第33話 大司教の演説
果てしなく続く険しい岩山を越え、乾燥した荒野を歩み続けた先に、ついに一行は世界の最果てへと辿り着いた。
そこにそびえ立っていたのは、天空を物理的に突き刺すかのような、あまりにも巨大な白亜の尖塔を持つ大教会の中枢――大聖堂であった。
人間の限界を超えた規格外の力を振るう建築勇者たちの職能が結集し、何十年もの歳月をかけて築かれたというその建造物は、不気味なほどに左右対称で、いびつな完璧さを誇っている。
「ここが、すべての人間が勇者として生まれるシステムの中心……大聖堂ね」
地味な色のフードを目深に被った少女パンピーナが、その圧倒的な威容を見上げて、警戒を強めるように息を呑んだ。
その隣では、ボロボロになった大剣を背負う白銀の鎧の少女クレメンスが、いつも通りの超絶クールな「真顔」で直立不動の姿勢を保っていた。外の社会にいる彼女は、冷徹な『剣聖勇者』としての仮面を完璧に纏っている。しかし、その内なる葛藤と緊張感は、最愛の幼馴染であるボンタの背中を守るという強い決意によって、静かに燃え上がっていた。
「フン……。勇者の無償奉仕の行き着く先がこれか。無駄に巨大な箱を造ったところで、いびつな世界は変わらんというのに」
白く美しい毛並みを持つ巨大な狼――伝説の聖獣ファルサーが、背負い袋から取り出した最後の一切れの厚揚げをサクサクと器用に咀嚼しながら、冷ややかに鼻を鳴らした。人間に備わっている承認欲求システムを一切持たない高貴な聖獣は、この神聖な大聖堂のオーラに対しても、まったく物怖じする様子はない。
「みんな、行こう。この中に、きっと世界中のみんなが無理をしないで、本当の笑顔になれるヒントがあるはずだよ」
世界で唯一の「職業:凡人」である少年、ボンタは、ちやほやされたいという邪心など微塵もない素朴な笑顔を浮かべ、大きなリュックの紐をぎゅっと握り直した。彼のピュアな瞳には恐怖の色などなく、ただただ世界への恩返しと使命感がみなぎっていた。
一行は、信者たちの往来に紛れて、密かに大聖堂の内部へと潜入した。
磨き上げられた大理石の回廊を通り抜け、やがてたどり着いたのは、数千人もの人間を一度に収容できるほどに広大な大礼拝堂であった。そこはすでに、王国全土から集まった神官や信者であるエリート勇者たちの大人たちで、隙間なく埋め尽くされていた。
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大礼拝堂の最奥、天井に嵌め込まれた極彩色のステンドグラスから差し込む光に照らされ、厳かな壇上に一人の男がゆっくりと姿を現した。
金糸で壮麗な魔法陣の刺繍が施された重厚な法衣を身に纏い、頭には教会の最高権威の象徴である高い冠を戴いた男。彼こそが、この社会の頂点に君臨する教会のトップ、『大司教勇者』ソウルンダーチョであった。
ソウルンダーチョが静かに両手を広げると、数千人の群衆がひしめき合っていた礼拝堂は、一瞬にして水を打ったような絶対的な静寂に包まれた。
「集いし勇者たちよ。よくぞ世界の最果て、我が大聖堂の説教へと足を運んでくれた」
ソウルンダーチョの朗々とした声は、大気の振動を操る職能でもあるかのように、広大な礼拝堂の隅々にまで明瞭に、そして厳かに響き渡った。
「見上げるがいい、この調和に満ちた平和なる世界を。百年前を境に、我ら人類はみな神の恩寵たる勇者として啓示されるようになった。誰もが何らかの超人的な職能を持ち、互いを支え合っている。かつて古の時代に存在したという、くだらぬ通貨に縛られ、飢えや貧しさに喘ぎ、人間同士で血を流し合った争いは、この世界からはとうに消滅したのだ」
ソウルンダーチョは、確信に満ちた表情で自らの「理想郷」理論を声高に語り続ける。
「現在の世界に通貨が存在しないのはなぜか。それは、ここにいるすべての勇者たちが、自らの尊き職能を活かし、無償で善意を提供し合っているからだ!調理勇者はパンを配り、土木勇者は道を舗装し、刀鍛冶勇者は鍋を打つ。周囲も全員が勇者であるがゆえに、他人の親切を『当たり前の顔』で受け取り、自らもまた当たり前のように無償の善意を返す。この大いなる感謝と善意が循環する社会システムこそが、神が我らに与えられたもうた、完璧なる理想郷なのだ!」
大司教の熱弁が最高潮に達したその瞬間、大礼拝堂の全域で、この世界特有の異様極まる光景が巻き起こった。
ソウルンダーチョの説教を聞いていた数千人のエリート勇者たちは、誰一人として歓声を上げず、拍手もせず、賛同の言葉すら口にしなかった。
その代わり、彼らは全員、一糸乱れぬ極限の「真顔」を張り付かせたまま、硬い表情で一斉に首を横に傾け始めたのだ。
ビュンッ、ビュンッ、ビュンッ、ビュンッ!
数千人の大人の男女が、真顔のまま首を素早く横に傾ける「微感謝表現」の嵐。
本気で他者に感謝を述べることが「私はあなたより劣っています」という敗北宣言と同義になるこの世界において、大人同士でプライドを傷つけずに敬意を示すためのシュールなルール。それが、数千人分の物量となり、凄まじい速度で繰り返される。
声を失った礼拝堂を支配したのは、大人たちの首が高速で空気を切り裂く、不気味な風切り音だけであった。これこそが、感情を極限まで殺した勇者たちが繰り広げる、狂気の「真顔ミサ」の実態であった。
そのシュールかつディストピアな光景を、礼拝堂の後方の影から覗き見ていたパンピーナは、あまりの気味悪さに己の腕をさすり、激しく顔を引きつらせた。
「……なによこれ。誰も笑ってないし、誰も声を出さない。ただ数千人の大人が真顔で首を高速振動させてるなんて、どんな入り組んだダンジョンより狂気を感じるわよ」
「ふん。人間の『他者に感謝されたい』という承認欲求システムが極限まで肥大化した、哀れな奴隷たちの集会だな。理性を殺して真顔を保ち合う姿は、実に滑稽よ」
ファルサーが冷ややかに鼻を鳴らす横で、ボンタはただ一人、真っ直ぐな眼差しで壇上のソウルンダーチョを見つめていた。
壇上のソウルンダーチョは、数千人の「真顔の微感謝」の嵐をその身に浴びながら、悠然と微笑を浮かべていた。
(……そうだ。この世界は完璧だ。私がトップとして維持し、導いてきたこの教会システムは、何一つ間違っていない。誰もが善意を配り合い、満たされているはずなのだ……)
「さあ、誇り高き勇者たちよ!これからも神聖なる教えに従い、勇者としての矜持を高く掲げ、互いに無償の善意を捧げ合うのだ!この世界こそが、永遠なる――」
ソウルンダーチョがさらに演説を締めくくろうと、天高く両手を掲げたその時であった。
「それは間違っている!」
大礼拝堂の後方から、静寂と風切り音を粉々に切り裂くような、しかしどこまでも真っ直ぐで澄んだ少年の声が響き渡った。




