第十七部:君に名前を
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貴族議会の日、私とジョルジオ様は朝早く目が覚めました。
どちらが誘うでもなく、自然と朝食前に屋敷内の庭園を二人で散歩していました。
「朝早いと、小鳥が近くで見られるな。ソフィア、寒くないかい?」
「大丈夫です」
「《ソフラン》の一周年記念の準備は進んでいるかい?」
「はい、進んでいます」
「一周年記念にはどんなことをするんだい?」
「《ソフラン》のロゴを一周年記念版にデザインした商品を用意したり、一周年記念の福袋を用意したり、特別感がでるように準備しています」
「そうか、それは楽しみだね。エマール商会全体のことも任されているし、ソフィアは大忙しだな。無理しないでくれよ」
「ジョルジオ様も」
「そうだな。それにしても、今日は爽やかな良い日だ」
「ええ、本当に」
私たちは、貴族議会のことには触れませんでした。朝二人で普通の会話をする、それだけで心が晴れやかになっていました。
***
貴族議会で審議中、私は仕事が手に付かないのではないかと心配していましたが、そんなことはありませんでした。当日は、案外落ち着くものでした。それどころか、ジョルジオ様と過ごした、朝の静かな時間のおかげで、いつもより仕事が捗りました。
午前は《ソフラン》で過ごし、午後は早めにエマール商会各店舗の見回りに出かけました。各店舗を見回り、発注するものは発注し《ソフラン》に戻ると、ちょうどお店を上がる時間になっていました。
私は、ロゼに後のことをお願いし、《ソフラン》を出ました。
きっとまだジョルジオ様は帰ってきていない。夕方までかかるはず。ギュスター邸の門を通り、屋敷の正面まで来ると、なんとなく私の足は止まりました。
明日からギュスター邸の空気は変わってしまうのだろうか?
そんなことを思いながら、屋敷を見上げていると、後ろに人の気配がしました。
「おっ、ソフィアも今帰って来たんだね」
「あっ、ジョルジオ様。おかえりな・・」
言い終わる前に、ジョルジオ様に包み込まれていました。
「ソフィア、ありがとう!満場一致だ。僕が四つ目の公爵家の初代になることが決定した。今度からは領主代行代理ではなく、正真正銘の領主だ。ここまで来れたのもソフィアのおかげだ」
「っ!!おめでとうございます!それは、ジョルジオ様がオーヴェル領の領民のために頑張ってきたからです」
「いや、ソフィアがいなかったら、そもそも僕がオーヴェル領と関わることはなかった。君が先にオーヴェル領の領民のために頑張っていたから、領主代行の話が来たんだ」
「でも、あの時ジョルジオ様が代行代理を引き受けてくださったからです。私ではオーヴェル領を発展させることはできませんでした」
「いや、ソフィアが・・」
「あのー、お二方とも続きは中でお話されたらどうでしょうか?」
突然、アルフの声が割って入ってきました。私は、慌てて体を離しました。振り返ってすぐにジョルジオ様に包み込まれたので、アルフが一緒にいることに気が付いていませんでした。頬がカーっと熱くなりました。
「本日は、お二方ともお疲れでしょう。早めのディナーをとれるようにマルクスに伝えておきます」
アルフは淡々と話しているようでも、顔には笑みが浮かんでいました。
「ああ、そうしてくれ。でもその前にマルクスやシェリルに貴族議会の結果を伝えよう。気になっているだろうからな」
「はい」
アルフの顔がパッと明るくなりました。
アルフとシェリルとマルクスは、ギュスター本邸からジョルジオ様に付き従い、苦楽を共にしてきた人たちです。ジョルジオ様の言葉には、ただの主従関係ではない同士としての思いがこもっていました。アルフは、ジョルジオ様の言葉から、その思いを感じたようです。
数分後には、屋敷内は興奮と喜びに満ちていました。
「今日はこんなに早く話がまとまるなんて思っていなかったよ。なぜか特に親しい交流のないグロスフォード公爵が、議会が始まってすぐ承認の意を示してくれたんだ」
「グロスフォード公爵様?」
私たちは、マルクスが腕によりをかけたディナーをとりながら、貴族議会のことを話していました。
