#マルクスの誇り
(7212字)
俺はマルクス。
ハミルトン公爵家の料理長だ。
孤児同然だった俺が公爵家の料理長にまでなれたのは、運が良かったとしか言いようがない。あの時、レグナード前侯爵が拾ってくれなかったら、今の俺はない。
俺が生きているのは、レグナード前侯爵のおかげ。
俺が人を信じる気持ちを持てたのは、ジョルジオ様とアルフのおかげ。
そして俺が料理人としての誇りを取り戻したのは、あの子のおかげだ。
あの子・・・これは俺の心の中だけの呼び方だ。今は、ハミルトン公爵夫人。でも、俺の中では、いつでもあの子だ。
***
俺の母親は・・・あまり思い出したくはないが、昼間は食堂で働き、夜は娼婦のようなことをしていたと思う。父親は、どこの誰だか知らない。俺には、年の離れた妹がいた。母親は、仕事と称してしょっちゅう留守にするので、俺が妹の分の食事も作っていた。
母親が数日間留守にするのは、いつものことだ。あの時も、二、三日すれば帰ってくると思っていた。なのに、一週間経っても帰って来なかった。
ただでさえ少ない食料が、あっという間になくなった。妹に食べさせるものがない。いつもならぐずる妹がぐったりしている。顔色もおかしい。
どうすることもできず、水だけでしのいでいると、母親が夜中に帰ってきた。俺はホッとした。母親は、俺と妹を見るとイライラしながら言った。
「まだ生きてたのか。仕方ないね。明日医者へ連れて行く。金かかるね。ホント腹立つ」
次の日の朝、妹は亡くなっていた。
共同墓地への埋葬だけ済ますと、母親は言った。
「教会に行きな。なんか食べさせてもらえるらしいから。私は、アンタの母親やめるよ。私を愛人にしてくれる金持ちをみつけたからね」
何の感情も湧かなかった。
ここから教会まで、どうやって行ったらいいのか、俺にはよくわからない。
わかったのは、俺には母親などいないということだ。
住む家はもうない。
ただ歩くだけ。
薄汚れた姿で歩いていると、皆が顔をしかめて避けていく。
意識が途切れそうになりながら歩いていると、誰かとぶつかったらしい。俺はそのまま倒れた。
「この薄汚いガキが!」
怒鳴り声とともに、棒で叩かれた。
どうやら、お貴族様とぶつかり、ステッキを振り下ろされているらしい。
逆らっても無駄なので、お貴族様の気が済むまで待っていると、馬車が止まる音がした。
「やめたまえ!!子どもをステッキで殴るなんて、どういうつもりだ!」
「あ、レグナード侯爵様。いや、これは・・・このガキが突然、私にぶつかってきまして、スリかと」
「スリ?実際に何か取られたのかね?」
「え?いや、まだ・・」
「何もしていない子どもになんて酷いことを!」
レグナード侯爵は俺を自分の馬車に乗せると、侯爵家に連れていってくれた。俺は、少し警戒した。もしかして、屋敷に着くと俺を処分するのか?
でも、そんなことはなかった。
俺は、久しぶりに体をきれいにしてもらい、ケガの手当をしてもらった。パンとスープまで出してもらった。使用人の部屋に寝かせてもらうと、長い時間眠った。目が覚めると、レグナード侯爵が再び現れて、俺のことを聞いてくれた。話の途中でお粥が運ばれてきたので、俺は話をしながら、お粥を夢中で食べた。
「そのお粥美味しいかい?」
「美味いです。お貴族様のお粥は贅沢で美味いです。具がないけど五つの野菜と何か海藻の味までする」
「・・・・・・料理長を呼んできてくれ」
レグナード侯爵は、料理長を呼んでくるように部屋にいた女の人に言った。料理長が来ると、侯爵は聞いた。
「この子、マルクスが、このお粥には五つの野菜と何か海藻の味がするって言うのだが、合っているかね?」
「えっ!?この子が?合ってますけど・・・まさか!・・・入っている野菜の種類は?」
「野菜?玉ねぎ、人参、セロリ、キャベツ、トマト?でも・・・あ、そうか乾燥トマト、あと海藻は・・・板状のやつ、名前知らない」
「!!」
体が回復すると、レグナード侯爵家の料理人見習いとして置いてもらえることになった。料理長は厳しかったけど、俺はこの厳しさが好きだった。もっと教えてほしい。もっといろいろやらせてほしい。
