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第7話 聖獣ファルサー

 ボンタの「やっぱり残ろうかな」という無邪気でピュアな一言は、広場に集まった数百人の大人たちにとって、まさに世界が終焉を迎える死刑宣告に等しかった。


(ば、馬鹿な!ここで残られたら、今度こそ我々の脳髄が物理的に崩壊してしまう!)


 大人たちの張り詰めた真顔の裏側で、阿鼻叫喚の悲鳴がこだまする。額から滝のような冷や汗を流す村長ガンツは、限界を迎えた顔の筋肉を引き攣らせながら、今にも泣き出しそうな声を必死に威厳で包み込んだ。


「な、ならん……!お前は、今すぐここから旅立たねばならんのだ!」


 ボンタの躊躇を物理的かつ強制的に吹き飛ばすため、村長のガンツは一切のためらいもなく、自身の最高スキルを発動する決意を固めた。


「刮目せよ!『万獣の覇道(ビースト・ドミナント)』!!」


 歴戦の魔獣使いである彼の鋭い眼光から、大気を震わせるほどの凄まじい覇気が放たれる。空間がピキピキと音を立ててガラスのようにひび割れ、まばゆい光と共に神々しいオーラが広場全体を包み込んだ。


 圧倒的な光の中からゆっくりと姿を現したのは、白く美しい毛並みを持つ巨大な狼――伝説の聖獣ファルサーであった。その周囲には聖なる魔力が立ち込め、息をするだけで周囲の空気が浄化されていくような絶対的な神威を放っている。あまりの神々しさに、周囲の村人たちが思わず息を呑んだ。


「聖獣ファルサーよ、久しいのぉ。これからお前のあるじはそこの青年じゃ。それからボンタ。このファルサーを、お前の護衛として差し出そう! だから、さあ行った行った!!」


 ガンツは有無を言わさず、ファルサーの巨体を押し出して、ボンタへ差し出した。


 突然異空間から呼び出されたファルサーは、状況が掴めずに不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「おい待てガンツ殿。なぜ高貴な聖獣である我を、こんな何の力も持たぬ冴えない男のおもりなどに──」


「つべこべ言うな!ほれ、お前の大好物の厚揚げだ!」


 ガンツは抗議の声を上げるファルサーの口に、カリッと揚がった黄金色の極上油揚げを乱暴に放り込み、そのまま力任せに村の外へ向かってボンタもろとも押しのけた。


「わわっ、村長!?ちょっと待って、まだ心の準備が!」


「男は一度決めたら貫き通せ! 達者でな、ボンタァァァ!」


 村長の必死すぎる押し出しと、魔獣使いとしての絶対命令。ボンタと、厚揚げを咀嚼しながら目を白黒させているファルサーは、大きなリュックを持たされたまま、あれよあれよという間に村の外へと強制退去させられてしまった。村の木造の門が、まるであらゆる災厄から逃れるかのように、後ろでピシャリと固く閉ざされる。


 +++


 ドンッ、と土埃を上げて街道に放り出されたボンタとファルサー。


 村の境界線を越えた直後、背後の高い壁の向こうから、地鳴りのような凄まじい大歓声が沸き起こった。


「自由だーーー!!」


「今日から普通に生活ができるぞーーー!!」


 パンパンパンッ!と盛大な爆竹の音が青空に鳴り響く。ボンタが驚いて後ろを振り返ると、村の入り口や見張り台の上で、大人たちが顔をくしゃくしゃにして大号泣しながら万歳三唱を繰り返し、狂喜乱舞して祝っている姿が見えた。ボンタの感謝による至福の失神から目覚めたばかりの者たちも加わり、彼らの顔には長年の重圧から解放された「これで厄介払いができた」という清々しさしかなかった。


 しかし、ちやほやされたいという邪心など微塵も持たないピュアなボンタの目に映る世界は、全く違っていた。


「みんな……僕の旅立ちを、あんなに涙を流して盛大に見送ってくれるなんて……!」


 ボンタは感動のあまり瞳を潤ませ、ポジティブ全開のめちゃくちゃ綺麗な勘違いをして、胸の前で両手をぎゅっと握りしめた。


「僕のために爆竹まで鳴らして、あんなに喜んで送り出してくれるなんて。よし、みんなの期待に応えるために、絶対に世界中の勇者を救うぞ!」


 力強く一歩を踏み出そうとするボンタの横で、厚揚げを食べきったファルサーが冷ややかな目を向けた。人間に備わっている承認欲求システムを一切持たない聖獣は、呆れ果てたように深くため息をつく。


「……おい男。あいつら完全に『厄介払いができた』って顔をして歓喜の舞を踊ってるぞ。お前、今までどれだけあの村に迷惑をかけてきたんだ?」


 的確で容赦のないツッコミを入れるファルサーだったが、ボンタは全く気にした様子もなく、あっけらかんと笑った。


「え? またまたー。聖獣なのに、そんな冗談もできるんだね。これからよろしくね、ファルサー!」


「チッ……全く話が嚙み合わんな。とんだポンコツを押し付けられたものだ」


 ファルサーが忌々しげに舌打ちをしたその時、ボンタは大きく息を吸い込み、村のみんなに向かってありったけの大声を張り上げた。


「みんなー!!今まで本当にありがとー!!行ってきまーす!!」


 ボンタの魂からの感謝――プライド消費コストゼロの百パーセント純粋な『無垢なる感謝』が、風に乗って見送りの大人たちに直撃した。


「お、おほあぁぁぁ……っ!!」


「ひぎぃぃぃぃ!!」


 歓喜の舞を踊っていた村人たちの動きがピタリと止まり、次の瞬間、まるで巨大なウェーブのようにバタバタと白目を剥いて失神し次々と倒れていく光景が広がった。先頭で見送っていたガンツもまた、幸せそうな笑みを浮かべて地面に突っ伏し、ピクピクと痙攣してしまった。


「あはは、みんなで奇麗な人間ウェーブやってくれた。本当に優しいなぁ」


「……いや、起き上がりが無いぞ。波打つというより、ドミノ倒しなんだが?」


 全く状況を理解していないピュアな凡人と、厚揚げが好きなモフモフの毒舌聖獣。


 かくして、ギスギスした承認欲求の奴隷たちの世界を根本からひっくり返す、凸凹コンビの奇妙で破壊的なデトックスの旅が幕を開けたのだった。

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