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千夜の魔宮の物語  作者: 黒崎江治
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第四十八夜 石彫都市 -1-

 タルナールたちがシャイタン、もといシャルカンと別れ、アモルダートに戻った翌々日。


 幸いにして、ダバラッド軍がケッセル野営地への夜襲を直前で中止してからというもの、どの勢力も偵察以上に過激な動きは見せておりませんでした。


 かといって、それぞれの国に兵を引き揚げるような素振りもなく、なにか均衡を動揺させるようなものがないか、ほかの勢力同士がぶつかって弱るようなことがないか、虎視眈々と機を窺っていることは明らかでした。


 兵士たちもわざわざ遠方からやってきて、熱暑の昼と底冷えのする夜、そして大した娯楽もない野営に耐えているのです。


 たとえ無事に帰れるのだとしても、戦功なり恩賞なりを得てから、と考えているに違いなく、そのような意味でも、このまま何事もなくアモルダートに平静が戻るということは、あまり期待すべきではないように思われました。


 ともあれタルナールたちにとしては、アモルダートを巡る政治的な情勢ばかり気にしているわけにもいきません。また騒ぎが起きないうちに〈魔宮〉の奥を調べてやろう、と再び探索に乗り出します。


〈世界の根〉エイブヤードの直下、先日目にしたあの深い縦穴の底こそが、いよいよ〈魔宮〉の最奥に違いない。タルナールたちは入念に準備をしたうえで、大いに意気込みながら、前回踏破した場所の近くまでやってきておりました。


「よし、火矢の準備はいいな」


 ラーシュの確認に、タルナールは頷きました。手には矢のつがえられた弩を持ち、いつでも発射できるよう、その先を縦穴に向けています。


 建物ひとつがすっぽり入るほどの通路は、大樹の根が幹へと合流するようにして、縦穴へと続いています。ゆるやかな傾斜がついているため、うっかり足を滑らせれば、そのまま暗闇の底まで真っ逆さま、ということになりかねません。


 ですからタルナールたちは一歩一歩に最新の注意を払って、どこかにひそんでいるはずの獣を探します。


 ゆっくりと通路の終わり、すなわち縦穴の縁に近づきますと、下から吹いてくる冷たい風が、ほうほうと不吉な鳴き声のように聞こえました。


 ひとまず、夜の獣が襲ってくるような気配はありません。 


 そこで、ネイネイが杖の先に灯りをつけ、それを綿毛のようにふわふわと飛ばして、縦穴の様子を探ります。


 改めて調べてみると、それは本当に信じられないほど大きな穴でした。〈病人街〉がある穴はせいぜい差し渡し二百歩というところですが、いまタルナールたちが目にしている穴は、その三、四倍ほどもあるものと思われました。


 ネイネイが飛ばした灯りの強さでは、ほんの一部しか照らすことができません。これまでの通路同様、壁自体の素材もいくらか光りを放ってはいますが、幽玄なそれはかえって遠近の感覚を惑わせるだけで、星空のように美しくはありますが、全貌を明らかにする助けにはなりませんでした。


 それでも、近くにひそむ危険の一端は窺い知ることができました。縦穴を探りはじめてすぐ、あの蜘蛛に似た夜の獣が、そこかしこに巣を作っていることが分かりました。


 獣たちはほとんど突起のない壁を這い、あるいは自らが垂らした丈夫な黒い糸を伝って移動しているようでした。しかし幸いにして、数は大量というわけでもありません。


 地形から考えて剣や槍の攻撃が届きにくいことは事前に予想しておりましたので、元々弓が扱えるエトゥと、まじないでの補助に回るネイネイはそのままに、タルナールとラーシュは新しく購った弩を手に取って、なるべく遠くから獣を狙う手筈になっておりました。


 見える範囲にいる夜の獣は二体。いまのところ目立った動きは見せず、膨らんだ体のどこかから分泌した糸を、ぞっとするほど人間に似た六本の肢で、ぐるぐると紡いでいるところでした。


 それを狙うタルナールたちの矢じりには、鉱物油と種々の素材を混ぜて作った燃料がたっぷりと塗りつけてありました。ひとたび火をつければ激しく燃えあがり、突き刺さった部分に高熱で損傷を与える仕組みです。


 油をしみ込ませた木切れに灯した炎を、エトゥが慎重な手つきで近づけますと、矢じりはすぐさま紅蓮の炎をあげて、バチバチと明るい火花を放ちました。


 音に反応したのか、獣たちがぞろりと動きます。はじめはゆっくりと、しかしすぐに速さを増して、我先に獲物を捕らえんと向かってきます! 


