#我が名は
(6524字)
ジョルジオ・ハミルトン公爵
先程賜った名を心の中で繰り返す。
繰り返すほどに、自分に馴染んでいく。
早くソフィアに伝えたい。
ジョルジオは、控室でソフィアの到着を待っていた。
もう少ししたら、ソフィアと共にハミルトン公爵夫妻として祝賀会に並び立つ。
ソフィアとの出会いがなければ、ジョルジオ・ハミルトンは誕生しなかった。
さらに遡ると、フィリップ・グリーグとの出会いがなければ、ソフィアとの出会いもなかった。
***
王家から嫁いできたレグナード侯爵夫人は、王都での華やかな生活が忘れられなかった。そのため、友人の子どもと自分の子の交流という名目で、長男のジョルジオを連れてしょっちゅう王都に出かけていた。
ジョルジオはこの交流が好きではなかった。王都の高位貴族の子どもたちは、職人に作らせた遊び道具を自慢し合っていた。それが少しも楽しいとは思えなかった。レグナード侯爵邸の庭で、アルフやマルクスと遊んでいる方が何倍も楽しかった。
遠くへ出かけられない弟を置いて、自分ばかりが王都へ連れていかれることにも、気が引けていた。
もし王都で子ども同士の交流が必要と言うのなら、従兄弟である王太子と遊ぶ方がずっと良かった。レグナード侯爵夫人は、王家が自分を侯爵家に嫁がせたことを恨んでいたが、子ども同士は関係なく、王太子はジョルジオが行くと常に歓迎してくれた。特にマルクスから教わった遊びを教えると、とても喜んでくれた。
「ジョルジオはいいなあ。遊びを教えてくれる子が屋敷内にいて。今度マルクス連れてきてよ」
「そうだね、いつか」
そんな会話をしながら、楽しく遊んだ。
王立学園に入学する年になった。
尊敬する父、レグナード侯爵のようになるためしっかり学ぼう、とジョルジオは思っていた。領の運営について話し合える友ができることも期待していた。
しかし、入学するとすぐに、子ども時代に王都で遊んでいた仲間に囲まれた。高位貴族である彼らが集まると、他の学生は近くに寄って来なくなった。
高位貴族の彼らは、優秀な補佐が領管理をすれば良いじゃないかという考えだった。しかも領主になったら、領に縛り付けられるのだから、学生時代は遊ばなきゃ損だと言って、その通り行動していた。
ジョルジオは、最初は彼らの誘いを断っていた。だが、彼らはジョルジオを遊びに誘い続けた。美男子のジョルジオと一緒に王都の通りを歩けば、自然と注目され何かとチヤホヤされることが多かった。ジョルジオが仲間だと、彼らの虚栄心が満たされた。
しだいに、ジョルジオは彼らに取り込まれるようになっていった。勉強もおろそかになり、休日も観劇や遊技場の出入りに明け暮れるようになっていった。
転機が訪れたのは、とあるオペラを見に彼らと劇場へ行った日だった。この日は皆、婚約者を伴って来ていた。ジョルジオは婚約者がいないので、必然的に同じく婚約者がいないギュスター公爵令嬢をエスコートすることになった。隣に座る彼女は、香水の匂いがきつく、ジョルジオはだんだん頭が痛くなり、演目が終わるころにはすっかり具合が悪くなっていた。
オペラの後、皆で食事をする予定になっていたが、ジョルジオは断った。
「お食事して、一息つけば、気分がすぐれるのではなくて?」
そう言って、ギュスター公爵令嬢は何度も引き留めたが、他の仲間が「無理して吐かれても困る」と言い、ジョルジオは解放された。
次の日、学園に行くと昨日一緒だった仲間が全員学園に来ていなかった。近くの席の男子に聞くと
「御存知ないのですか?彼らはレストランの個室で、未成年にもかかわらず、お酒を飲んでいたんですよ。たまたま同じレストランに法務省の事務官が何人かいて、あまりの大声に注意しに行ったところ、見つかったそうです。酔っぱらって、レストランの物を壊したっていうし・・・みっともない。あっ、いえ、なんでもありません。まあ、そういうわけで、とりあえず謹慎中みたいです。処分はこれから決まるらしいです。・・・ご一緒じゃなかったんですか?」
「え?」
ジョルジオは、一瞬固まった。
