第六部:グリーグ伯爵家の人々
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ミリアが来た日から、私の刺繍のペースが落ちました。私は聞かれてもいないのに、エマ様に言い訳をしていました。
「ごめんなさい。いろいろ考えてしまって、気付くと刺繍する手が止まっていて・・・」
エマ様は、特に咎めることもなく、いつもと変わらない感じで返してくれます。
「大丈夫ですよ。今ちょうど商品の入れ替わりのタイミングですから」
ミリアが来た一週間後、今度は母がお店にやってきました。翌日には実家に向かう予定でしたが、母は待っていられず、王都まで私の無事な姿を確認しに来たのです。
「ソフィア!無事だったのね!」
母に抱きしめられると、妹の時には冷静でいられたのに、涙があふれました。
そして、心のどこかでほっとしていました。
この日は、母とグリーグ伯爵家のタウンハウスに泊まり、翌早朝、実家に向けて出発することになりました。グリーグ伯爵家へは、どんなに急いでも、途中で一泊する必要があります。
夜、母にオーヴェル侯爵家での生活について聞かれましたが、”調べていただいた通りです”としか答えませんでした。ですが、誤解されている部分だけは訂正しました。
「私は、殴られたりまではしていないの。顔をつねられただけなの。最後に一度だけ叩かれたけど」
「お義母様から使用人扱いはされていないわ。何かしていないとハワード様が不機嫌になるので、薬湯や軽食を作って運んだり、咳き込んだ時に横で介助していただけなの」
「お手紙書かなくてごめんなさい。禁止されていたわけではないの。ただ、来た手紙も出す手紙も、ハワード様が全部目を通すので、書きたくなくなってしまって・・」
「っ!・・・・・ソフィア」
私が話すたびに母は苦しそうな顔をして、私を抱きしめました。母が悲しそうな表情をするたびに、私の心は痛みました。
「ソフィア、もう大丈夫ですからね。今度こそ幸せにしてあげますからね」
母の愛情に触れ、私は久しぶりの安心感に浸っていました。
この三か月間で私が得た、自活する女性の顔は、たった一晩で貴族の娘の顔に戻っていました。
この時の私は、それに全く気付いていませんでした。
翌日、早朝にも関わらず、エマ様は見送りに来てくれました。ミリアも寄宿舎から抜け出して、駆けつけてくれました。エマ様は私を見ると、少し戸惑ったような寂し気な顔をされました。
「・・・ソフィア様、もう安心ですね。せっかくですからご実家でゆっくり静養してくださいね。ご家族でご相談したいこともあるでしょうし。お店のことは・・・・大丈夫ですから。お部屋の鍵は一旦お預かりしておきますね。勝手に入ることはありませんが、もし・・・入らなきゃいけない状況があった場合のために」
「ありがとうございます。私、自分のせいで家族に心配かけてしまったので、きちんと説明してきます」
「本当よ!お姉様のこと皆すっごく心配したんだから!ちゃんと親孝行してきてね」
「わかってるって。ミリア、貴女はそろそろ学園に戻りなさいよ」
私がミリアと話しだすと、母はエマ様にお礼を伝えました。私はミリアとの会話に気を取られ、母とエマ様の会話は聞いていませんでした。
いよいよ出発というときになって、エマ様は旅の無事を祈ってくれました。
「ソフィア様、これからソフィア様の向かう道が常に晴れであることをお祈りします」
「ありがとうごさいます。雨の気配はないし、二日間だけだから大丈夫だと思います」
私は、笑って答えました。
***
二日間かけて、私はグリーグ伯爵家に帰ってきました。約二年ぶりです。ハワード様と結婚するために家を出たのが、遠い昔のようです。
久しぶりに見たお父様は、かなり疲れたお顔をされていました。私のことを本当に心配して探しまわってくれたのがわかり、胸が詰まりました。お父様は私の姿を見ると安堵の表情を浮かべましたが、私の痩せた姿を見ると悲しみと怒りが混じった表情になりました。お兄様もお義姉様も同じでした。いろいろ聞きたいことはあったのでしょうが、夜に到着したこともあり、お父様は多くは言いませんでした。
「疲れただろう。お前の部屋は用意してある。ゆっくり休みなさい。もう何も心配しなくていい」
朝、懐かしい匂いの中で目が覚めました。落ち着く匂いです。起き上がって、身支度をしようとゴソゴソしていると、侍女が慌ててやってきました。
「ソフィア様!侍女をお呼びつけください。お仕度、私メアリーがいたします」
「えっ?」
そうでした。貴族の令嬢は、身支度を侍女に手伝ってもらうものでした。私には手伝いは必要ありませんが、私が自分ですると言ってしまうと、メアリーの仕事を奪うことになるので、お任せすることにしました。
朝食の席に着くと、皆が優しい顔で迎えてくれます。
「ソフィア、よく眠れたかい?もっと寝ていてよかったんだぞ」
「よく眠れました。王都では、お店を開ける前にいろいろと準備をしていたので、早起きが習慣になっているんです。そうそう、エマ様のお店では、私の刺繍の商品を置いていただいて・・」
