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第4話 限界を迎えた村

 開拓から三十年が経過したガンツ村。朝の陽光が差し込む自室で、十八歳になったジョーウ・ジーン・ボンタは、一通の手紙を真剣な眼差しで読んでいた。


 それは、幼馴染のクレメンスから届いた便りだった。十二歳で超レアエリートの剣聖勇者として、聖騎士学校へ強制入学させられた彼女とは、もう長く顔を合わせていないが、手紙のやり取りは続けている。


『厳しい訓練がいよいよ終わり、明日から実戦部隊として魔王討伐の最前線へ出発することになったわ。正直、少し緊張しているけれど……絶対に立派な大勇者になって、私を育ててくれたガンツ村に錦を飾ってみせるわ』


 手紙から伝わってくる彼女の決意に、ボンタはふっと柔らかい微笑みを浮かべた。彼は手紙を丁寧に折りたたみ、大切に引き出しへとしまう。


「クレメンスも頑張ってるんだな。僕も、僕にできることを探さなくちゃ」


 十八歳になった今も、彼には何一つの能力も備わっていない。「職業:凡人」という世界で唯一の存在である彼は、ちやほやされたいという邪心など微塵も持たない、純粋すぎる心根の青年へと成長していた。


 +++


 一階の居間へ降りると、香ばしく焼き上がったパンと温かいスープの匂いがふわりと漂ってきた。

 使い込まれたエプロン姿の母メイが、食卓に朝食を並べているところだった。


「おはよう、ボンタ。さあ、冷めないうちに食べましょう」

「おはよう、お母さん。いただきます!」


 農業勇者であるメイが育てた野菜は、彼女のスキル『慈愛の豊穣ガイア・エボリューション』の力で生命力に溢れ、極上の味わいを誇っている。

 ボンタはスープを一口飲み、パッと顔を輝かせた。


「すっごく美味しい!お母さん、毎日こんなに美味しいご飯を作ってくれて、本当にありがとう!」


 ボンタが満面の笑みで放った言葉。

 それは、彼が持つ唯一にして最大の力、プライド消費コストゼロの百パーセント純粋な『無垢なる感謝ノー・プライド・サンクス』であった。


「おほあぁぁ……っ!」


 メイの身体がビクンと大きく跳ねた。彼女の手から木べらが滑り落ち、床に転がる。


「お、お母さん!?」

「あぁ……今日も、なんて純度の高い……生きてて、よかったぁ……」


 メイはだらしない笑顔を浮かべ、頬を真っ赤に染めながらその場にへたり込んだ。焦点の合わない目を宙に泳がせ、完全に脳汁が限界突破し、至福の絶頂失神を迎えていた。


「お母さん、また朝から寝ちゃったの?疲れが溜まってるのかな」


 ボンタは母の異常な姿を「働きすぎによる過労」だと完全に勘違いしていた。優しく毛布をかけると、彼は身支度を整えてそっと家を出た。


 +++


 外に出ると、人口五百人にまで成長した村は今日も活気に溢れていた……と言いたいところだが、実態は大きく異なっていた。


「おはようございます、ボンタくん!今日も良い天気だな!」


 声をかけてきたのは、村の通りを整備している土木勇者の男だ。彼は額に汗を浮かべながら、無償で道の舗装を行っている。


「おはようございます!いつも村の道を綺麗にしてくれて、ありがとうございます!」


 ボンタがピュアな笑顔を向けて深く頭を下げた瞬間、男の動きがピタリと止まった。


「ひぎぃぃ……!き、きたぁ……本物の、感謝……っ!」


 男は恍惚とした表情を浮かべ、ドサリとその場に卒倒した。手にしたスコップが虚しく地面に転がる。


「あ、おじさん!大丈夫ですか!?」

「ああっ!ボンタくん!こちらには焼きたてのクッキーがあるのよ!」


 今度は反対側から、お菓子作りの職能を持つ製菓勇者が血走った目で駆け寄ってきた。彼女の息は荒く、差し出されたクッキーの籠は微かに震えている。


「わぁ、美味しそう!いつも甘くて美味しいお菓子をみんなに配ってくれて、本当にありがとうございます!」


 ボンタがクッキーを受け取り、無邪気にお礼を言うと、女性の目がカッと見開かれた。


「おほあああァァァーーーッ!!」


 女性は天を仰ぎ、奇声を上げながらバタバタと痙攣し、そのまま白目を剥いて気絶した。


 ボンタが歩みを進めるたびに、家を建てる勇者や、荷物を運ぶ勇者たちが次々と声をかけてくる。彼らは皆、ボンタから放たれる純度百パーセントの感謝を浴びるためだけに待ち構えているのだ。


「いつもありがとう!」

「本当に助かります!」


 ボンタが純粋な言葉を紡ぐたび、すれ違う大人たちが次々と脳汁を噴き出し、バタバタとドミノ倒しのように倒れていく。道端には、至福の表情を浮かべてピクピクと痙攣する大人たちの山が瞬く間に築かれていった。


 この世界の大人たちは、他者からの感謝に狂う「承認欲求の奴隷」である。

 ボンタが十八歳になるまでの間、彼から浴びせられ続けた純粋な感謝によって、村の大人たちは全員が重度の「感謝ジャンキー(依存症)」に陥っていた。


 もはや毎日の仕事や生活は麻痺寸前。彼らはインフラを整えることよりも、ボンタから「ありがとう」を引き出すことだけに全精力を傾けており、村の機能は限界の閾値を完全に超えていた。


 しかし、当のボンタは、道端で泡を吹いて転がっている大人たちを見渡し、ウンウンと満足げに頷いていた。


「みんな、能力がない平凡な僕を、こんなにも身を粉にして温かく迎えてくれているんだな……なんてやさしさだ」


 あまりにも純粋すぎる彼は、この惨状を「村人たちの底なしの優しさ」だとハッピーに解釈していたのである。


「もらいっぱなしじゃ、申し訳ない。僕も大人になったんだ。恩返しをしなくちゃ」


 ボンタは胸に手を当て、固い決意を抱いた。


「クレメンスも最前線で頑張るんだ。僕も、世界中の頑張っている勇者様たちに、直接『ありがとう』を届けに行こう!」


 心からの使命感に燃えたボンタは、この決意を伝えるため、村の最高責任者である村長ガンツのもとへと足を向けるのだった。

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