2話「衝動」
話の続きだけど、この筒はハーバリウムっていうらしいんだ。君は筒の下に照明を入れると花が照らされて綺麗だよと教えてくれたが、お金が無いせいで君の流れるような商売には付き合えない。まだ照明は良いかな。そんなにしょんぼりしなくても良いのに。
保安官の就寝時刻を知らせるインフォメーションが俺の住処である廃病院に響き渡る。太陽はその光を弱め、『世界』はいつものように静寂と共に眠る。夜と呼ばれるその時間、人々はほとんど活動しない。もし出歩いたら保安官に職務質問される事は確実だろうから、面倒な事になる。でも俺は、夜が好きだ。この空間は非日常感がある。
一人になる事は嫌いじゃない。静寂が心の荒さを取り除いてくれるからだ。夜の散歩は俺の嗜みでもある。庶民なりに工夫しているつもりだ。上流階級の方々は高いお酒やら食品やら美術品でさぞ身体の様々な部位が肥えていらっしゃるだろう。
君はあの花屋で眠っているのだろうか。花に囲まれて。それにしても、この胸の締め付けは何を意味しているのだろうか。日記でも書こうかな。そう思い、俺は煤けたノートを取り出して日記を書く事にした。ああ、そういえばあそこに日記を置きっ放しだったな。しまった。読まれたりしないだろうか。恥ずかしい本音しか書かなかったからな。君が読んだら、照れるような事ばかりだよ。
俺はあの出会いの後もふらっと花屋に立ち寄った。常連にも顔が知られるぐらいになった。でも何だよ1000君って。もうちょいマシな名前があるだろ。俺には芽亜 莉桜斗って名前があるんだぞ。めありおと。そういえば、俺の名前、君に伝えた事あったっけ?あるよね、流石に。君の名前は知らないけど。ごめんね、有名人なのに。そういうのに疎くてさ。
それにしても、俺が住んでた廃病院は埃っぽい場所だ。元々は父が営んでた病院でさ。中々大きな病院だよ。肝心の父は、保安官に排除されたけど。母は俺が物心ついた時からいない。何故かは知らないよ。この壁の外にいるかもって思ってる。だから俺は、この壁の向こう側を知りたかったんだよ。なんでこんな事を思い出したのだろうか。
花屋が休みの日だとは知らずに俺はいつものように立ち寄った。君は働いてる時とは服が違うんだね。綺麗だ。そうやって褒めたら軽くお礼を言って顔を隠す君。そういう君を見て俺まで照れてしまう。何やってるんだ俺たちは。
デニム生地のオーバーオールが干してある部屋。君の生活してる空間だ。プラスチックの椅子に座って、俺は落ち着きがなかった。ごめんね?お手洗いの場所が分からなくて君のクローゼットを開けてしまった事。顔を赤らめて睨むのも無理はないよ。女の子のクローゼットを開けるなんて許されるわけないからね。そうそう、君が料理を作ってくれるって言った時は嬉しかったけど、今思えば有名人と食事だなんて俺は幸せ者なんだなと実感する。と言っても、今は誰もいないこの大地で雨宿りをしているわけだが。これが幸せなら、俺は今すぐにでも死にたいね。
ああ、君の言葉をこんなにも覚えてる。君の仕草をこんなにも覚えてる。呪文のように言ってる気がするけど、俺って本当に情けないよな。
俺がこんな後悔を持ってしまったのも、全てはあの日からなんだ。俺の最低な罪の種はあそこで撒かれ、今こうして花を咲かせている。表現が皮肉だな。言ってて自分で辛くなった。あの日、俺は君の家で君の自慢の紅茶を片手に話してた。そう。ふと君が言った言葉で歯車が狂った。
「君が言ってた外って、何?」
「この『世界』の壁の向こう側さ」
「本で読んだことあるけど、本当にあるの?」
「分からないけど……その本の内容、教えてくれる?」
「なんか、とても綺麗な場所だって。天国みたいって」
「この花屋だって天国だよ」
「えぇ? それって……ジョーク?」
「褒め言葉」
「ありがとう」
いつの間に俺たちはこんなにも仲良くなったのだろうか。過程を覚えていない。君の魅力かもしれないし、単に花が好きな者同士ってだけかもしれない。
「行ってみたいな。私」
「俺もだ」
この後の沈黙は妙に長く感じられた。
「私ね」
君が呟く。
「......何?」
「綺麗なものが好きなの」
「おねだり?」
「違うよ。私が花屋をやってる理由」
