第8話 いびつな搾取構造
ガンツ村を旅立ってから数日。
世界で唯一の凡人であるボンタと、美しい白銀の毛並みを持つ伝説の聖獣ファルサーは、整備された街道をのんびりと進んでいた。
「まったく、人間の歩みというのは遅すぎる。我が本気で走れば、次の街など一瞬で着くというのに」
「あはは、ごめんねファルサー。僕、何の能力も持たない凡人だから、そんなに早く歩けないんだ。それに、ゆっくり景色を見ながら歩くのも悪くないよ」
鼻を鳴らして文句を言う巨大な聖獣の隣で、ボンタはどこまでもピュアな笑顔を浮かべていた。人間が生まれながらに持つ「承認欲求」のシステムを一切持たないファルサーにとって、ボンタの致死量の感謝もただの言葉に過ぎない。だからこそ、この一人と一匹は奇妙なほどに平穏な旅を続けられていた。
やがて、二人の視界に木枠で組まれた大きな門が見えてきた。
門の看板には「サクション村」と記されている。
「ここが最初の目的地だね。どんな勇者様たちがいるのかな」
期待に胸を膨らませて村へ足を踏み入れたボンタは、すぐに奇妙な光景を目の当たりにした。
村の大部分を占める広大な畑。そこで農作業をしているのは、一人の人間の男だった。
男は泥にまみれ、衣服は擦り切れていたが、その両手からは膨大な魔力が放たれていた。男が土に触れるたび、乾いた土は一瞬にして潤い、種が芽吹き、あっという間に瑞々しい最高品質の野菜が実っていく。間違いなく、彼もまた強力な職能を持つ農業勇者の一人だった。
しかし、異様なのはその周囲の光景である。
広大な畑の端、涼しい風が吹き抜ける木陰に、数十人の獣人たちが陣取っていた。犬や猫の耳、立派な尻尾を持つ彼らは、人間と他種族が共生している珍しい住人たちである。
だが、獣人たちは誰も畑仕事を手伝おうとはしない。寝そべって果物をかじったり、互いの毛繕いをしたりしながら、畑の中央で泥だらけになって働く農業勇者に向かって、口々に声を張り上げているのだ。
「素晴らしい!さすがは人間の勇者様だ!」
「我々獣人には到底できない、素晴らしいお仕事です!感謝感激!」
「いやぁ、あなたがいてくれて本当に助かる!ありがとう!」
大げさな身振り手振りと共に送られる、惜しみない拍手喝采。
それを見たボンタは、パッと顔を輝かせた。
「すごい!なんて素晴らしい村なんだ!」
「ほう?どのあたりが素晴らしいと感じたのだ、凡人よ」
「だって、人間と他種族が一緒に暮らして、あんなにたくさん感謝し合ってるじゃないか!みんな笑顔で助け合っていて、すごく素敵な関係だよ!」
ギスギスした真顔で首を傾げ合う人間の社会しか知らないボンタにとって、言葉にして「ありがとう」を伝える獣人のその光景は、理想的な相互関係に見えたのだ。
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目をキラキラと輝かせるボンタの横で、ファルサーは忌々しげに舌打ちをした。
冷ややかな黄金色の瞳が、木陰でくつろぐ獣人たちを射抜く。
「馬鹿め。お前の目は節穴か。よく見てみろ、あれは助け合いなどではない。ただの『搾取』だ」
「えっ?搾取?」
ボンタが不思議そうに首を傾げ、再び畑の方へと視線を向ける。
ファルサーに言われてよく観察してみると、獣人たちの態度はどこか薄っぺらかった。声だけは大きいが、その瞳に感情はこもっておらず、まるでお決まりの台詞を棒読みでリピートしているかのようだ。
一方、歓声を浴びながら働き続けている農業勇者の男の姿は、凄惨の一言だった。
目の下には真っ黒な隈がくっきりと刻まれ、頬はげっそりとこけ落ちている。足元はふらつき、今にも倒れそうな限界状態であるにもかかわらず、男は震える手で何度も何度も大地に魔力を注ぎ込み、狂ったような速度で作物を実らせ続けていた。
「あ、危ないよ!あんなにフラフラなのに、どうして休まないの……?」
「休めるはずがなかろう。あの男は完全に、承認欲求の奴隷と化しているのだからな」
ファルサーは冷笑を浮かべ、このいびつな村の構造を解説し始めた。
「いいかボンタ。エルフやドワーフ、そしてあそこにいる獣人などの他種族には、人間のような『感謝されたい』という承認欲求のシステムが存在しない。だからこそ、奴らは人間の本能を打算的に利用しているのだ」
獣人たちは知っていた。人間という種族の勇者が、他者からの感謝に飢えて狂う哀れな生き物であることを。
人間の大人同士では、くだらない勇者のプライドが邪魔をして、真顔で首を傾げ合うだけの殺伐とした関係しか築けない。強大な力を持っていながら、彼らの心は常に「誰かに認められたい」という乾きに苛まれている。
そこへ、獣人たちが言葉だけの「無味乾燥なビジネス感謝」を与える。
本来なら、心からの感謝でなければ得られない至福の脳汁も、極限まで心が乾ききった勇者にとっては、砂漠に垂らされた一滴の水のように甘美な麻薬となるのだ。
「あんな……あんな軽い言葉でもいい……っ。俺の働きを、認めてくれるなら……!」
農業勇者は、虚ろな目を血走らせながら呟いた。
獣人たちから投げかけられる安っぽい「ありがとう」を浴びるたび、男の顔に微かな恍惚が浮かぶ。しかし、それは決して心を満たすものではない。薄っぺらい感謝ではすぐに乾きが戻り、男はさらなる言葉を求めて、自らの命を削るように畑を耕し続けるしかないのだ。
「あれが合法的な奴隷の姿だ。獣人どもは、自分たちのプライドも体力も一切消費せず、適当な言葉を投げるだけで、人間のエリートをタダ働きさせている。あの男は、安い言葉に縋り付くしか生きる道を見出せない、哀れな感謝依存症の末路というわけだ」
ファルサーの残酷なまでの真実の開示。
しかし、他者の悪意や打算というものを根本から理解できないピュアなボンタは、搾取の仕組みなど全く理解していなかった。
「そんな……搾取とかシステムとか、難しいことは分からないけど……。でも、あんなにボロボロになるまで働いているなんて、無理しちゃダメだ!」
純粋な心配だけを胸に抱き、ボンタはリュックを揺らしながら、フラフラになって倒れかけの農業勇者のもとへと駆け出していった。