 常人ならば腰を抜かしてしまうような光景。タルナールも思わず首筋の毛が逆立つのを感じましたが、さすがにエトゥは狩人の冷静さを保ち、正確に狙いをつけ続けておりました。


 はじめの矢が放たれると、それは長くまっすぐな光の軌跡を描き、一体の腹に深々と突き刺さったあと、その体内で小さな爆発を起こします。


 傷を受けた獣は壁面から肢を滑らせ、音もなく暗闇の底へと落ちていきました。


 残るもう一体には、タルナールとラーシュが狙いをつけます。通路から身を乗り出すようにして火矢を放つと、ひとつは口吻のすぐ近くに、もうひとつはやや反り返った背中に命中し、それぞれ思惑通りの威力を発揮しました。


「まだいるな」


 二体目が落ちていったあとで、新たな気配を察知したエトゥが警告しました。ひと呼吸遅れ、ネイネイが灯した光の中に現れるものがありました。


 さきほどの獣と同じような、しかしそれよりも随分と小さな個体が、蠢きながら近づいてきたのです。小さいといってもそれぞれ仔馬ほどもあり、その口吻ば人間の腕や脚など容易に切断できそうでした。


 エトゥが瞬く間に群の二体を、ラーシュが一体を射落としましたが、さらに二十近くの獣が壁や糸を這ってきます。一行はやむなく通路を後退し、弩を捨ててザーランディルに持ち替えたラーシュを前衛に、夜の獣の進撃を防ぎます。


 タルナールも槍を振るい、必死になって戦いました。


 長い肢を、でっぷりとした腹を斬っては捨て、また斬っては捨て、回り込もうとする数匹を必死に防ぎ、やがてあたりは凄惨な様相を呈します。


 乱戦の中、タルナールたちは毒のある爪でいくつかの手傷を受けてしまいましたが、あらかじめマヌーカに持たされたとても苦い解毒薬を服用していましたので、傷の部分が少し痺れるだけで済みました。


 何度かあわやという場面もありましたが、やがて、一行は夜の獣を全滅させることができました。


 少々の想定外を含みつつも、縦穴攻略の冒頭は、まずまず無事に済んだと言えるでしょう。


「ふぅ……」


 べっとりした体液をふき取りながら、さすがにもう新手はないだろうと思い、タルナールは大きく息をつきます。しかし休息できる場所まで引き返そうとした矢先、縦穴の方向から、ギャアギャアと騒がしい鳴き声が聞こえてきました。


「今度はなんだ?」


 さきほど放り捨てた弩を再び手に取り、慎重に縦穴を覗き込みます。すると一行のほぼ直下に位置する壁面に、もごもごと動くものがありました。


 どうやらなにかの生き物が黒い糸に絡めとられ、身動きできなくなっているようです。生き物、といっても人間ではないでしょう。かといって、夜の獣とも違うように思えました。


 灰水晶の灯りで照らしながら様子を見ていると、やがて黒い糸の束から、ずぼりとくちばしのようなものが突き出しました。またよくよく観察すれば、幾枚か羽のようなものが、獣の巣の回りについていることが分かりました。


「鳥か? こんなところに」と、ラーシュが言いました。


「しかも、かなり大きいな……おりるとき、少し邪魔になりそうだ」と、エトゥが言いました。


 一行が話す声を聞いたのでしょう。鳥のような生き物が一瞬黙り込み、奇妙な鳴き声を出しはじめました。


「ジ・ジア・アノイ! ヴレ・エヴ! ヴレ・エヴ!」


 このような鳴き声をする鳥に、タルナールは覚えがありません。動物に詳しいエトゥにも見当がつかないようでした。ムジルタにもこういった声で鳴く鳥はいない、とネイネイも言いました。