「ああ、そっちね」
「どっちよ?」
「何でもない」
「あなたは働いてるの?」
「一応な。ちょい失礼じゃないか?」
「ごめんなさい」
笑う君。憎めないな、全く。
「俺は中古品を売る仕事をしてるよ」
「主に何を?」
「そりゃ…...色々だよ」
「いろいろ」
「絵の具とか、未使用の注射器とか、写真立てとか」
「へぇー」
「流石に美術品は扱ってないが」
「そう。残念」
「あ、でもさ」
俺はポケットに入れていた売り物の髪どめをいくつか取り出した。
「これ」
「髪どめが美術品だなんて、素敵な感性をお持ちで」
「違うよ。君を馬鹿にしたわけじゃない。この髪どめに飾りとして君の店の花をつけるんだ。どうだ?」
君は少し考え込んだ。
「そうね。良いかもしれないわ」
「だろ? という事で、この髪どめ買ってくれないかな?」
「何だそういう事?」
「もちろんタダな訳ないだろ?」
「商売上手ね」
「お互い様って事で」
「面白いと思うわ。売れると思う」
君は少し歩くと、机から花を取り出した。接着剤で髪どめにその花をつける。
「ドライフラワーをこんな感じでつければ、良いかしら」
そこにはとても綺麗な青みがかった花の髪飾り。
「綺麗だ」
「そうね」
「この花、なんて名前?」
「桜草よ」
「ふーん」
俺はその髪飾りをとって、君に付ける。
「えっ、ちょっと何?」
君の紫の髪に映える花。君は気になったのか姿鏡に向かう。君は鏡を覗くと途端に笑みをこぼした。
「可愛い!」
俺の方を向き、頭についた花を指で触る。
「素敵ね! 絶対売れるわ! ありがとう!」
とびきりの笑顔。俺は苦しくなった。眩しすぎる。ああ、そうだ。あの時に俺は初めて君の目を見たんだ。気付かなかったけど、綺麗な黄金色をしているんだね。吸い込まれてしまって、俺は思わず凝視してしまった。
「え…...何か、私、変?」
「……綺麗だ」
「いいなぁ……桜草が頭に咲いてる」
鏡を眺める君を、鏡越しに見ていた。
「ありがとう……大切にするね」
明らかに上機嫌な君を見て、俺は君の言葉がよぎった。
『行ってみたいな。私』
ああ、君をこんな『世界』に置くなんて勿体無い。君が言うように綺麗な場所なら、君はそこにいる方が、よっぽど良い。君は綺麗なものが好きだから、外に行ったらきっとこうやってはしゃいでる。そんな君と一緒にいられたら。
俺は何かを言おうとした。でもどこかで、何かを恐れた。保安官なのか、自分なのか、この時間なのか。
俺は、君の手を無言で引っ張った。飲みかけの紅茶も、植木鉢に入った花々も、君の気持ちも置いて、俺は君の手を引いて無我夢中で走った。これはあれだ。あの言葉がふさわしい。
衝動だ。
気が付くと俺は君を廃病院に連れてきていた。しまった。やってしまった。立派な誘拐だ。君も訳がわからないはずだ。怒るのは目に見えていた。君はずっと痛いと言っていたのにそれに気付けずにいた。でも、何故か、君を連れて行かなきゃならない気がした。君は息を切らしながら乱れた髪を耳にかける。上目で俺を見て、服の汚れを払った。
「こんな場所あったのね」
意外な言葉が俺の胸に届いた。君は、怒らなかった。むしろ楽しんでいるように見える。いやそれは都合が良すぎるな。衝動は時に幸運を運んでくる。でも今思えば、その幸運は仮初に過ぎなかった。俺は馬鹿だ。何も考えていない。
廃病院の埃を眺め、亀裂の入ったガラスを指で弾き、点滅する蛍光灯に手を振って君はここを見て回る。日記に書いたんだけど、その時の俺は何かを忘れていた気がしていた。今なら分かるさ。
あの衝動は、君に対する純粋な恋なんだ。自分の率直な気持ちを、忘れていた。大きくなる君への想いに独りになってやっと気付いた。
ああ、ため息が出るよ。さて、空腹が近付いてきた。魚でも獲ろうかな。
一人になる事は嫌いじゃない。だなんて、大嘘だ。
君の手を引いて来てしまった。君の前で言おうとした。あいつらを恐れてしまった。俺は何も言えなかった。自然に手が出て、気付いたら手を繋いで俺は君を連れ出していた。痛いって言ってるのすら気付けなかった。
俺は馬鹿だ。でも、なぜか君を連れていかなきゃならない気がした。だからかもしれない。俺は今まで何かを忘れていた気がする。




