第24話 歓喜と絶望の最前線
魔王デビグロンガーが数万の勇者たちの暴力の波に飲まれ、完全に息絶えたその瞬間。戦地を包んでいた狂乱の余韻を切り裂くように、厳かで無機質な声が世界中の空を震わせた。
『――これより神託を下す。魔王討伐完了。勇者たちの働きへ、大いなる感謝を』
それは、全人類の脳内に直接響き渡る絶対的なアナウンスであった。
次の瞬間、戦地の最前線から凄まじい歓声と奇声が天を衝いた。
「キ、キ、キ、キタァァァーーーッ!!」
魔王にトドメを刺した者や、前線で物理的な大貢献を果たした一部の狂戦士勇者たちである。彼らの全身を、神々しい黄金の光が包み込んだ。
全人類数十億人からの莫大な「感謝のパッシブ効果」が、神託のシステムを通じてダイレクトに彼らの脳髄へと還元されたのだ。
「おほあああァァァーーーッ!脳が、脳が溶けるゥゥゥッ!!」
彼らは武器を放り出し、だらしない笑みを浮かべながら大地に倒れ込んだ。一生遊んで暮らせるほどの圧倒的な至福(脳汁)の波に溺れ、ピクピクと激しく痙攣しながら歓喜の涙を流し続けている。
しかし、その後方で。
狂乱する勇者たちの波に押し出され、泥だらけになって立ち尽くす新人のクレメンスには、ただの一滴の「感謝」も還元されなかった。
「……あ……、え……?」
狂喜乱舞する周囲の喧騒の中、彼女の心の中だけが恐ろしいほどに冷え切っていた。前線に出遅れ、剣を振るう機会すら完全に奪われた彼女は、システム上「魔王討伐に貢献していない」と見なされ、世界からの感謝を受け取る権利すら与えられなかったのだ。
(嘘、でしょ……? 私、ボンタのいる平和な世界を守るために……あんな地獄みたいな訓練を、六年間も耐えてきたのに……っ)
血を吐くような努力も、冷徹な「真顔」を作り続けて押し殺してきた孤独も、すべてが無意味だったというのか。激しい悔しさと絶望的な無力感が、彼女の胸を黒く染め上げていく。
この世界の勇者にとって、他者から感謝されるという承認欲求は四大欲求の内の一つとして、生きるために不可欠な本能である。厳しい学園生活で誰からも感謝されず、極限の「感謝飢餓状態」に陥りながらも、魔王討伐の瞬間にすべてが報われるという唯一の希望に縋って生きてきた。その心の支えを完全にへし折られたことで、彼女の中で何かが決定的に壊れる音がした。
「……足りない。感謝が、足りない……っ」
虚ろな瞳に、どんよりとした濁った闇が宿る。純粋にボンタを守りたいと願っていた彼女の心は、極度の飢えと承認欲求の暴走によって無残に歪みきり、悲しき「承認欲求ゾンビ」へと変貌を遂げてしまったのである。
「私を、感謝しろ……。私は、世界を……あいつを守るために戦ってきたんだぞ……っ!」
泥に塗れた白銀の大剣を引きずりながら、狂えた剣聖は、自らの渇きを強制的に満たす偽りの感謝を求め、虚ろな足取りで最前線の地獄を後にした。
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一方その頃。
欲望が渦巻く最前線から遠く離れた、のどかな青空の下の街道を歩く影があった。パルタの街を旅立ったばかりのボンタと、それに同行するパンピーナと伝説の聖獣ファルサーである。のんびりと景色を眺めながら歩いていたボンタは、不意に足を止め、不思議そうに耳を澄ませた。
『――魔王討伐完了。勇者たちの働きに、大いなる感謝を』
雲ひとつない空から、そして自身の脳内から直接響き渡った厳かな神託の声に、ボンタは目を瞬かせた。
「えっ?今の声、なんだろう?」
「十年に一度の、魔王討伐の神託だ。十年前はお前はまだ十歳以下の子供だったから、システムの年齢制限で聞こえなかったのだろう」
隣を歩くファルサーが、黄金色の瞳を細めながら的確な解説を入れる。
それを聞いた瞬間、ボンタの素朴な顔がパッと明るく輝いた。
「魔王が倒された……それって、きっとクレメンスがやってくれたんだ!」
ボンタの口から、一切の疑いもない、あまりにもピュアで見当違いのハッピーな解釈が炸裂した。彼は、幼馴染が手紙で書いていた「立派な大勇者になってみせる」という決意を思い出し、彼女が最前線で魔王を打ち倒し、世界を救う大活躍をしたのだと完全に信じ込んだのだ。
実際のクレメンスが、感謝の得られない絶望から承認欲求ゾンビに成り果てていることなど露知らず。ボンタは胸の前で両手をぎゅっと組み、遥か遠い空の彼方へ向かって満面の笑みを向けた。
「勇者様! みんなの平和な世界を守ってくれて……本当に、本当にありがとうーーーっ!!」
ズゴォォォォォンッ!!
ボンタの口から放たれた、プライド消費コストゼロの純度百パーセント、『無垢なる感謝』。いつもなら目の前のエリート勇者の脳髄を焼き切り、即座に絶頂失神させる致死量の感謝の波動が、今回は空の彼方に向かって、目に見えるほどの極太の光の柱となって空高くに撃ち出された。
天を貫く、規格外の感謝のレーザー砲。それは、ただただ壮大に、そしてシュールに大空を突き抜けて魔王討伐隊の最前線へと放たれていく。
「……おい凡人。貴様、その対人用の精神破壊兵器を、あまり乱発するな。いくら大量の勇者で山分けといっても、奴らの身が持たんぞ」
あまりの光景に呆れ果てたファルサーのツッコミが、静かな街道に虚しく響き渡る。「あはは、僕の『ありがとう』が、少しでもクレメンスに届いているといいな!」
無邪気に笑うボンタの思いは、空の彼方に消えていく。遠い地で「私を感謝しろ」と亡者のように徘徊する幼馴染と、能天気に空へ感謝を放つ世界唯一の凡人。残酷で見当外れなすれ違いを孕んだまま、凸凹コンビのデトックス行脚は続いていく。




