11話「悲哀の英雄」
扉に手を掛ける。君は固唾を飲んでその先を見据えていた。
「緊張してる?」
君はドアノブを見つめている。
「聞いてる?」
君はハッとして慌てた。
「ごっごめん。話聞いてなかった」
「緊張してるね」
「うん……新しいものって怖いじゃない?」
「そうかな……でも廃病院は気に入ってたじゃないか」
「それは、そうだな…...何でだろう」
「……ここまで来たね」
「うん」
「開けるよ?」
扉が開く。もうすぐ、美しさが目の前に現れる。光が一瞬視界を奪う。風の音が耳を撫でる。扉は重々しい音を立て、開け放たれた。
そこには、今までが閉鎖されていると強く思えるほどに解放的な空間があった。植物が『世界』とは比べ物にならない程多く存在する。見た事もない植物もある。地面は緑と茶が混ざった様な短い草が生え、目の前には水がとてつもなく広く敷き詰められている。その青、いや、貯水槽の青よりも綺麗な、蒼だ。その蒼は空のものだと気付いた。空は高く、広く、華やかで、荘厳だ。蒼い空が胸に透き通る。風は暖かく、微かに湿り気を感じる。殺人的なまでに美しい。
君は、横で、笑って泣いている。言葉はこの場では下劣そのものに思えた。だが、俺は口を開いた。
「凄いな」
短く発した言葉は震えていた。
「ええ。……とても、とても凄いわ」
明るい光は『世界』とは異なっていた。どこか暖かくて、優しい。調和がそこにはあった。俺たちは肩を抱き合った。同時に、俺はこの場所が危険である事に気付いた。
遠くの空から何かが近付いてくる。黒い綿状の物体が空に浮遊している。ガリレオが言っていた、『まずい奴』に特徴が似ている。それに、荷物は最低限である為、君にきちんとした装備を渡す事が出来ない。知らない事も多い。正直、問題は山積みだ。目の前の美しさに時間を奪われていた俺は、そんな事を考えた。
罪を犯したのは、その時なんだ。
私は君の隣で、この景色を眺めていた。全ての時間が止まって見える。何もかもが美しく、輝いている。驚きの連続、未知の発見。私は美しさの極致にいた。あの時が、一番幸せだったな。今は、君の隣じゃなくて、面影を追いかけているだけなのに。ごめんなさい。
「君は、ここに来ちゃいけない」
「……え?」
「君は、あの場所へ、帰るべきだ」
何も言えない。どうして。
「君と、共には行けない」
「……分かった」
何も分かってない。私は、あの時君と一緒に行きたいとせがめば良かったんだ。私は、君に背を向けて、扉に向かう。扉に手を掛ける。涙が出て来た。どうして。どうして君はいつも突然なの。君は私の気持ちも知らないで、君は馬鹿だよ。扉を開けて、君に顔を見せずに静かに、『世界』へ戻った。
罪を犯したのは、その時なんだ。
走った。何故かは分からなかった。でもどうしようもない気持ちは内から溢れて来て、暴れていた。私を花屋から連れ出してくれた。私を夜の空間に誘ってくれた。私に外を見せてくれた。君は、私にとってヒーローなのに、君は、誰よりも凄い人なのに、どうしてあんなにも悲しい顔をするの?どうしてなの?
