第16話 酒場の壊滅
「ああああっ!なんでだ、なんで誰も俺のことを見てくれないんだぁぁっ!」
槍勇者はジョッキをテーブルに叩きつけ、大粒の涙をボロボロとこぼしながら号泣していた。
昼間の微動だにしない完璧な真顔はどこへやら、仮面の下の顔は涙と鼻水と酒でぐしゃぐしゃである。
「料理を作れば美味いと言われる!家を建てれば立派だと言われる!だが門番はどうだ!?毎日、来る日も来る日も炎天下で立ちっぱなしで、街の平和を守っているのに!魔物が来ない平和な日々が当たり前になりすぎて、誰一人として俺に『ありがとう』って言ってくれねえええっ!」
ドンッ、ドンッとテーブルを叩きながら、槍勇者は溜まりに溜まった承認欲求の渇きを爆発させていた。
「俺だって褒められたい!誰かに認められたい!もっと俺を褒めてくれぇぇぇっ!」
周囲の仮面の大人たちも、彼の悲痛な叫びに同情しつつ、「まあまあ、飲めよ」「あんたの立ち姿、最高にいかしてるぜ」と仮面勇者たちが薄っぺらい言葉で慰めている。だが、そんな安酒のような言葉では、極限まで乾ききったエリート勇者の心は満たされない。
その惨状を見つめながら、ボンタは感動で胸を熱くしていた。
「すごい……!あのお兄さん、すごく迫真の演技だ!きっと、誰にも感謝されずに孤独に街を守る門番の悲しさを、お芝居で表現しようとしているんだね!」
完全に的外れな解釈を固めたボンタは、迷うことなく槍勇者のテーブルへと歩み寄った。
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「おい、誰だお前。仮面もつけずに……」
周囲の大人たちが怪訝な顔をする中、ボンタは槍勇者の正面に立つと、テーブルに突っ伏して泣いている彼の分厚い手を、両手で優しく、そして力強く握りしめた。
「あ……?」
槍勇者が涙で霞む目を上げると、そこには一切の邪心を持たない、素朴で親しみやすい青年の顔があった。
大人同士では絶対にありえない、真っ直ぐな眼差し。
「お兄さん」
ボンタは、昼間の彼の姿を思い出しながら、胸の奥底から湧き上がる最大火力の感情を言葉に乗せた。
「みんながこうして夜遅くまで平和にお芝居の練習を楽しめるのも、お兄さんが毎日、入り口で立派に街を守ってくれているおかげです。誰も見ていないところでも、街のために頑張ってくれて……本当に、本当にありがとう!」
バチィィィンッ!!
ボンタの口から放たれた、プライド消費コストゼロの純度百パーセントの『無垢なる感謝』。
それは、仮面の大人たちが薄っぺらく交わし合っていた言葉遊びとは次元が違う、魂を直接殴りつけるような超高濃度の直撃だった。
「おほあああああァァァーーーッ!?」
槍勇者の身体が、ビクンと大きく弾け飛んだ。
何年も何年も誰からも与えられなかった「本物の感謝」が、カラカラに乾ききった脳髄の奥底へと一気に流れ込んでいく。
脳内から莫大な量の快楽物質がダムの決壊のように噴き出し、槍勇者は仮面を吹き飛ばして天を仰いだ。
「ほ、本物だぁぁぁっ!俺の、俺の仕事が、認められたァァァッ!生きててよかったぁぁぁーーーっ!!」
凄まじい奇声を上げながら、槍勇者は歓喜の涙を滝のように流し、白目を剥いて椅子から後ろへとひっくり返った。そのまま床でガクガクと痙攣し、至福の絶頂失神を迎える。
「お、おい!どうしたんだ門番の奴!」
「なんだ今のすげえオーラは……っ!」
突然の出来事に、地下酒場にいた数十人の仮面の勇者たちが一斉に立ち上がり、ボンタに注目した。
彼らもまた、承認欲求に飢え、酒と仮面に逃げていた大人たちである。ボンタが放った致死量の感謝の余波を少し浴びただけで、彼らの脳は危険信号と同時に、抗いがたい欲求を刺激されていた。
そんな彼らに対し、ボンタは無邪気な笑顔を向けた。
「みんなも、こんな夜遅くまで街の子供たちのためにお芝居の練習、本当にお疲れ様!見えないところで街を盛り上げてくれて、本当にありがとうございます!!」
ババババババチィィィンッ!!