「ソフィア、スープが冷めてしまうわよ。先にいただきましょう。貴女はお話より栄養を取るのが先よ」
私は、エマ様のお店でどんなふうに働いていたのかお話したかったのですが、お母様はとにかく私に食べさせたいようでした。
朝食の後、私はお父様に、昨日きちんと言えなかったことを伝えに行きました。
「お父様、私の結婚がこのような形になり申し訳ございませんでした。すぐに連絡を取らず、余計なご心配をおかけしてしまったことも申し訳ございません。私は、家を出て、お父様やお兄様たちの負担にならないように生きていきたいと思います」
お父様は、私の言うことを聞くと、驚いた顔をしながら言いました。
「ソフィアが謝ることではない。最初にどんな人物かもっとよく調べるべきだったんだ。辛い思いをさせてすまなかった。できれば、辛い状況になったとき、すぐに頼ってほしかったのだが・・・・・。ソフィア、誰も君のことを負担だとは思っていないよ。今はまだ物事を判断するには早いんじゃないかな。昨日グリーグ家に帰って来たばかりだろう。もう少し静養してから、今後のことは決めていこう」
お父様に穏やかに諭されると、私は素直に頷くしかありませんでした。
グリーグ家での生活は、ずっと走り続けてきた私に、平穏をもたらしました。痩せた私に合うように、ドレスを新調してもらったり、甥や姪と遊んだりと、とにかく優しい日々でした。
私はだんだんと、侍女に何か頼む言葉も自然と出るようになっていました。
「メアリー、今日も昨日と同じ茶葉でお願いね」
「今日の髪型は、上の方でまとめてくれるかしら」
そんな様子を見て、お母様とお義姉様は言います。
「やっとソフィアらしくなってきたわ」
「ええ、本当に。元のソフィアさんが戻ってきて良かったですわ」
私らしい・・・元の私・・・・。
どこか遠くの方で、何かが引っ掛かります。
ですが、グリーグ家での心地よい日々を過ごすうちに、引っ掛かりはだんだん薄れていきました。
一週間の滞在で王都に戻るつもりが、三週間が過ぎていることにも、何も感じなくなってきていました。
***
「お見合いですって!?私がですか?そんないまさら・・・」
私は、お父様のお話に驚いて、少し大きな声を出してしまいました。目の前では、お父様とお母様が微笑んでいます。
「ソフィアは一度結婚しているから、若い相手というわけにはいかないが、今度は絶対信頼できる男だ」
「・・・どんな方ですか?」
感情を抑えながら、聞きました。自分の心を守るように、無意識に自制心が働いていました。
「ソフィア、本当に身分も高くて信頼できる方ですからね」
お母様が前置きをします。お父様は、一度咳払いをすると話し始めました。
「僕の学生時代の友人、ジョルジオ・ギュスターにソフィアを任せたいと思っているんだ」
「・・・・お父様の学生時代の友人・・・。ギュスター家・・・・まさか・・ギュスター公爵家?」
「少し複雑な話になるんだが、ジョルジオはレグナード侯爵家の出身だ。レグナード侯爵家、わかるな?前国王陛下の妹君が嫁がれた侯爵家だ。彼はそこの長男として生まれたが、ギュスター公爵家の跡継ぎ令嬢に見初められてギュスター公爵家に婿入りしたんだ。彼は、妻であるギュスター公爵を支え、当主代理を務めたんだ。彼女が事故で亡くなった後、彼の一人息子がギュスター公爵家を継いでいるから、今の彼は、悠々自適で王都の邸宅で暮らしているよ。ソフィアも王都での暮らしを続けたいのであれば、ちょうどいいんじゃないかな」
「・・・・・・・」
「年は離れているが、彼ならソフィアを傷つけるようなことはしない。優しい男だからな。少し、その・・・・何というか・・女性にモテすぎるところがあるがな」
「ほら、ソフィア、ギュスター公爵家の後ろ盾があれば安心じゃない。王都で暮らせれば、またエマさんのお店にソフィアの作ったもの持っていけるでしょう」
「・・・・・・・今お話を伺ったばかりなので、一旦一人で考える時間をいただいてもよろしいですか?」
「ああ、もちろん。急がないよ」
私は自室に戻ると、床に座り込みました。体中の力が抜けました。普通に考えれば、お父様と親しかったとしても、伯爵家の出戻り娘に王家の血を引く男性との縁談が来るなんて、あり得ない話です。私の条件であれば、婚姻歴があるのも、子どもがいるのも、年が離れているのも、当然です。むしろここは、高貴な血筋の方とのご縁を喜ぶべきなのでしょう。
だと言うのに・・・私はショックを受けていました。自分の価値は自分で思っているほど高くない、と言われてしまったような気持ちでした。
いえ、それよりも・・・
「私、期待していたんだ・・・・」
私の頬を涙が一滴流れました。
そのまましばらく静かに泣き、泣き終わるころには客観的に自分を見れるようになっていました。
確かにお母様の言う通り、ギュスター公爵家の庇護下で、エマ様のお店に時々商品を作って持っていく生活は悪くない気がしてきました。
私は一晩考えると、お父様に言いました。
「お話ありがとうございます。一度お会いしてみます」
会うということは、後戻りはできないということだと承知の上での返事でした。




