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第32話 乙女の嫉妬

「な……っ!?」


 クレメンスは言葉を失った。ボンタの『無垢なる感謝』は、エリート勇者であればあるほど、その強烈なプライドの反動で致死量の至福ダメージを受ける劇薬である。それを至近距離で浴びても微動だにしないパンピーナの姿は、この世界の常識では絶対にあり得ないことだった。


(なんなの、この女勇者は……! ボンタの致死量の感謝に耐えうるなんて、どれほどの強靭な精神力と、規格外の承認欲求のキャパシティを持った超絶エリート勇者なわけ!?)

 パンピーナが実際は能力を持たないただの「凡人」だからこそ感謝のダメージを受けないという真実に、クレメンスが思い至るはずもなかった。彼女の脳内で、壮大な勘違いが爆発的に膨れ上がっていく。


(まずい……! こんな底知れないバケモノにボンタのそばをうろつかれたら、私の居場所が奪われてしまう!)

 クレメンスは立ち上がり、自分からボンタを奪いかねない最強のライバルとしてパンピーナを認識し、バチバチと激しい嫉妬の炎を燃やし始めた。


「ちょっと、あなた! 私がいるんだから、ボンタの世話なんて焼かなくていいのよ! 私の方がボンタの役に立てるんだから!」

「は? 何言ってんのあなた。ただ作ったスープ持ってきただけなんだけど」

「誤魔化さないで! その涼しい顔の裏で、ボンタからの感謝を独り占めしようと企んでいるんでしょ! 最強の剣聖であるこの私から、ボンタを奪おうったってそうはいかないわよ!」

「いや、さっきまで外で超クールに気取ってたのに、テント入った瞬間キャラ変わりすぎじゃない? 別に感謝されても何とも思わないし」

「余裕ぶって……! 絶対にボンタは渡さないんだから!」


 突っかかるクレメンスと、心底呆れ果てた様子のパンピーナ。テントの中では、二人の少女による噛み合わないおかしな攻防が延々と繰り広げられるのだった。


 +++


 落ち着きを取り戻した夜更け。

 テントでの騒動も一段落し、一行は森の中で静かにパチパチと燃える焚き火を囲んでいた。テントという「家」の聖域から外に出たクレメンスは、再び感情を殺した超クールな「真顔」の剣聖へと戻っている。しかし、焚き火の温かい光に照らされた彼女の横顔は、昼間の張り詰めたようなそれに比べれば、ほんの少しだけ柔らかく見えた。


「そういえば、ボンタ。私たちが十歳の時の『職業啓示の儀式』のこと、覚えているか?」

 クレメンスがぽつりとこぼした言葉に、ボンタは懐かしそうに目を細めた。

「うん、覚えてるよ。クレメンスの番の時、すごい光が出て、神聖な水晶がパキンって割れちゃったんだよね」


「……ええ。私の『剣聖勇者』の天啓に込められた神のエネルギーが強すぎて、水晶が過負荷に耐えきれなかったのよね。そのせいで、次の順番だったボンタの儀式には、急遽使い捨ての『純氷』が使われることになったんだったわね」

 クレメンスは微かに目を伏せ、遠い昔の記憶を呼び覚ました。


 その話を聞いていたパンピーナが、ハッと息を呑んだ。

「ちょっと待って……それ、本当なの?」

「ええ。私が水晶を割ってしまったのは事実よ」

「違うわ、そっちじゃなくて……水晶が割れた後に、『純氷』を使って儀式をしたってところよ!」


 パンピーナは焚き火の前に身を乗り出し、会話に割り込んだ。

「……私も、そうだったのよ」

「えっ?」

「私の故郷の村でも、私の順番のすぐ前だった子が『弓聖勇者』の啓示を受けて、その時に水晶が割れちゃったの。だから、私も仕方なく『氷』で儀式を受けて……結果、ボンタと同じ『凡人』になったのよ」


「あなた凡人だったの? あぁ、だからボンタの感謝に耐性があったのね。それにしても、それって偶然じゃなさそうね」

 クレメンス以外の全員にも、静かな衝撃が走った。

 別々の村で起きた、全く同じ現象。

 一つ前のエリート勇者が水晶を割り、純氷で儀式を受けた子供が、世界にただ二人の「凡人」となったのだ。


「確かに偶然とは思えないわ……。もしかして、私たちが凡人になったのは、私たちの素質のせいじゃなくて……『純氷』を使ったからなんじゃないの?」

 パンピーナの鋭い指摘に、ボンタもハッとして顔を上げた。

「じゃあ、百年前の儀式はどうだったんだろう? 勇者ばっかり生まれるようになったのは、百年くらい前からだって聞いたけど……」


「百年前は、水晶ではなく、全ての村で『純氷』を削って儀式を行っていた記憶がある」

 今まで黙って厚揚げを咀嚼していたファルサーが、重低音で会話に割り込んだ。

「だが、百年前を境に、教会が儀式の触媒を『純氷』から『水晶』へと変更した。それと同時期に、人類のほぼ全員が何らかの職能を持つ『勇者』として啓示されるようになったのだ」


 全ての点と点が線で繋がっていく。

 全ての凡人が「氷」から生まれているという事実。水晶ではなく、古来の「純氷」で儀式を受けた者だけが、承認欲求に狂わない普通の人間――すなわち「凡人」として生まれるのだ。

 つまり、本来の儀式システムに何か裏があるのではないかという疑念が明確に浮かび上がった。この世界を狂わせている勇者氾濫の元凶は、神の意思などではなく、教会が用意した「水晶」というアイテムそのものに隠されているのだ。


「本来の儀式システムに、何か裏があるってことか……」

 クレメンスが鋭い眼光で呟く。

「ふん。勇者氾濫の謎に迫る気なら、教会本部の大聖堂を目指すことだな」

 ファルサーが黄金色の瞳を細めて助言を出した。


「行こう、大聖堂へ。そして、この世界の歪みの原因を突き止めよう!」

 ボンタは焚き火を見つめながら力強く頷いた。僕の「ありがとう」で目の前の人を癒やすことはできる。でも、根本のシステムが変わらない限り、誰もが本当の笑顔で過ごせる世界にはならないんだ。

 ただ感謝を伝えるための救国行脚は、世界の理をひっくり返す壮大な旅へと繋がっていく。一行の次なる目的地は、世界の最果てにある大聖堂に決まった。

 謎の核心へと向かう彼らの前に、どのような真実が待ち受けているのか。夜空に舞い上がる火の粉が、彼らの新たな決意を祝福するように輝いていた。

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