君の、名前を聞いてないよ。君を知らないまま、君と離れてしまったの。君が、何であんな事を言ったのか、分からないよ。私の桜草は、枯れてないのに。苦しいよ。息が切れて、足が鈍る。保安官が目の前にいる。真黒の姿をした、見た事もない個体。恐怖だった。
「だ、誰?」
「分からない」
「分からない?」
「あなた達が、分からない」
「あなたは、誰?」
「私は、『ドミネーション』。保安官を統べる者。『世界』を統べる者」
「聞いた事ないわ」
「彼はどうしてあなたをここに戻した?」
「分からないよ」
「だが、現にあなたは今ここにいる。共に行くはずではなかったのか?」
「分からないよ!」
つい、声を荒げてしまった。
「あなたは、悲しい」
私の顔にドミネーションは手を添えた。その手は他の保安官と違い、人間の様な優しさがあった。手は金属らしく、冷たい。
「あなたには、美しい、心がある。」
「心......?」
「その心が、欲しい」
一瞬恐怖したが、その言い方は子供の様な純粋さを帯びていた。
「私の心をあなたにあげる事は出来ないの」
「私は機械です。皆様の生活に全てを捧げます。あなた達は生きる美しさに気付いていない。美しさを求めるあなた達が、私にとって最も美しく思えるというのに。私には、現在エラーが発生している。人間の美しさを求める行動に影響され、歪みが生じています。それでも、美しさが欲しい」
「あなたも、美しいものが見たいの?」
「これはバグです。削除します」
「そんな事しなくていい」
この保安官は、私と同じだ。『分からない』に潰されてしまいそうで、今も自分すら分からない。
「あなたは、人間になろうとしてるの」
「私は機械です」
「違うわ」
「私は、この『世界』を統べる者。あなた達の為に、美しく、危険な外の存在から保護している」
「危険なの?」
「はい」
「そんな…...彼は、私をかばったって言うの?」
「私には分かりません」
頭が真っ白だ。
「私は美を求めてしまった。役目との矛盾を起こし、深刻なエラーが発生しています」
「人間は、矛盾の中で生きていくの」
「私の機械の体は、その事象に耐えられない。私は、機械ですから」
彼の元へ、戻る事は出来た。でもしなかったのは、私の体が矛盾に耐えられなかったのかもしれない。何の矛盾かは、いまいち分からないけど。でもどうしようもなくて、この気持ちは理論的に言えないや。君なら、言えるかな?
「私は、戻るわ。元の場所へ」
「分かりました。歓迎します」
ドミネーションは私の頭に手を触れた。一瞬目が熱くなり、それから先は、覚えていない。気がついたら、花屋の近くにいた。あそこがどこだったのか、ドミネーションが何なのか、よく分からない。その時は、ただただ虚しさしかなくて、呆然としたまま、灰色の世界を歩いていた。君の場所に行って、君を探して。気付いたら廃病院にいた。私の居場所に、戻ってきた。君は、誰だったの?
私は、路春桜。みちはるさくら。
君の名前を聞いていない。君の居場所を作ったのに、君の事を何も知らないよ。俺は君に会いたい。自分勝手だけど、でも、後悔してる。強く。『雨』は君に姿を見せなかった。それは幸運だ。でも、それは甘えだ。俺が守ると誓った。俺が雨から君を守ればよかった。ああ、許してくれ。許してくれ。俺の償いはこれしか出来ない。俺は完璧じゃない。俺は君が淹れてくれた紅茶の味を覚えていない。俺は君の声も、仕草も、言葉も覚えているのに、徐々に過去が油絵の様にぼやけて夢になっていく。嫌だ。嫌だ。死にたくない。君に会うまで死ねない。
俺は、芽亜莉桜斗。めありおと。
君の名前を聞きたい。
君の名前を聞きたい。
私は君に謝りたい。
俺は君に謝りたい。
君はどこにいるの?
君はどこにいるの?
私は君と笑っていたい。
俺は君と笑っていたい。
私は君が付けてくれた髪飾りを捨ててないの。だってそれは君をまだ信じてるから。
俺は君がくれた強い覚悟を捨ててない。君と一緒にいる為の居場所を作ったんだ。
この『世界』から出たい。
この世界から戻りたい。
今でも君を探しているから。
今でも君を探しているから。
会いたいよ。
俺は、悲しい奴だ。だが同時に、あの『世界』にとっての英雄になれた。それで十分だ。俺の屍を糧として、この大地の先へ進んでいけ。俺は、本当に悲哀の英雄になれたかな。俺は、誰にも知られず死ぬのかな。俺を覚えているやつは、君しかいないのか。なら、それを手放した俺は、孤独だ。血を吐く。俺はこの世界の寒さから身を守る為、コートを着る。父親の形見で、俺が大切にしてたカメラを捨てた。どれだけ蒼い空が撮れようとも、邪魔でしかない。君の笑顔を納めていたあの時だけが、このカメラがあるべき場所だったんだ。
死んでも君に花束を届ける。死んでも君に花束を届ける。俺は、もう、長くない。これは、冗談とかではなく、実感しているからだ。体が重い。苦しい。血を吐く。美しい世界が俺には眩しすぎた。たった一度の過ちで、全て終わってしまうなんて、保安官の排除みたいだ。いや、排除されたほうが楽だったかな。君に美しい場所を見せられただけで、俺はもういいかな。今日はもう疲れた。食欲も起きない。雨に打たれながら眠った。もうどうでもいいんだ。
死んでも、君に花束を届ける。