「ナク・ヨ・レア・エヴ!」


「興奮してる。威嚇というわけではなさそうだが」と、エトゥが言いました。


「多分、これは言葉だ」と、タルナールは言いました。単なる鳴き声とするには、音があまりに複雑すぎる、と考えたからでした。「きっと賢い生き物なんだよ。話せるかどうかは分からないけど、助けてあげよう」


 しかし仲間たちは、はじめこの提案を渋りました。行為の意味はともかく、襲われて怪我をする危険があるからです。しかしタルナールは言い出した自分がやるからと説き伏せて、この謎の生き物を助けることを三人に承諾させました。


 通路に打ち込んだ丈夫な杭を支点とし、腰にロープをくくりつけたタルナールが縦穴の壁面をおります。


 移動する距離としてはほんの建物一階分ですが、すぐ足元は巨大な深淵です。タルナールはロープで繋がれているにも関わらず、そこに放り出されたような感覚に陥り、全身の震えがとまらなくなりました。


「大丈夫か?」と、ラーシュが穴を覗き込みながら気遣いました。そんなことがあるとは想像したくもありませんが、もし杭がすっぽりと抜けた場合は、彼の膂力が頼りとなります。


 口に短剣を咥えたまま、タルナールはなんとか頷き返しました。それからゆっくり、ゆっくりと黒い繭玉に近づき、糸で巻かれている生き物を解放しようと試みます。


「頼むから、暴れるなよ。暴れたら落ちるぞ」


 糸は手にべたべたとひっつき、扱いづらいことこのうえありませんでしたが、幸い断ち切るような力には弱く、短剣の刃でなんとか処理することができました。


 くちばしを持つ生き物はタルナールの意図を理解したのか、ギャアギャアと騒ぐのをやめ、もがく動きさえもとめて、じっと身体を硬直させました。


 やはり、頭のいい生き物なのだ。これならば襲われる心配はないだろう。


 そう判断したタルナールは、早く作業を終わらせるべく、せっせと糸を切断していきました。


 力もろくに入らない、不安定な姿勢に苦労しながらも、タルナールが懸命に手を動かし続けておりますと、強固だった拘束は、やがて生き物が自力で脱出できるほどに弱まりました。


 タルナールは思い切ってその生き物を抱きかかえるようにし、ラーシュたちに自分を引きあげるよう合図を出しました。生き物はまったく暴れることなく、見た目よりもずっと軽いその身体を、ぐったりとタルナールに預けました。


 そしてタルナールは謎の生き物とともに、確かな地面の上に戻ります。


「お疲れさん。案外、おとなしかったな」


 ラーシュにねぎらわれながら、改めて生き物を観察してみますと、それはムジルタに多く棲む鸚鵡(オウム)によく似ておりました。


 ほぼ全身が緑色の羽毛で覆われていますが、胸から頭にかけての部分だけ赤色です。くちばしは鋼鉄とそっくりの質感で、いかにも丈夫そう。ふつうの鳥と明らかに違うのは、翼の中ほどに、鉤爪を備えた手がついていることぐらいでしょうか。


 その生き物はおそらく麻痺毒を食らって捕らえられ、しばらく保存されていたのでしょう。しかし人間に比べると毒に強い身体をしているのか、それほど衰弱しているようには見えませんでした。


 その生き物はところどころ羽毛が抜けたりもつれたりしている翼を広げながら、一行に感謝の意を示しました。


「カント・ヨ! カント・ヨ! ヨ・ラヴィス・エルトラ!」


「エルトラ?」


 言葉の中に含まれていた単語に、ネイネイが耳ざとく反応します。


「いま、エルトラと言った?」


「エルトラ! エルトラ!」


 自分の言葉が伝わったと感じたのか、その生き物はエルトラの名を繰り返し叫びました。


「ねえ、なにか知ってるなら教えて。私たち――」


「落ち着け、ネイネイ。そこの鳥も、落ち着け」と、ラーシュが興奮するふたりをとりなしました。「時間はあるんだ。ゆっくりやろう」


 こうしてタルナールたちは――やや思いがけない形ではありましたが――〈魔宮〉が孕む謎の一端を知る存在と出会い、しばしの時間を共有することになったのです。


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