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第10話 獣人追放

 サクション村の畑で倒れ伏した農業勇者は、ボンタの致死量の感謝を浴びて深い絶頂失神から目覚めた。

 彼の顔からは、先ほどまでの「承認欲求の奴隷」としての悲哀がすっかり消え去っていた。


「さあ勇者様!今日も素晴らしい働きをお願いします!あなたこそ最高の英雄だ!」

 慌てた獣人たちが、いつものようにお決まりのビジネス感謝を浴びせかける。しかし、ボンタの純度百パーセントの感謝――極上の脳汁の味を知ってしまった農業勇者の脳には、彼らの言葉が「ただの空虚な音」としてしか響かなかった。

「なんだ……君たちの言葉は、こんなにも軽く、心がこもっていなかったのか……」


 農業勇者が搾取の真実に気づき、静かな怒りを燃やし始めた頃。

 当のボンタとファルサーは、すっかり陽が落ちた村の中心部へと足を踏み入れていた。


「お腹空いたね、ファルサー。あ、あそこのお店に入ろうか」

 ボンタが指差した先には、一軒の居酒屋があった。入り口には『獣人入店お断り』という厳めしい看板が掲げられている。

 中に入ると、頑固そうな調理勇者の男が一人で厨房に立っていた。彼は、打算的な獣人たちの薄っぺらい言葉に懐柔されることを拒み、村で唯一、人間だけで細々と店を運営しているエリート勇者だった。獣人に頼らない分、彼の心もまた、本物の感謝に飢えきっていた。


 ボンタはカウンターに座ると、出された日替わりの煮込み料理を一口食べ、パッと顔を輝かせた。

「すっごく美味しい!おじさん、こんなに美味しいご飯を毎日作ってくれて、本当にありがとう!」


 ドチュンッ!!


 ボンタの口から放たれた『無垢なる感謝ノー・プライド・サンクス』が、調理勇者の乾ききった脳天に直撃する。


「おほあああァァァーーーッ!?」

 調理勇者は手にしたお玉を放り投げ、至福の表情でカウンターの奥へとひっくり返った。


「あ、おじさん!?ごめんなさい、休みたいところ邪魔しちゃって……!」

 ボンタが慌てていると、店内にいた他の客――仕事帰りの建築勇者や裁縫勇者たちが、その異常な純度の感謝に血走った目を向けた。

「聞いてくれ、俺は今日、村の橋を三つも直したんだ……!」

「私は徹夜で冬服を百着縫い上げたわ……!」


 彼らの悲痛な叫びを聞いたボンタは、一切のプライドを消費することなく、満面の笑みで全員に向かって感謝のガトリングを放ち始めた。

「すごい!みんな、そんなにたくさん村のために働いてくれてるんだね!本当に、本当にありがとうございます!」


「ひぎぃぃぃぃーーーッ!!」

「生きててよかったァァァーーーッ!!」


 店内は一瞬にして阿鼻叫喚の絶頂空間と化し、エリート勇者たちが次々と白目を剥いて泡を吹き、ドミノ倒しのように卒倒していく。

 やがて、至福の底から這い上がってきた調理勇者は、涙とよだれで顔をぐしゃぐしゃにしながらボンタの手を固く握りしめた。

「兄ちゃん……お前さんは神の使いか……?今日は絶対に俺の家に泊まっていってくれ!いや、泊まってくださいお願いします!」

 こうしてボンタとファルサーは、村で唯一の調理勇者の家で、最高のもてなしを受けることになったのである。


 +++


 翌朝。サクション村は、地鳴りのような轟音と怒号に包まれていた。

「よくも俺たちの心を弄んだな、この泥棒獣どもォォォッ!!」

 怒りの咆哮を上げたのは、完全に目が覚めた農業勇者だった。彼に呼応するように、昨晩ボンタの感謝を浴びて正気を取り戻した居酒屋の勇者たちも立ち上がり、村人総出で獣人たちへの反撃を開始したのだ。


 一国を滅ぼせるレベルの規格外な勇者スキルが、容赦なく村のあちこちで炸裂する。

「ヒィィッ!や、やめ……!」

「話が違うぞ!こいつら、俺たちの感謝の言葉が急に効かなくなりやがった!」

 これまで言葉だけで人間を奴隷のように扱っていた獣人たちは、圧倒的な武力の前に為す術もなくボコボコにされ、泣き叫びながら村の外へと逃げ出していく。

 宿の窓からその大乱闘を見下ろしながら、ファルサーは黄金色の瞳を細めて鼻を鳴らした。

「ふん、自業自得よ。安易な搾取のツケが回っただけのことだ」


 やがて、獣人たちが完全に村から追い出され、事態が収束した頃。

 逃げ遅れた獣人たちが列をなして村の門を出ていく中、最後尾を歩いていた一人の小さな獣人の子供が、ふと足を止めた。

 その手には、農業勇者が育てた真っ赤なトマトが大事そうに抱えられている。子供は振り返ると、鬼の形相で立っている農業勇者に向かって、ポロポロと大粒の涙をこぼしながら叫んだ。

「おじちゃん……! 毎日、おいしいごはんをいっぱいつくってくれて……ほんとうに、ありがとう……!」


 それは、打算も何もない、子供の純粋な心からの感謝だった。

 その声を聞いた農業勇者の肩が、ピクリと震える。彼の顔に浮かんでいた怒りがふっと和らぎ、僅かながらも確かな至福がその胸を満たしたのだ。

「……ふん。さっさと行け」

 農業勇者は顔を背け、ぶっきらぼうにそう言っただけだったが、その様子を見ていたボンタは、ハッと息を呑んだ。

(他種族の子からの『ありがとう』でも、おじさんの心にちゃんと届いてる……!心がこもっていれば、種族なんて関係ないんだ!)


 騒動が一段落すると、村の人間たちは広場に集まり、ボンタを取り囲んだ。

 獣人を追い出し、再び感情を殺した「真顔」に戻ろうと必死にプライドを押し殺している村人たちだったが、その目はボンタへの深い恩義で揺れていた。

 村の代表として、農業勇者が限界まで引き攣った真顔で歩み出る。

「お、おほん……。お前のおかげで、我々は目を覚ますことができた。勇者としての矜持にかけて、この恩は返さねばならん。我々にどう恩を返せばいいか教えてくれないか?」


 ボンタは申し訳なさそうに両手を振った。

「そんな、僕はお礼なんて――」

「厚揚げだ」


 ボンタが断ろうとした瞬間、横からファルサーの重低音が響き渡った。

「この男の働きに報いたいと言うのなら、極上の厚揚げを用意しろ。それも、山のようにだ」

「ファ、ファルサー!?僕、そんなこと一言も……!」

「黙っていろ凡人。感謝の対価を受け取ることも、彼らのプライドを保つための礼儀だ」


 ファルサーが堂々と言い放つと、村人たちは「なるほど、厚揚げですね!」と真顔で頷き合い、凄まじい速度で調理勇者たちが腕を振るい始めた。

 数分後。広場の中心には、外はカリッと、中はフワフワに揚がった黄金色の厚揚げが、文字通り山のように積み上げられていた。

「ほう、悪くない出来だ」

 ファルサーは満足げに目を細めると、周囲の視線など意に介さず、サクサク、ハフハフと幸せそうに大量の厚揚げを咀嚼し始めた。

 真顔で微感謝を告げる村人たちと、厚揚げを頬張る巨大な聖獣。その奇妙な光景を見つめながら、ボンタの胸の中には、ある一つの違和感と、新たな決意の種が芽生え始めていた。

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