「いや、昨日はオペラを一緒に見ただけで」
「それは、良かったですね」
授業が始まっても、ジョルジオは授業に集中できなかった。
もし、自分も食事に行っていれば、きっと捕まっていた。お酒を一緒に飲んでいなかったとしても、仲間が盛り上がるのを止めていなかっただろう。
さっき教えてくれた男子学生の言葉と表情にもショックを受けていた。
明らかに侮蔑が込められていた。
特別だと思っていたのは自分たちだけで、傍からみたらただの鼻つまみ者にすぎなかったのだ。
ふと周りの学生を見渡してみる。
皆、教師が言うことを必死にノートに書きこんでいる。
教科書はくたびれていて、大事なところに線が引かれている。
ジョルジオの机には、綺麗な教科書とほとんど白紙のノートがのっていた。
自分がどれだけ後れを取っていたのかと思うと、背筋がヒヤリとした。
今から追いつけるのだろうか。
飲酒が見つかった学生は、程度に応じて停学処分とされた。期間は、二週間から一か月まで様々だった。寛大な処置にもかかわらず、王立学園の処分を不服とし、隣国の学園に入り直す者が何人かいた。ギュスター公爵令嬢もそのうちの一人だった。
同級生は誰もジョルジオのところに近寄って来なかった。運よく捕まらなかっただけと見られていた。
学期末の試験があった。結果は散々だった。
ジョルジオなりに勉強した。だが、すでに後れを取っている状態で、今の内容を理解するのは難しかった。
今さらだが、教師のところへ相談に行くと、他の優秀な学生と一緒に勉強することを提案された。そして、偶然同じ教師に質問に来ていた、伯爵家のフィリップ・グリーグを紹介された。
「フィリップ君は、この間の試験で一位だったね。今度の休暇は領に帰らないと言っていたかと思うが、時間はあるかな?もしあれば、ジョルジオ君と一緒に勉強してほしいんだけど」
ジョルジオは、屈辱的な気持ちで教師の言葉を聞いていた。
「はい、わかりました。ジョルジオ様さえよければ」
「・・・よろしく頼む」
悔しくても、この状況では頼むしかなかった。
フィリップは嫌な顔一つしないで教えてくれた。
侯爵家の自分に伯爵家のフィリップはずっと敬語だった。教わっているのは自分だというのに敬語を使われて、居心地が悪かった。
寮の部屋に戻り、教わったことを見直そうとノートを取り出すと、フィリップのノートが混ざっていた。少し迷ったが、フィリップの部屋に届けに行くことにした。
王立学園は皆平等と言いつつも、身分によって寮の部屋の位置や階が分けられている。下の階に下りてフィリップの部屋のドアをノックした。すぐに返事があって、ドアが開いた。
「これ、間違って持ってきたから」
「わざわざありがとうございます」
フィリップの背後、部屋の壁に何枚か地図が貼ってあるのが見えた。
「地図・・・多いね」
「え?あ、全部違う地図ですよ、見ますか?」
「うん」
なんとなく気になって、言われるがままに部屋に入って地図を見た。
「こっちがこの国の地図で、これはグリーグ領の地図です。こっちは、王都のメインストリートの地図」
「自分の領の地図を貼っているんだ?」
「はい、これを眺めながら、こうしたら流通がよくなるなあとか、国の地図と見比べて、グリーグ領と隣領の間のここが開通したらいいなあとか、考えるのが楽しくて」
「それなら今言った場所より、こっちを開通した方がよくないか?」
「あ、それだとそこの土地は大雨で浸水することが多いから・・・」
「だったら、反対側のこっちは?」
「その場合・・・」
いつの間にか、フィリップの敬語は取れていた。
途中で、ハッとしたように敬語に戻したが、ジョルジオは首を振った。
「もう、そういうのはやめよう。やりづらい。名前も呼び捨てでいいよ。それより領の運営ってこんなに奥深いものだったんだね」
「うん、僕もそう思う。領主になったら、僕はこの部分を、君はこちらの部分を、責任持たないといけないんだから、すごいことだよね」
ジョルジオは、フィリップが指し示したレグナード領を見て、全身がざわっとした。それは武者震いのようなものだった。
