し恰幅の良いハップルが声をかけてきた。
「座りなよ」
椅子と机。見るからに高そうだ。俺は恐る恐る座る。
「お菓子、いる?」
ハップルは未開封のお菓子が入った袋を出した。
「毒入ってます?」
「用心深いな。嫌いじゃないよそういうの。入ってるかどうか、確かめる?」
ハップルはその袋を開け、お菓子を一つ、口に運んだ。俺もそれを見てお菓子をつまむ。美味しかった。単純に、甘い。
「美味しいです」
「そうかい?うちの工場の自慢の一品さ!」
「工場を営んでるんですか?」
「あぁ。そうさ。工場をいくつも持ってる。この『世界』の工場地帯は自分の庭みたいなものだ」
「それは凄い」
「……興味ある?」
「ありますけど、いまいちイメージが掴めなくて」
「僕、実はそんな凄くなかったりするのかな?」
ケプラーが横からお菓子をつまむ。
「そんな事はありません。ハップルさんの経営能力はガリレオさん以外の誰にも負けませんよ」
「ありがとうケプラー君……」
ケプラーは俺より無愛想だが切れ者みたいだ。ガリレオに対して忠誠心を持ってるし、右腕のような存在なのか?ハップルはケプラーを指して紹介する。
「改めて、こちら。ケプラー君。本を沢山読んでる。だから本の事なら知識量は膨大だよ。雑学とかも沢山知ってる。礼儀正しいやつだがその分頭が堅い」
ケプラーはムッとしている。そりゃ遠回しに馬鹿にされたらムッとするだろう。仕返しかのようにケプラーはハップルを指して紹介する。
「改めて、こちら。ハップルさん。いくつもの工場を所有して経営してる偉い方で、製図、まぁ主にこの『世界』の地図を作るのが得意です。多少腹が出てますが、一応運動は出来ます」
一応。中々ケプラーも言うなぁ。ハップルは腹を叩いている。大人の余裕というやつか。ケプラー、残念。
と、査定が終わった。
情報料金の20000には到達、どころか少し余ったみたいだ。本当にきちんと査定しているようだ。余った分は返された。犯罪者と呼ばれるにしては律儀である事に驚いたが、同時に父親がこれほど価値のある美術品を保有していた事に罪悪感を覚えた。
査定結果を見ている間にコペルニクスが残ったお菓子を全て画材として持っていった。食べる訳ではないのか。
「じゃあ情報を話そうか」
ガリレオは腰を下ろした。人間の椅子だ。
「外に繋がる場所は工業地帯にある。この『世界』は住居地帯、医療・福祉地帯、工業地帯に分かれているのは知ってるだろ?」
「はい」
「工業地帯と住居地帯が隣り合う場所の近くに大規模工事を行っている場所がある。表面上は大型発電所の建設らしいがそれは建前だ。あそこは上に行く為のエスカレーターなんだよ」
「上……?」
「この『世界』の空の上さ」
「なるほど」
「発電所は立ち入り禁止だ。高い塀に囲まれて入れない」
「入るには?」
「……自分で考えろ」
「わかった。その場所に行って、中に入ればいいんだな?」
「ご名答」
「その場所について詳しく知りたい」
「ハップル。教えてやれ」
ハップルは短く礼をすると大きな地図を取り出した。工業地帯の地図だ。俺は素人だが、見るからに精巧だと分かる。ハップルに詳しい位置を教えてもらい、俺は現地に下見に行く事になった。
「お前、覚悟はあるのか?」
ガリレオは最後に釘を刺してきた。
「ある」
「たとえそれで、命を失おうとも?」
「構わない」
「お前が外に出たところで、何も変わらないぞ?この『世界』は」
「『世界』を変えたくて出る訳じゃない」
「外に行ったところで、何も良い事なんかないぞ」
急に声色が変わったような気がした。ガリレオは何を知っているんだ?
「俺は、彼女を外に出したいと思ってる。彼女の為だ」
ガリレオは短く笑った。俯き、なお笑っている。周りの人も笑っている。
「お前は、とんでもねぇ馬鹿だな!」
ガリレオの言葉をきっかけに辺りは犯罪者達の笑いに包まれた。
「お前、その彼女の為に、全てをかけたってのか?」
「そうだ。彼女は綺麗だ。俺は、彼女の願いを、勝手だけど叶えたいと思ってる。忘れられないような美しさを、外に出て見せたい」
「彼女へのプレゼントみてぇな甘い考えは嫌いだ」
「これはプレゼントじゃない。彼女の意思だ。俺は、その意思を叶えたいんだ」
「……おもしれぇな。お前」
ガリレオは顎に手を当てた。
「忘れられないような、ねぇ。……案外呆気なく忘れちまうもんだよ」
ガリレオは俺をじっと見つめ、諭すように言う。
「どういう事だ?」
「知らなくて良い。お前にはまだ早い。…...馬鹿には早いさ」
子供扱いかよ。
「彼女の為とか、綺麗なものを見せたいとか、そんな非合理的な理由で外に出ると後悔するぞ」
実際、後悔してる。いや、それは違うか。君と一緒にいたら後悔なんかしなかった。目的である君を返してしまったから、何もないんだ。
「俺は、忘れません」
ガリレオは額に手を当て目を細める。
「俺も、忘れないさ」
俺とガリレオは、何を忘れないのか言っていない。多分違う事だと思う。ガリレオは乾いた笑いで肩を上げた。
「何も分かってねぇくせに忘れません、じゃねぇよ」
ガリレオは俺の肩を叩き、傍でそっと囁いた。
「失って初めて気付けるぞ。大切なもんってのは」
その時は意味が分からなかったが、なるほど、こういう事か。俺は君という存在を失って、初めて君への愛に気付けた。既に時は遅いというのに、こんなにも感情は膨れ上がる。ああ、また血だ。
俺は示された通りに工事現場に向かった。当たりだ。情報は本物だ。確かに大型発電所が完成予定と書いてある。しかし、塀が高い。中の様子が分かりづらく、ここからだと建物の頭しか見えない。この塀を越える方法を、考えろってわけか。
俺は辺りを見回す。障害物はほとんどない。あっても資材が積まれているだけだ。塀を越える手段には成り得ない。しかも妙に保安官の姿が目に付く。警備が厳重だな。正面の扉が工事関係者の入り口のようだが、正面から入るのは無謀だ。今日はこれ以上の情報は望めないと切り上げ、廃病院に帰った。
俺は、忘れないよ。この『世界』を。あの花屋も、この廃病院も全部綺麗だった。外の美しさがそれに勝ると信じているから。確かに勝った。圧勝だよ。笑えるな。魚の骨は笑ってくれない。
現地を視察した。当たりだった。騙されていたらどうしようかと思ったが、あいつらの警備が異様に厳重だ。今まで見た事のない姿のやつもいる。あそこだ。だが正面からじゃ入れそうにない。ここから抜け出せる。そう思えただけで気が楽になった。