「そう、公爵家は議会の終盤で意見を言うのが通例なんだが、始まってすぐに。そしてグロスフォード公爵に続いて、ガイル侯爵も承認の意を示してくれて・・ガイル侯爵も特別な交流はしていないんだが・・。これで一気に承認する方向になり、もう一つの公爵家が承認したところで、反対派と言われていた二つの侯爵家が承認せざるを得なくなった。あっと言う間に、僕が新しい公爵家の初代になることが決定したよ。しかし、よくわからないんだ」
「わからない?」
「なぜグロスフォード公爵が通例とは違うことをしたのか。なぜ普段交流のない僕を押してくれたのか。僕の息子、ギュスター公爵とも交流はなさそうだし、一体どうなっているのか?」
「オーヴェル領の領民からの嘆願書が影響しているのではないですか?」
「それはもちろんあると思う。ただそれだけではない気がする」
「・・・これからどうなるんでしょうか?」
「一週間後に叙爵式があり、その時に正式に家名と紋章を賜る。そしてその後、四大公爵制の復活と新公爵お披露目の祝賀会がある。この時にグロスフォード公爵と話せるかもしれない。
それとソフィア・・・領主となるからには、オーヴェル領に移り住まないといけない。大丈夫かな?」
「もちろんです。領主が自領に住むのは当たり前のことです。私も妻として支えます」
「頼もしいね。まあいつも通りでいいよ。《ソフラン》はオーヴェル領よりの所にあるから、屋敷を王都よりの所に建てれば、通いやすいかな。ここはギュスター公爵家の持ち物だから、準備ができ次第出よう」
「わかりました。・・・なんだか不思議な気持ちです」
「僕もだ」
***
叙爵式と祝賀会の日になりました。
この日を迎えるまでの一週間は、秒単位で予定が詰まっているかのようでした。事務的な手続きに加え、各貴族家の名と顔と特徴を覚え、式で着る服を仕立てて、その合間にお客様とお会いし、当然エマール商会の仕事もし・・・とにかく目まぐるしく過ぎていきました。
この間に、ギュスター公爵とも初めて直接お会いできました。ギュスター公爵は、ジョルジオ様によく似た顔立ちの方でした。ただし雰囲気は全く違いました。社交界はあまりお好きではないようで、必要最小限、顔を出せば良いという考えの方でした。
「おめでとうございます。ソフィア様、父をよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願い申し上げます」
ジョルジオ様は、この様子をホッとした顔で見ていました。ギュスター公爵が帰られた後、私に嬉しそうにいいました。
「息子は僕によく似ているだろう」
「はい。そう思います」
ジョルジオ様の華やかさは生まれつきと思われますが、本来はギュスター公爵のように前に出るのを好まない性格だと知っていました。顔立ちも性格もよく似ていらっしゃるようです。
私は、ギュスター公爵と直接顔合わせができて、やっと正式になった気がします。
「ソフィア、僕とアルフは叙爵式があるから先に王宮に行く。シェリル、ソフィアの支度を頼んだぞ」
「かしこまりました」
私は、シェリルの指示を受けた三人の侍女によって磨き上げられ、祝賀会用のドレスを着付けてもらいました。
その後、髪型やアクセサリーは、シェリルが念入りに仕上げてくれました。
鏡の中の私は、どこからどう見ても貴族夫人でした。ここからは、一部の隙もなく公爵夫人として振る舞わなければなりません。
私の表情が、スーッと変わったのをシェリルは見逃しませんでした。シェリルも同様に、公爵家の侍女頭の顔になりました。そしてお腹に両手をあて、ゆっくりと腰を折り、私に向かって深く頭を下げました。
「奥様、このたびのことお祝い申し上げます。私もこのような役目を賜り光栄です。奥様がいらっしゃらなければ、私もアルフもマルクスも、このような大きな慶びに立ち会うことはできませんでした。奥様に深く感謝いたします」
「私は・・私が何かをしたということはないわ」
「いえ───奥様がこの屋敷にいらしゃった時から、この屋敷は動き始めたのです。アルフは執事に、マルクスは料理人に、私は侍女として息を吹き返しました。私たちは、平穏な生活の中で、自分たちが本当は何をしたかったのか、ずっと忘れておりました。
