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第21話 結界の解除

 ベーカリー勇者が至福の表情で痙攣を続ける中、ファルサーが冷静に周囲を見渡した。

「主よ、この男が正気に戻ったところで、問題は解決していないぞ。街の連中が無意識に張っている結界は、まだ展開されたままだ」

 ファルサーの言う通り、外の通りを歩く勇者たちは相変わらずパン屋の存在に気づかず、不自然に空間を避けて歩いている。


「そんな……こんなにおいしいパンを、みんなが無視するなんてもったいないよ!」ボンタは、籠いっぱいに積まれた新作の甘いパンを見つめ、胸の奥でピュアな使命感を燃やした。

「僕、決めた!このパンを外に持って行って、みんなに食べてもらう!」

 ボンタは店内にあった大きな藤籠に、パンを山のように詰め込み始めた。


「ちょっと待ってボンタ!あんた、そのパンを配りながらあの『精神破壊兵器』を乱射する気!?」

 パンピーナが血相を変えて止めるが、ボンタの善意は誰にも止められない。

「だって、美味しいものはみんなで分け合った方が絶対にハッピーだもん!」

 満面の笑みで籠を抱え、ボンタは結界の外へと元気よく飛び出していった。


 結界の外に出たボンタは、通りを歩いていた屈強な鍛冶勇者の前に立ち塞がった。

「おじさん!これ、すっごく美味しい新作のパンなんです!ぜひ食べてみてください!」

 突然パンを差し出された鍛冶勇者は、怪訝な顔をしながらも、あまりの良い匂いに抗えず一口かじった。

「む……?なんだこのサクサク感と甘みは……うまいじゃないか」

 その言葉を聞いた瞬間、ボンタの顔がパッと輝いた。

「いつも街のために硬い鉄を打ってくれて、ありがとうございます!そして、パンをもらってくれて本当にありがとう!」


 ギュバァァァンッ!!


 プライド消費コストゼロの最大火力の感謝が、至近距離から直撃する。

「おほあああァァァーーーッ!?」

 鍛冶勇者は凄まじい奇声を上げ、白目を剥いてその場にバタッと卒倒した。

「あはは、おじさんも働きすぎだったんだね!はい、次のお兄さんもどうぞ!」

 ボンタは倒れた勇者を放置し、次々と通行する勇者たちにパンを配っては、深々と頭を下げて感謝を伝えて回る。


「ひぎぃぃぃっ!」

「生きててよかったァァァーーーッ!」

 ドミノ倒しのように、次々と至福の絶頂を迎えて卒倒していくエリート勇者たち。

 その阿鼻叫喚の光景を安全圏から見ていたパンピーナは、頭を抱えた。

「本当にやってる……。ただパンを配ってるだけなのに、街のインフラが物理的に壊滅していくわ……」


 だが、ファルサーが黄金色の瞳を細めて空を指した。

「見ろ。結界が薄くなっているぞ」

 ボンタから致死量の感謝を浴び、至福で意識を飛ばした勇者たちは、無意識に維持していた結界魔法を次々と解除してしまっていたのだ。

 透明だったパン屋の輪郭が、蜃気楼のように少しずつ外の空間に現れ始めている。


「……はぁ、本当に規格外ね。でも、あれじゃボンタ一人の手には余るわ」

 パンピーナはやれやれと肩をすくめると、「君って不思議な子ね」と呆れたような笑みを浮かべ、自らもパンの入った籠を抱え上げた。

「ほらボンタ、私も手伝うわよ!少しづつエリアをずらすわよ。じゃないと道が倒れた勇者たちで塞がっちゃうからね!」

「わあ、ありがとうパンピーナ!」

 凡人二人の連携により、パン配りのペースはさらに加速していった。


「おほあぁぁぁっ!」という奇声と共に、街の広場にいた大半の勇者たちが浄化(失神)された頃。

 とうとう、パルタの街を覆っていた『存在隠蔽』の結界が、綺麗さっぱり消滅した。

 今まで見えなかった立派なパン屋が、完全に街の風景として元通りに復活したのだ。


「……あ、あれは……?」

 深い絶頂の底から目覚めた住人たちは、魂が浄化されたスッキリとした顔で身を起こし、パン屋の存在を再び認識し始めた。

「そうだ、俺はここのパンが食べたかったんだ……」

「なんていい匂いなんだ。やっぱりこの街には、このパン屋が必要だ」

 無意識のすれ違いが解け、住人たちは次々と店へと吸い込まれていく。


 店内で目を覚ましたベーカリー勇者は、信じられない光景を目にしていた。

 自分の店に、再び客が溢れ、パンを手に取ってくれている。

 彼が徹夜で作った新作の甘いパンは、瞬く間に飛ぶように持ち去られていった。

 客勇者の僅かに首を横に傾ける久々の微感謝と引き換えに。


 夕暮れ時。

 すっかり活気を取り戻した店の前で、ボンタたちは旅立ちの準備をしていた。

 ベーカリー勇者は、ボンタの前に立つと、限界まで表情筋を引き攣らせた冷ややかな「真顔」を作り上げた。

 彼の心の中は、自分を孤独な結界から救い出してくれたボンタへの感謝で溢れかえっている。しかし、正常なエリート勇者としての誇りを取り戻した彼には、もはや素直に「ありがとう」と口にすることは、プライドが許さなかった。


「……」

 ベーカリー勇者は一切の言葉を発さず、ただ無言で、持ち切れないほど大量のパンが詰まった巨大な麻袋をボンタに押し付けた。

 それは、彼なりの不器用で最大級の感謝の表現だった。


「わあ!こんなにたくさん、いいんですか!?おじさん、本当にありがとうございます!」

 ボンタが満面の笑みで喜んで受け取ると、ベーカリー勇者は「おほっ」と一瞬だけ顔を歪め、ガクッと膝から崩れ落ちそうになったが、カウンターにしがみついてギリギリで耐え抜いた。


「フン。たまにはパンというのも悪くないな」

 ファルサーが、自分のために特別に作らせた「厚揚げ専用の無糖パン」に極上の厚揚げを挟んで咀嚼しながら、満足げに鼻を鳴らす。

「ちょっとファルサー、聖獣が糖質意識してんじゃないわよ!」

 パンピーナのキレのいいツッコミが夕空に響く。


「おじさん、これからも美味しいパンを作ってね!バイバーイ!」

 ボンタが大きく手を振ると、ベーカリー勇者は真顔のまま、見えなくなるまで深く首を横に傾け続けていた。


 ギスギスした勇者たちの不条理なすれ違いを、圧倒的なピュアさでぶち壊した凡人たち。

 芳醇なパンの香りを背に受けながら、ボンタ、パンピーナ、そしてファルサーの一行は、次なる限界勇者たちを癒やすため、新たな街へと歩みを進めるのだった。

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