無差別広域感謝のガトリングが、地下酒場全体に炸裂した。
「ひぎぃぃぃぃーーーッ!?」
「おほぁぁぁっ!最高だァァァーーーッ!!」
酒場の中にいた全員が、雷に打たれたように奇声を上げた。
「俺の……俺の木工スキルがぁぁっ!」と叫びながら倒れる者、「計算しててよかったぁぁっ!」と泣き叫ぶ商人。
ドミノ倒しのように、次々と大の字になって床に崩れ落ちていく勇者たち。
中にはあまりの至福に暴れ回り、壁やテーブルを破壊しながら絶頂を迎える者もおり、地下酒場は物理的にも精神的にも完全な壊滅状態(平和的制圧)へと陥った。
数分後。
嵐が過ぎ去った後のように静まり返った酒場には、至福の表情でスヤスヤと眠る大人たちの山が築かれていた。
「みんな、お芝居の練習のしすぎで疲れちゃってたんだね。ゆっくり休んでね」
惨状を前にして、ボンタはウンウンと満足げに頷いている。
「……まさか、一撃でこの規模の酒場を壊滅させるとはな」
カウンターで最後の一切れの油揚げを飲み込んだファルサーが、呆れ果てたように呟いた。
「まったく、凡人感謝の破壊力、相変わらずだな。行くぞ、長居は無用だ」
一人と一匹は、浄化された大人たちを残し、静かに夜の酒場を後にした。
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翌朝。
ドリンコの街には、清々しい朝日が降り注いでいた。
昨日のような、酒の匂いと千鳥足の大人たちの姿はどこにもない。
深い絶頂失神から目覚め、魂の底まで完璧に浄化された勇者たちは、すっかり憑き物が落ちたようなスッキリとした顔つきで、それぞれの仕事場へと向かっていた。
「おはようございます!今日もいい天気ですね!」
ボンタがすれ違う大人たちに元気に挨拶をすると、彼らはビクッと肩を震わせながらも、限界まで張り詰めた冷ややかな「真顔」を作り上げ、無言で首を少しだけ横に傾けて挨拶を返してきた。
彼らは悟ったのだ。
仮面や酒に逃げて薄っぺらい言葉を求め合うのは、エリート勇者としての誇りを捨てる行為だったということに。
「もう仮面に逃げる必要はない。俺たちの仕事には誇りがある。酒は、節度を持って楽しむものだ」
彼らは心の中でそう誓い、本来の気高い勇者としての姿を取り戻していたのである。
街の入り口では、昨日と同じように槍勇者が立っていた。
しかし、目の下のクマは消え去り、その立ち姿は昨日にも増して美しく、洗練されたオーラを放っている。
ボンタとファルサーが門を通り抜けようとすると、槍勇者は冷徹な真顔のまま、サッと一つの巨大な包みを差し出してきた。
「ん?これは?」
「……」
槍勇者は一切口を開かず、ただ首を横に素早く傾けた。
「ほう。我への供物か。気立てのいい男だな」
ファルサーが鼻を鳴らして包みを開けると、中にはドリンコの街の特産品である、極上の厚揚げが山のように詰まっていた。
それは、彼らなりの最大限の恩義と感謝の表現だった。言葉にしてしまえば敗北宣言になるが、聖獣への贈り物という建前があれば、堂々とお礼ができるのだ。
「わあ、よかったねファルサー!お兄さん、ありがとう!」
ボンタが満面の笑みで手を振ると、槍勇者は「おほっ」と一瞬だけ顔を歪め、ガクッと膝から崩れ落ちそうになった。しかし、長年の門番として鍛え上げられた強靭な精神力と槍の支えによって、ギリギリのところで立ち留まり、再び完璧な真顔を取り戻す。
正常なインフラが回り始め、静かな活気に満ちたドリンコの街。
その平和な光景を背に感じながら、世界唯一の凡人と厚揚げを愛する毒舌聖獣は、次なる限界勇者たちを癒やすため、新たな街へと歩みを進めるのだった。