でも、奥様がいらっしゃったことで、自分の本当の望みに気が付き、実現できたのです。
本日、アルフは公爵家の執事として旦那様に付き添い、マルクスは公爵家の料理長として祝賀会の準備に加わっております。私も、侍女長として、公爵夫人である奥様のお仕度をさせていただきました。
私たちは、奥様には感謝しかありません」
「シェリル・・・。こちらこそ感謝しています」
私は、涙ぐみそうになるのをグッと堪えました。私にとってシェリルは第二の母のような存在です。その人に、ここまで感謝されるなんて・・・。伝えたい思いはたくさんありました。でも、それを全て晒してしまうと、私を女主人として立ててくれている、シェリルの気持ちを無駄にしてしまいます。それに私とシェリルの間には、言葉にしなくてもすでに信頼関係があります。
「───王宮へ向かいましょう」
「はい」
王宮に着くと、祝賀会の会場に近い一室に案内されました。
部屋にはジョルジオ様が待っていました。
ジョルジオ様は、私の両肩に手を置き、目と目をしっかり合わせました。
「ソフィア、今日から僕はジョルジオ・ハミルトンだ。陛下からハミルトン公爵の名を賜った。君も今日からソフィア・ハミルトンだ」
「はい!」
ジョルジオ様は誇らしげな表情をされています。服の襟には、真新しい徽章が輝いています。徽章は、王家に次ぐことを意味する百合と、各公爵家を区別するための印がデザインされていました。ハミルトン公爵家の印は翼です。
「ハミルトン家は翼なのですね」
「陛下が、ハミルトン家には時代の先駆者となることを期待するとおっしゃってくださった。僕よりソフィアの方が、その役目は向いていそうだな」
「な、なにをおしゃっているんですか!?とんでもございません」
「はははっ、やっと表情が崩せたね。よし、これからハミルトン公爵とハミルトン公爵夫人としての初舞台だ。さあ行こう」
祝賀会が始まりました。
最初に陛下からのお言葉があり、私たちがハミルトン公爵家として紹介されました。何人かの祝辞が続き、乾杯があり立食へと移っていきました。私たちの前には次から次へと、各貴族家の方々が挨拶にいらっしゃいました。皆、新たな公爵家と交流を持ちたいのです。
挨拶の順番は序列通りです。一番最初に来られたのは、真っ先に承認してくださったグロスフォード公爵家でした。グロスフォード公爵夫妻は、私の両親より少し若く見えました。夫妻の後ろに御令嬢がいます。なんとなく見覚えがあるようなと思っていると、顔を上げた御令嬢と目があいました。
「ハミルトン公爵、お姉様、このたびの叙爵お慶び申し上げます!」
「マリアンヌ、ハミルトン公爵夫人と呼びなさい」
「ありがとうございます。マリー様」
私がこの時思ったのは、”ミリア、お友達は愛称でなく、フルネームで紹介して”でした。と言っても、知っていたから何かが変わるわけではないのですが。
「ご令嬢は妻のことを御存知なのですか?」
ジョルジオ様は不思議そうに聞きました。
「はい。ソフィア様の御姉妹のミリア様とは学友ですし、ソフィア様は私の刺繍の師匠です」
「師匠だなんて、ただ私のやり方をお見せしただけですよ」
マリー様は、刺繍教室が終わった後も、ミリアやサラ様と一緒にお店に来て、刺繍のやり方を時々聞きにきていました。《ソフラン》へも来てくださったことがありました。
「ハミルトン公爵夫人、マリアンヌからいろいろとお聞きしています。自分で考えた技術を惜しみなくマリアンヌに教えてくださっているそうですね。他人から聞かれて、自分の技術を隠さず教えることができる人間は、意外に少ないです。我がグロスフォード公爵領は、資源で成り立つ領ではなく、知識と技術で成り立つ領なので、それがどれだけ素晴らしいことなのかよく知っています」
「いえ、そんな恐れ多いことを」
「次期公爵であるマリアンヌは、貴族議会では最初に承認すべきと繰り返し主張していましたよ。ハミルトン公爵夫人の人柄と夫人を見守るハミルトン公爵の懐の広さに、承認を反対する理由がないと。
マリアンヌに押される形で、私は一番最初に承認の意を示しました。