料理長は、俺に読み書きと計算も教えてくれた。材料に仕入れ計算、メニューの読み書き、どれもできないと困るからだ。
レグナード侯爵は、俺を使用人としてではなく、ちゃんとした大人にしようとしてくれたと思う。だから空いた時間に、同世代の子ども、ジョルジオ様たちと遊ぶことを黙認していた。
俺が料理人見習いになって、午後の休憩時間に使用人用の裏庭で遊んでいると、俺と同い年ぐらいの子どもが二人やってきた。
一人は、レグナード侯爵の息子ジョルジオ様で、もう一人は執事の息子アルフ様だった。貴族の子の出現に、俺は少し身構えた。レグナード侯爵の息子は、侯爵に似ていなくて、女かと思うような顔で、正直引いた。でも、身構える必要はなかった。自然と会話が始まっていた。
「今、なにやっていたの?石、水の上、跳ねたよね?」
「あ、ああ。こうやって平らな石を投げると水の上を跳ねるんだ」
「えー、こう?」
「違う、違う、こういう風に石を持ってこう!」
「「おーっ!!」」
それからしばらく、平らな石を拾っては投げ、距離を競って遊んだ。ジョルジオ様は、石を必要以上に拾うので、
「そんなに投げれるのか?」
と聞くと
「弟の分。今熱出して寝ているけど、元気になったら一緒にやる」
と返事が返ってきた。いい奴だ。子どもの頃のジョルジオ様の弟は、病気がちであまり一緒に遊んだ記憶がない。
その後、いつまでも戻って来ない子どもを探しに来た大人たちに、大変怒られた。ジョルジオ様は侯爵に、アルフ様は執事に、俺は料理長に、それぞれがゲンコツをもらった。
俺たちが石を投げこんでいた池は、食事用の魚を育てている池だった。
でも、これがきっかけで三人は仲間になったと思う。アルフ様は、この後、俺にいろいろ教えてくれた。
「僕のことは、アルフでいいよ。レグナード侯爵家に仕えているのは同じだしね。僕は将来、ジョルジオ様の執事になるんだ。そうそう、ジョルジオ様とレグナード侯爵は気にしないけど、レグナード侯爵夫人は国王陛下の妹だから、家にいらっしゃるときは気を付けてね」
国王陛下の妹、近寄らないにかぎる。
夫人はよくジョルジオ様を連れて王都へ行っていた。
ジョルジオ様は、王都から帰ってくるといつも疲れた顔をしていた。王都は疲れる場所らしい。
***
俺は、このままジョルジオ様がレグナード侯爵を継ぐものだと思っていた。ジョルジオ様本人もそのつもりで、レグナード領の領主になる準備をしていた。
だというのに、ギュスター公爵家へ婿入りすることが決まった。
婿入りの話をアルフと俺に伝えたときのジョルジオ様の顔は、なんだか見ていられなかった。
「僕はギュスター公爵家に行くことになった。一緒にレグナード侯爵領で頑張ろうって言ってたのに、すまない。僕の代わりに弟を支えてくれ。よろしく頼む」
アルフと俺は、その頼みを聞かなかった。あんな顔して頼まれてもこっちが困る。ギュスター公爵家に一緒に行けるように、アルフは父親に、俺は料理長に頼んだ。
「お前なあ、レグナード侯爵家の料理長にするつもりで鍛えたんだぞ!まったく・・・料理人の世界は閉鎖的だぞ。ギュスター公爵家ではまた下働きから始まるけど、それでいいのか?」
「はい、構いません」
レグナード侯爵が話を通してくれて、アルフと俺もギュスター公爵家へお供することになった。
俺は、なぜジョルジオ様が長男なのに、婿入りすることになったのかわからなかったが、理由は”ジョルジオ様の顔”だった。
ジョルジオ様は大人になるにつれて、ますます美男子になっていった。しかも男らしさも加わったので、男の俺から見ても惚れ惚れするぐらいだった。そんなジョルジオ様に惚れ込んだ次期ギュスター公爵が、絶対にジョルジオ様じゃなくては嫌だと言い張ったらしい。
しかも、それをレグナード侯爵夫人が後押しした。
俺がお貴族様をとやかく言うわけにはいかないが、レグナード侯爵夫人は派手な女性だ。