それから王都のメインストリートの地図に目を移すと、ぼそりと言った。
「僕はこんな大きな土地を動かさないといけないのに、こんな狭い場所を闊歩しながら得意になっていたんだな。なんだかメインストリートがちっぽけに思えてきたよ」
「いや、”ちっぽけ”ではないよ。メインストリートは歩くだけで心が華やぐと言われる場所だし、流行を生み出す場所だからね。でも僕は、自分も国を動かしている一人だって実感できるから、領主の仕事について考える方が好きだな」
「僕もだ」
それからジョルジオとフィリップは、領の運営について熱く語り合うようになった。遠巻きにしていた同級生たちも会話に加わるようになった。ジョルジオの学園生活は、入学前に思い描いていた通りになっていった。
ジョルジオは、夢と希望を持って、王立学園を卒業した。
レグナード領に戻ると、父親の傍らで領の運営について学んだ。アルフやマルクスと、”自分たちの代になったら”という話で盛り上がった。
卒業から半年、ジョルジオの結婚話が持ち上がった。
青天の霹靂だった。ずっとレグナード領の領主になるものだと思って学んできたのに、ギュスター公爵家へ婿入りすることになった。
レグナード侯爵は、最後まで難色をしめしたが、王女であった妻と公爵家からの要望に逆らうことはできなかった。
結局、ジョルジオはギュスター公爵家へ婿入りした。
ジョルジオにとって救いだったのは、アルフとマルクスが一緒に付いてきてくれたことだった。
婿入りについて、フィリップに手紙で報告すると、『ギュスター公爵領はまだまだ改善の余地がある。領主の腕にかかっている』と励まされ、気持ちを切り替えることができた。
ジョルジオは、当主となった妻の代わりに領主の仕事に励んだ。フィリップの言っていた通り、ギュスター公爵領は改善できる部分がたくさんあった。ジョルジオは一つ一つ改善していった。ギュスター公爵領はしだいに、前公爵の代より豊かになっていった。
夫の務めも果たした。自分によく似た息子が生まれた。
相思相愛の夫婦というわけではなかったが、それなりに家族として成り立っていると思っていた。
だが、妻は突然亡くなった。
一緒に亡くなった侯爵の名に聞き覚えがあった。一時王立学園にいた者だった。
ギュスター前公爵の手配は素早かった。
当主は息子になり、後見人はギュスター前公爵となった。
まるで最初から予定していたかのように。
ジョルジオは、息子に真実を知られてはならない、それだけに徹した。
虚しい気持ちで屋敷を後にするとき、息子から声をかけられた。
「父上、僕は、僕なら・・大丈夫です。父上は・・・大丈夫ですか?」
息子は知っている。
息子も言いたいことを飲み込んでいる。
息子がわかってくれているのであれば、それで充分だ。
王都のギュスター公爵邸に移ったジョルジオは、何もかもどうでも良くなっていた。
レグナード領からギュスター公爵家まで一緒に付いてきてくれた、アルフとマルクスに申し訳なかった。
王都の華やかさは、領主としての充実した日々の後では、なんの意味もなかった。人付き合いも億劫になっていた。人との関わりは、たまにお店の女の子たちを喜ばせて、お礼を言われることで満たしていた。
自分の人生は、この平坦な毎日を過ごして終わるのだと諦めていた時、旧友のフィリップから依頼があった。
娘を貰ってほしいと。
ジョルジオは驚いた。フィリップの娘は自分の息子より年下だ。よく聞くと、結婚生活に恵まれず傷ついて戻ってきたということだった。
ジョルジオは受け入れることにした。フィリップの娘ならちゃんとした娘だろう。結婚生活がうまくいかなかったという話に、自分と重なる部分もあった。
結婚すると決めると、心が浮き立った。いい年をして、我ながら可笑しかった。
娘はソフィアという名で、大柄なグリーグ家の中で、予定より早く生まれたためか一人だけ小柄だという。レグナード家もギュスター家も大柄な人間ばかりなので、ジョルジオにはソフィアがイメージできなかった。顔は両親のどちらにも似ていないと言われ、顔も想像できなかった。