ああ、誤解はしないでいただきたい。私は元々承認するつもりでした。領民に選ばれる領主、それを反対する理由はない。承認のタイミングだけ、マリアンヌの後押しで早まりましたが。
ハミルトン公爵、私も貴方のように領民に選ばれる領主になろうと、気が引き締まりました。また個別にお話できる機会があれば嬉しいです」
「こちらこそお願いします」
会話の余韻に浸る間もなく、目の前に来られた方と順番にお話をしていき、ガイル侯爵家の番になりました。ガイル侯爵は、グロスフォード公爵の次に承認の意を示してくれた方です。騎士をたくさん輩出している家として知られています。
立派な体格のガイル侯爵は、お祝いの言葉とジョルジオ様を称える言葉をおっしゃられた後、私の方に向きました。
「ハミルトン公爵夫人、娘のアンジェリカがお世話になっております。アンジェリカはガイル家の人間らしく騎士として頑張っておるのですが、やはり年頃の娘であることには変わりなく、女性としての気持ちに寄り添ってくださったそうですね」
「・・・アンジェリカ様は今どちらに?」
「本日は祝賀会の警備をしております。あそこの入口付近で招待客に紛れるように立っています」
ガイル侯爵が手で示した方を見ると、見覚えのある女性がいました。
「アン様・・」
ケイン様もですか・・。私の周りは、知人を愛称で紹介する方ばかりです。貴族社会において、それは大丈夫なのでしょうか・・・。
「私は、四つ目の公爵家の初代が誰になるかを知った時、僭越ながら、なんて時代に合った人選だろうと思いましたよ。領民に選ばれた領主、そして不屈の精神を持ち、新たな道を切り開く夫人。ガイル家は騎士の精神を大事にする家ですから、困難に立ち向かえる方を尊びます。
ハミルトン公爵家のご繁栄を心よりお祈り申し上げます」
ガイル侯爵家が去っていくと、また次の方がご挨拶にいらっしゃいました。
次から次へとご挨拶の方がいらっしゃっては去って行くが繰り返され、主要な貴族家のご挨拶が済んだところで、祝賀会場の明かりが落ち着いたトーンに変わり、楽団が音楽を奏で始めました。
会場係は、私たちの所へ来る人の波が途切れるタイミングを待っていたようです。今演奏されている曲が終わったら、ダンスをする方たちが出てくるでしょう。
「ソフィア、大丈夫かい?喉乾いたね」
ジョルジオ様は給仕からグラスを二つもらうと、私に一つ渡してくれました。淡い色のカクテルは、一口飲んだだけで体中に染みわたっていきました。
「僕の妻はすごい人だな。ソフィア、君のおかげで僕は貴族議会で承認された」
「それは違います。皆様、領民に選ばれた領主であることを、承認の理由にあげていらっしゃいました」
「それもあったね。だが、貴族議会の流れを決めたのは君だ。グロスフォード公爵家もガイル侯爵家もソフィアの日頃の行いが影響していた。反対派だった二つの侯爵家の方は、面白かったな」
「まあ、面白いなんて」
「御令嬢方が、反対したら《ソフラン》に行けなくなるから困るって言ったとか」
「それは、御冗談で言われたと思いますけど」
「他にも君に関係した承認理由があったね」
「私はジョルジオ様のついでだと心得てはいますが、直接褒めてくださったり、お礼を言われるのは嬉しいものですね」
「ソフィアは謙虚だな。・・・ソフィア、僕が見届け人になったときのことを覚えているかい?」
「もちろんです。忘れるわけがありません。あれが私の分岐点ですから」
「あの時、僕は君に、”僕にふさわしい新しい呼び名をつけてくれ”と言ったね。君は本当に僕に名前をつけてくれた。どんなに望んでも手に入らなかった僕自身の名前を。ソフィア、ありがとう・・・」
「ジョルジオ様・・・」
私の頬を涙が伝いました。ジョルジオ様は、私の頬をそっと親指で拭いました。ジョルジオ様の目も光っています。
私の涙が止まるのを待って、ジョルジオ様がスッと右手を差し出しました。
楽団は先程とは違う音楽を奏でています。
「ソフィア・・・ハミルトン公爵夫人、僕と一曲お願いできますか?」
「はい、喜んで。ジョルジオ・ハミルトン公爵」
私たちは手を取り合い、フロアの中央へ進みました。




