3話「手の痛み」
私は君がまだこの『世界』にいる気がしてなりません。君がお店に来るようになってから、あの出来事があるまで、あっという間のような気がして。
私は花に囲まれていた。今は、埃に囲まれたこの病院で暮らしてます。君といた、ここで。初めて出会った時、君は理論好きで無愛想な人だと思った。私の店の前で騒ぎがあって、私があそこで止めにいかなければ、この狭い『世界』の中、私たちは『他人』でいられたのでしょう。君があそこで私に言った事。あの広い空と青々とした水、見た事もない植物、新しい『世界』に踏み込んだ君は私を遠ざけた。
「君は、ここに来ちゃいけない」
訳が分からないよ。私は、私は、君のせいでこんな気持ちになっているんだよ?勝手に連れ出して、勝手に外を垣間見せて、勝手に去って。私は今、君の事ばかり考えているの。私があそこで、君と一緒に外に行っていたら、どんなに良かっただろう。私は何も言わずに、何も出来ずに。
扉を、閉めたんだ。
私達は檻に閉じ込められていた。檻の外を見せられて、私は『外の存在』を手に入れた。だけど手に入れたのは空虚だけ。君にあそこへ導かれたはずなのに、君に何も言わず閉ざしたあの瞬間、脳裏に焼き付くあの瞬間が私の犯した最低の罪だ。
泣きそうになる。これは、私の拙い懺悔だ。
君が外に出てから何日経ったかな。私、花屋に戻ろうか迷ったの。でもやめたの。君といた時間を思い出すから。それが辛くて、悲しい事は分かっているの。でも愛しくて、離したくないの。君の部屋はどこにあるのかな。そういえば行った事がなかった。
もう何度思い出した事だろう。あの騒ぎに足早に向かった私は君に出会った。服は襟が曲がったワイシャツ、膝の部分が色褪せたジーンズ。酒場で良く見かける工事の人に似てる。君は保安官と君の発言について揉めていたみたいだから、私は咄嗟に言い訳してその場をやり過ごした。何て言ったかな。一生懸命だったから覚えてないや。お店の人たちも心配してたし、ここでガツンと言わなきゃ。
「お店の前で騒ぎを起こさないで」
うーん。やっぱり慣れないな。あんまり怒った事ないからかな。
「ごめん」
何だ。素直に謝るんだ。印象とは違ってちょっと面白い。
「別にいいの。そこまで迷惑じゃないから。お花、見にきます?」
中途半端に敬語になっちゃった。自分が嫌になる。恥ずかしくなって君に背中を向ける。君の返事がない。私のお店、もしかして知らないのかな?
「私のお店、知ってます?」
君の間の抜けた顔。口が半開きで、目をぱちくりさせている。その顔がおかしくって、耐えきれなくなった。
「何て顔してるの。ついてきて。私の自慢のお花を見せてあげるわ。見た事もないようなものばかりよ」
今度は上手く喋れた。やった。私は花屋に意気揚々と向かった。
「ようこそ! 私の居場所よ!」
そう。ここは私の居場所。私が求めた美しさにいつも彩られている。
お花は、裏切らない。その美しさは刹那的だけど、それが人間の魅力によく似ている。このお店に来る人は多種多様でとても楽しい。レジに行って来店客数のチェックカウンターの数値を一つ押す。あ、ちょうど1000人だ。君が1000人目。チェックカウンターを設置したのは私の一つの楽しみってだけ。
私はハーバリウムを君に渡す。気に入ってくれたみたいで嬉しいわ。でも名前を覚えていないのはダメだよ。ハーバリウム。覚えてね。照明も買ってくれたら良かったのに。
君が考えた髪飾り、とても売れてるわ。おかげで女性のお客さんも増えたの前より人が多くて大変大変。見て欲しかったな。この景色。
あの時、君は私の手を引っ張った。手の痛み、今でも覚えているよ。不思議と嫌じゃなかったの。何でかな。君が住んでた廃病院、初めは見た事ない景色だらけで、輝いて見えたけど。今じゃ懐かしく、どこか悲しく見えるの。この建物も、誰かに忘れられて悲しんでるのかな。
「君が言ってた外って、何?」
「この『世界』の壁の向こう側さ」
「本で読んだことあるけど、本当にあるの?」
「分からないけど……その本の内容、教えてくれる?」
「なんか、とても綺麗な場所だって。天国みたいって」
「この花屋だって天国だよ」
「えぇ?それって……ジョーク?」
「褒め言葉」
「ありがとう。……行ってみたいな。私」
言わなきゃ良かった。
「俺もだ」
君はどこにいるの。
「え…何か、私、変?」
「……綺麗だ」
「いいなぁ……桜草が頭に咲いてる」
やっぱり、花は美しい。
「ありがとう……大切にするね」
私は今もこの髪飾りを付けてる。大切にしてるよ。
君はたまに訳が分からない事をする。私の手を引っ張った時も、同じだよ。分からなかったけど、あの花屋にずっといた事が夢のように思えて、醒めたようだった。突然、ここに連れてこられたけど、不思議と怒りは湧いてこなかった。嬉しいな。君と何気なく話す場所が私の家から君の家になっただけですもの。
今、この廃病院が私の居場所。君が置いていったハーバリウムは、窓際に置かれ、太陽に照らされている。照明がいらないっていったのはこういう訳だったのね。でも、これだと色褪せちゃうわ。ほら、行った通り、色が落ちた花がオイルに揺られ浮いている。
蓋に埃が積もったハーバリウムは、私の花屋が夢だった事を許してくれない。私が君にあげた花は、君を奪った。
突然連れてきたのに、君はここにずっと居た。どうしてとかなんでとか、君なら言うと思ったけど。君は笑ってここを楽しんでいた。申し訳なくなる。
やっぱり俺は馬鹿だ。何も考えていない。どうやって外に出るかも知らないでこんな事して。やっぱり君はあそこにいるべきだ。君の笑顔は俺には届かない。