アルフによると、国王の妹であるにもかかわらず、公爵家に嫁げなかったことが不本意だったらしい。王都から離れたレグナード領、そして地味なレグナード侯爵に嫁がされたことが、相当不満だったらしく、やたら王都の社交界に顔を出しに行っていた。
レグナード侯爵は、あんなに立派な人なのに、何が不満なのか全くわからない。
そこへギュスター公爵家からの話。レグナード侯爵夫人は、自分によく似たジョルジオ様で、自分の無念を晴らそうとしていたのかもしれない。
レグナード侯爵領と関係がある家から、ジョルジオ様との婚姻話がいくつもあったのに、夫人は絶対首を縦に振らなかったということだ。
ジョルジオ様の弟はどうかと言うと、レグナード侯爵によく似ている。
***
いろいろ思うところはあったと思うが、ジョルジオ様はギュスター公爵家に婿入りし、やるべき仕事はきちんとやった。夫の務めも果たした。立派だと思う。
だが、ジョルジオ様の妻となり、ギュスター公爵になったあの女には、やるべき仕事をやる男が退屈に思えた。
結婚したジョルジオ様が、仕事を放り出して自分をお姫様扱いしてくれる、そんなことあるはずがないのに、何を期待していたんだか。
あの女は、俺の母親と同じ匂いがした。自分がこれと見込んだ男にすり寄るくせに、自分をチヤホヤしてくれないとわかると、次の相手を求める。でも、まさかお貴族様はそんなことしないだろうと思っていたが、お貴族様も同じだった。
ギュスター公爵領の仕事に明け暮れているジョルジオ様と自分の息子を放っておいて、学生時代の同級生、ナントカ侯爵と陰でよろしくやっていたようだ。二人仲良く、避暑地で馬車の事故で亡くなったが、あの女、余計な文書を残していきやがった。法的に従わなければならないやつを。
”自分が亡くなった後、息子は公爵位を継ぐ。未成年で公爵位を継いだ場合、公爵領主の業務は自分の父である前公爵が行う。父が亡き場合は前公爵の弟が行う。成人後に公爵位を継ぎ、後見人の援助が必要な場合、同様に自分の父である前公爵または前公爵の弟が後見する”
要は、自分がいなくなったら、自分の血筋のものしかギュスター公爵領に関わらせないということ。公爵とは名ばかりで実務は何もしないくせに、なんでここだけ用意周到なんだよ。
これにはジョルジオ様も、しばらく言葉が出なかった。領民のため、将来公爵になる息子のために、必死にやってきたというのに。俺もアルフも、ジョルジオ様にかける言葉が見つからなかった。
あの女は、自分をお姫様にしてくれなかったジョルジオ様から、何を取り上げたら一番ダメージを食らうかわかっていたんだろう。
ジョルジオ様は、母親が家族を裏切って亡くなったことを、息子に伝えなかった。ギュスター前公爵も自分の娘の醜聞はもみ消して沈黙した。
後でわかったことだが、ギュスター前公爵はあの女の不貞を知って、あの文書を用意させたらしい。アルフはいろいろ小難しい推理をしていたけど、推理してみたって状況は変わらない。
ジョルジオ様は、黙って屋敷を去ることにした。ギュスター前公爵が領の仕事に復帰するなら、自分は邪魔になると言った。
当然俺とアルフは、ジョルジオ様に付いていく。というより、意思表示する前にギュスター前公爵側から、王都邸勤務を言い渡された。
あの時・・・・ジョルジオ様の息子は、何かを察していた。
屋敷を出る時に言っていたな。
「父上、僕は、僕なら・・大丈夫です。父上は・・・大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ」
考えてみると、香水の匂いを漂わせ、派手な格好で留守がちな母親と、執務室と領内の往復を繰り返し、黙々と働く父親だったら、父親の方を信頼するよな。
***
ジョルジオ様は、王都のギュスター公爵邸に住むことになった。
この屋敷には、俺とアルフの他、アルフの妻のシェリルも一緒に付いて行った。
通いの使用人もいるが、基本四人での静かな生活が始まった。
・・・・・・。
平穏だ。
いや、贅沢は言わない。
だが・・・・これでいいのだろうか?
