第11話 新たな旅の目的
獣人たちが完全に去り、静寂を取り戻したサクション村。
翌朝になると、村は再び人間だけの社会として機能し始めていた。
ボンタは広場の隅のベンチに座り、村人たちの様子を静かに見つめていた。
朝の清々しい空気の中、建築勇者が手際よく壊れた荷車を修理し、農業勇者が新鮮な野菜を運んでくる。彼らは互いの成果物を受け渡す際、一切の言葉を発しなかった。ただ、張り詰めた「真顔」のまま、無言で首を少しだけ横に素早く傾ける「微感謝表現」を交わすのみである。
この世界の大人の勇者にとって、本気で他者に感謝を述べることは、「あなたの施しがないと生きていけません」という敗北宣言と同義であり、自らのプライドに深刻な傷がついてしまうためだ。だからこそ、感情を極限まで殺し、ギスギスした真顔でインフラを回し続けるのが「正常な人間の社会」であった。
「……」
ボンタは、規則正しくも無機質なその光景を見つめながら、胸の奥に冷たい石が沈んでいくような激しい違和感を覚えていた。
確かに、獣人たちによる「承認欲求のシステム」を打算的に利用した搾取は間違っていた。だが、獣人たちが村にいた頃には、たとえそれが薄っぺらいビジネス感謝であったとしても、村には「ありがとう」という言葉が響き、表面上は笑顔が溢れていたのだ。
そして何より、ボンタの脳裏には、最後に村を出ていった小さな獣人の子供の姿が焼き付いていた。
あの子供が流した涙と、農業勇者に向けた「ほんとうに、ありがとう」という純粋な言葉。それを受けた農業勇者の顔に浮かんだ、微かだが確かな至福の表情。
(打算のない本物の感謝なら、種族なんて関係なく心に届くはずなのに……)
「どうした、凡人。お前が救った平和な村の姿だぞ。何やら腑に落ちないという顔をしているな」
横から響いた重低音に振り返ると、伝説の聖獣ファルサーが、村人からもらった極上の厚揚げの山を優雅に、かつ豪快に平らげているところだった。サクサクという小気味良い咀嚼音が、静かな広場にやけに響く。
「ファルサー……。みんな、獣人さんたちがいなくなって、無理して働くことはなくなったけど……。でも、誰も笑ってないんだ。心の中で助かってるって思ってるなら、どうして素直に『ありがとう』って言い合えないんだろう。他種族のみんなとも、本当の意味で仲良くやっていく方法は無いんだろうか……」
ボンタがポツリとこぼした疑問に、ファルサーは黄金色の瞳を細め、最後の一切れを飲み込んでから冷ややかに告げた。
「それが、この狂った勇者が氾濫した世界システムだからだ」
ファルサーは立ち上がり、巨大な白銀の体を揺らして村人たちを一瞥した。
「人間が『他者に感謝されたい(承認欲求)』という呪いにも似た本能を四大欲求として抱えている限り、道は二つに一つしかない。他種族の薄っぺらい言葉に縋って合法的な奴隷として搾取されるか、あるいは、自らのプライドを守るために一切の感情を殺し、真顔で生きるかだ」
ファルサーの残酷なまでの真実の開示が、ボンタの心に重くのしかかる。
この世界における「悪」とは、誰かの悪意ではなく、システムそのものによって肥大化した承認欲求の暴走なのだ。
「我々のような他種族には、啓示のシステムも承認欲求も存在しない。だからこそ、狂った人間たちとは分かり合えん。この世界の構造が根本から変わらない限り、お前が夢見る『種族を超えて誰もが笑顔で感謝し合える世界』など、永遠に訪れることはない」
それは、圧倒的な知恵と力を持つ聖獣からの、冷徹な死刑宣告に等しかった。
能力を持たないただの凡人であるボンタには、あまりにも大きすぎる世界の壁。
だが、ボンタは俯かなかった。彼は自らの両手をじっと見つめ、やがて力強く顔を上げた。その素朴で親しみやすい瞳には、かつてないほどの確かな光が宿っていた。
「……百年前なんだよね」
「あ?」
「人類のほぼ全員が勇者として啓示されるようになって、このおかしなシステムが始まったのは、百年くらい前からだって聞いたよ。だったら、それより昔は、みんな普通に『ありがとう』って言えてたはずじゃないか」
ボンタは、真っ直ぐにファルサーの目を見つめ返した。
「僕の『ありがとう』で、目の前で苦しんでいる限界勇者たちを癒やすことはできる。でも、それだけじゃ足りないんだ。僕は、勇者ばかりが誕生するこの世界を……システムの根源を変える方法を見つけたい」
ただの「いい人」だった青年の心に、明確な使命感が芽生えた瞬間だった。
「僕みたいな能力のない凡人でも、いや、プライドを持たない凡人の僕にしかできないことがあるなら。僕は、誰もが無理をせず、他種族とも本当の笑顔で『ありがとう』を言い合える世界を取り戻したいんだ」
その言葉のあまりの純粋さと、途方もないスケールの大きさに、ファルサーは一瞬だけ虚を突かれたように目を丸くした。しかし、すぐに呆れたように鼻を鳴らす。
「……ふん。何の力も持たぬ小石が、世界の理をひっくり返そうなどと。とんだ笑い話だが……まあ、ただ無目的に世界を徘徊するよりは、退屈しのぎにはなりそうだ」
「ファルサー!」
「勘違いするな。我は極上の厚揚げへの恩義として、少しだけ付き合ってやるだけだ」
そっぽを向くツンデレな聖獣の横顔に、ボンタは満面の笑みを浮かべた。
世界の歪みの原因、すなわち創造神の意図やシステムの謎を突き止めるという、途方もない新たな旅の目的がここで生まれたのである。
「よし、行こうファルサー!次の街には、どんな勇者様がいるのかな!」
リュックを背負い直したボンタは、村の出口へと向かって歩き出した。そして、門をくぐる直前、見送りに来ていた(内心は早く厄介払いしたい)村人たちに向かって、大きく手を振った。
「みんなー!美味しいお料理と厚揚げ、本当にありがとう!!」
ドドドドドドチュンッ!!
最大火力の『無垢なる感謝』が炸裂し、門の周辺で見送っていた真顔の村人たちが「おほあぁぁぁっ!」と奇声を上げながら、次々と至福の絶頂失神を迎えてドミノ倒しになっていく。
「……おい凡人。世界を救う前に、お前のその無差別な凶器をどうにかする方が先ではないか?」
「え?みんな倒れるまでお見送りしてくれて、本当に優しい村だね!」
「……チッ。やはりポンコツだな」
かくして、ギスギスした100%勇者の世界をひっくり返すための、世界唯一の凡人と毒舌聖獣のデトックス行脚は、新たな目的を胸に秘め、次なる歪んだ街へと歩き出すのであった。