グリーグ家の屋敷に着くと、懐かしい旧友に迎えられた。
これからしばらく滞在して、学生時代のように語り合えるのかと思うと嬉しかった。
応接室でソフィア嬢を待ちながら、紅茶を飲んでいると突然悲鳴が聞こえた。
「ソフィア様ー!!」
フィリップは慌てて立ち上がると、一言断って部屋を出て行った。ジョルジオは少し迷ったが、その後を追いかけた。
目的の部屋と思われる部屋から、若い女性の声がする。
「・・・・・・除籍してください」
とりあえずジョルジオは声をかけながら、部屋の中に入った。
「おいおい、フィリップ。今の悲鳴は何だい?お嬢さんに何か・・・・・あったようだね」
部屋の中、皆が視線を集める先に、凛とした若い女性が立っていた。
右手にハサミ、左手に髪束を持って。
この日のソフィアの目を一生忘れないとジョルジオは思う。
ソフィアの目を初めて見たとき、射られてもなお逃げて生き延びようとする小鹿が頭に浮かんだ。
この子は生きようとしている。
この子は逃がしてあげないといけない。
この子を生かす。
誰もが動揺する中、咄嗟にそれらしいことを言い、ジョルジオはその場をなんとか収めた。夜、ショックを受けながらも謝罪を繰り返すフィリップに、今度はジョルジオが頼んだ。
「僕にソフィア嬢を任せてくれないか。ちゃんとソフィア嬢のことを見守るから」
フィリップは、当初の予定とは違う形で、娘をジョルジオに託すことになった。
王都でのソフィアは、ジョルジオの想像をはるかに超えていた。貴族令嬢の枠など存在しないかのごとく、思いついたことはどんどん形にしていき、時には夢中になりすぎて限界まで動いてしまう。ジョルジオは、そんなソフィアを愛おしく思うようになっていた。
それでも、ジョルジオは一度だけソフィアとの関わりをやめようと思ったことがある。
自分がソフィアの夫になることを提案しても、本気だと受け止められなかった時だ。自分はソフィアの対象ではないのだと悟った。これは引くべきだと考えた。
だが、目の前のソフィアは自分を求めていた。求めているのに、自身は気がついていない。言い含める形になってしまったが、ジョルジオはソフィアの戸惑いごと引き受けることにした。実質の夫婦でなくても、ソフィアが自分の妻になったことだけでジョルジオは満足だった。
ソフィアが妻になってくれたおかげで、ジョルジオだけでなく、屋敷中が息を吹き返した。
途中で嵐もあったが、一度息を吹き返した勢いは止まることはなく、貴族議会を動かすまでになった。
ジョルジオにとってソフィアは、愛しくて尊い存在となった。
***
「ソフィア、今日から僕はジョルジオ・ハミルトンだ。陛下からハミルトン公爵の名を賜った。君も今日からソフィア・ハミルトンだ」
「はい!」
控室に現れたソフィアに告げると、ソフィアはしっかりと返事をした。
息つく間もなく、ハミルトン公爵夫妻として祝賀会で挨拶をこなしていく。
何人も挨拶を交わし、やっとダンス前の一息つける時間になった。
ジョルジオはソフィアにずっと言いたかった感謝を伝えた。
「あの時、僕は君に、”僕にふさわしい新しい呼び名をつけてくれ”と言ったね。君は本当に僕に名前をつけてくれた。どんなに望んでも手に入らなかった僕自身の名前を。ソフィア、ありがとう・・・」
ソフィアの目から涙が零れ落ちた。
不覚にも、ジョルジオも涙ぐみそうになった。
楽団は、先程とは違う音楽を奏で始めている。
ジョルジオは、スッと右手を差し出した。
そして、ソフィアに自分の名を呼んでほしくて、敢えてこう呼びかけた。
「ソフィア・・・ハミルトン公爵夫人、僕と一曲お願いできますか?」
「はい、喜んで。ジョルジオ・ハミルトン公爵」
ジョルジオは、愛しくて尊い妻の手を取り、フロアの中央に進んで行った。
ー完ー
最後までお読みいただき誠にありがとうございました。
全エピソードをお読みいただいた方 本当に感謝いたします。
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