ジョルジオ様は、時々フラッと出かけていって、女性と観劇したり演奏を聞きにいくことがあった。でも、少しも楽しそうではなかった。自虐的に言うこともあった。
「僕は『天下の遊び人』らしいよ。なら、それらしく振る舞わないとね」
あの女は、ジョルジオ様に相手にされなかった恨みから、王都の社交界でジョルジオ様の悪評を広めていた。完全な逆恨みだ。
ジョルジオ様は根がまじめで、自分の評判を聞き気分を害していた。だが、そのうちに自分で『天下の遊び人』と名乗りだした。王都では、いろんな女性が寄って来るので、「僕は『天下の遊び人』だから」を断り文句として使いだした。
なんの変哲もない毎日の中で、突然ジョルジオ様が結婚すると言い出した。シェリルがいるから口には出さないが、女なんかどうせ裏切るのにと思った。シェリルは女だけど、信用できる。
屋敷の中は、盛り上がった。ジョルジオ様は機嫌が良いし、アルフは喜んで調度品の手配をしている。俺も若い女性は、どんな料理が好きなのかと、久しぶりにいつもと違うメニューを考えて楽しかった。
でも一番喜んでいたのは、シェリルだ。
男兄弟の中で育ち、子どもは息子しかいないシェリルには、女主人に仕えてドレスや髪型を整えることに憧れがあったらしい。こんなものも、あんなものも用意しておかなくてはと張り切っていた。
しかし・・・
花嫁を迎えに行って、帰ってきたのはジョルジオ様一人だった。
理由を聞くと、商売をやりたいから結婚はできない、というものだった。親を説得するために、その場で髪を切り落としたという。
失礼な奴だなと思ったけど、面白いとも思った。貴族のくせに生意気だ、とも感じた。
シェリルは、ちょっと可哀そうなぐらいガックリきていたが、ジョルジオ様は清々しいをしていた。
花嫁にならなかった女のことなんて、すっかり忘れていたが、ある日突然やってきた。
毛布にくるんだ女の子を抱えて、ジョルジオ様が帰って来た。
アルフはすぐに医者を手配しに行った。
あの子は花嫁が使う予定だった部屋へと連れていかれた。
俺は青白くやせたあの子が気になって、看病にあたっているシェリルに聞いた。
「あの子は大丈夫か?どこの誰なんだ?」
「あれがソフィア様です。睡眠不足と栄養失調で倒れられたのです」
「えっ!」
「胃も弱っています。ソフィア様の状態に合わせたものを用意してください」
なんてこった!行き倒れの女の子がと思ったら違った。
なんでソフィア様がそんな状態になるのかわからないが、栄養失調なら俺の出番だ。
俺の中でやる気に火がついた。
あの子には悪いが、やる気に火がついたのは俺だけじゃなかったと思う。
アルフは、非常事態こそ執事の腕の見せ所と言わんばかりにキビキビ動いていたし、シェリルは、母性と侍女がごちゃ混ぜになっていた。
ようやくダイニングまで来れるようになったあの子を見たとき、痩せすぎだろと思った。よし俺の料理であの子を健康にしてやる!さらに闘志が湧いた。
本来料理人が、ドアの隙間から様子を窺うなんて良くないことだが、俺はどうしてもあの子の様子を見たくて食べるところを観察した。
あの子は、俺の料理を見て、目を輝かせた。
第一段階よし!
第二段階は・・・
あの子は上品に、スプーンを口に運んだ。
「おいしい・・・」
心の底から出た声だった。
その瞬間、俺は自分がどうしようもなく興奮しているのがわかった。
俺が求めていたのは、これだったんだ!
「おいしい」
純粋に俺の料理に感動してくれること。
俺はそのために料理をしていたんだ。
あの子はその後、うっかりつぶやかないように注意していたけど、俺の料理にこっそり感嘆の吐息を漏らしていたのは知っている。
毎日が楽しくなってきたところで、あの子が帰ると言い出した。
やっと顔色が良くなってきたところなのに。
ジョルジオ様は引き留めた。
でも、アルフが引き留めるのを止めた。
あの子が帰ってから、俺はアルフに聞いた。
「ジョルジオ様にさっき何を伝えたんだよ?」
「ソフィア様を迎えるならケジメをきちんとした方がいいということ」
「どういうことだ?」
「このまま家に住むようになったら、若い愛人と間違えられてしまうかもしれない。そうなったら結婚しても、愛人上がりとみなされてしまうだろう。だから、ソフィア様に傷がつかないように、一旦帰して正式に迎える形にしないと」
「愛人!?それは絶対ダメだ!」
あの子は元の生活に帰ってしまったけど、定期的に屋敷に来るようになった。あの子が来ると屋敷が活気づく。あの子は、屋敷内の風通しをよくしてくれる。
それは気持ちの面だけでなくて、実際、新たな風が屋敷内に吹いた。
大小様々な出来事があった。
ジョルジオ様は、あの子と結婚して領主代行代理になった。
おかげで俺は、ギュスター邸の料理長として客人に料理を振る舞うことが増えた。
忙しい。俺今生きている。
許せない出来事もあった。
あの時は包丁を握ったまま飛び出して、アルフに誤解されたんだよな。
「俺は大事な包丁を人には使わない。手で殴るだけだ」
と言ったら、
「マルクスがいなくなったら、ソフィア様の料理は誰が作る?ソフィア様は口の中が切れていて、食べれるものが限られているんだぞ」
って言われたんだよな。
屋敷内の結束は以前より強まった。
そして───
ジョルジオ様はハミルトン公爵になった。
俺は、最初からこうなることが、運命で決まっていたのではないかと思う。
全て、ジョルジオ様がハミルトン公爵になるための過程だったのではないかと。
いや、やっぱり俺にはよくわからん。
俺は、ハミルトン公爵家の料理長として今日も料理をするだけだ。
ハミルトン公爵家のために。
ジョルジオ様とあの子のために。




