第十三部:《ソフラン》開店の日に
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エマール商会別館は三号館から離れた王都のはずれに建てられることになりました。ここはオーヴェル領に近く、王都を出る人が王都の品物を最後に買える商店通りになります。
店名は《エマール商会別館 ソフラン》とエマが名付けました。
「四号館じゃなくていいの?」
と聞くと
「この方がコンセプトが違うのがわかるから」
と言われました。ソフィアの名前に由来する店名に、エマの気遣いを感じました。
《ソフラン》が完成するまでは、目まぐるしい日々になりました。
大工さんと打合せして、建物の設計や内装を決めたり、店内に置く商品を作ったり、リルとロゼの後に入ったララとレイナに刺繍を教えたりと、とにかくやることはたくさんありました。やればやるほどエマへの尊敬の気持ちが湧いてきました。
「エマはこれを全部一からやってここまできたんだね。自分で動けば動くほどエマの凄さがわかってきたわ」
「うふふっ。面と向かって言われると照れるわね。私は学生時代に商会で働かせてもらっていたし、その時の出会いが良かったんだと思うの。若かったから、無知でも飛び込んで行けたし。今思い出すと我ながらヒヤッとすることもいっぱいあるもの」
エマ本人に言うと謙遜してしまうので、私は心の中だけで尊敬することにしました。
「そういえば、最近はケイン様もアン様も三号館にいらっしゃらないのですね?お忙しいのかしら」
「そうねえ、少し王都内の警備を強化しているみたい。酔っぱらって平民に横暴な振る舞いをする貴族の話をたまに聞くけど、最近は特にそういう訴えが上がってくるみたい。基本、貴族から平民への行いは、罪に問われないとはいえ、何でも許されているわけではないからね。貴族の品格があってこそだし、街の治安が悪くなるし・・・」
「ケイン様たちも大変なのですね」
新しくやってきたララとレイナに刺繍やお店での仕事を教えるのは、リルとロゼに教えたときより楽にできました。ララは孤児院から来た子で、レイナは商家の子です。
リルとロゼの時は、迷いながら教えていましたが、今度は段取りがわかっているので、スムーズに教えることができました。また、私でなくても、リルとロゼが教えられることもたくさんありました。むしろララとレイナは、私よりリルとロゼからの方が教わりやすいようでした。
リルとロゼの方が自分たちに近い存在で、頑張ったらなれる未来の見本と思っているようです。早く追いつきたいという思いが熱心さにつながり、ララとレイナはぐんぐん成長していきました。
忙しさの中、私一人だったら、また倒れていたかもしれませんが、そうならなかったのはジョルジオ様と結婚しているおかげでした。ジョルジオ様はじめ、ギュスター邸の人たちの大きな支えがありました。
アルフは私の予定に無理がないか管理し、シェリルは身の回りのことをやってくれて、マルクスは食事に気を遣ってくれました。マルクスは、ランチボックスまで用意してくれました。
そしてジョルジオ様は、私の頭がいっぱいで何をどうしたらいいんだろう?という時には、必ず気が付いて、絡まっている糸を解いてくれました。また、昼餐会に出れない私を咎めるどころか、逆にお店のことを話題にしてくれていたようです。
周りの人たちに恵まれすぎて、大丈夫かしらと心配になるぐらいです。
唯一の懸念は、商店通りの人たちが、新参者の私によそよそしいことでした。
近隣のお店に挨拶に行ったり、商店通りの女性会長さんに面会に行った時も、快く思われていないようでした。会長さんの言葉の端々に、排他的なものを感じました。
「まあ、精々頑張ってください。念のため申し上げますが、この商店通りは、自分のお店のことだけ気を遣えば良いっていう場所ではないです。お互いに協力し合っています。お店だけでなく、通りも交代で清掃していますしね」
「はい。もちろん私も商店通りの方たちに協力します」
「開店の日は、〇日でお願いします。悪いけど、その日は定休日のお店が多いから、人通りは少ないです。全部休みにすると旅行者が困るから数店舗は開いていますけど。私も立場上、開店に立ち会いに行きます。休みたかったのに」
「申し訳ございません。よろしくお願いいたします」
このことをエマに伝えると、エマはうんうんと頷きながら言いました。
「最初はそんなものよ。エマール商会立ち上げたときも、周りは厳しかった。それは仕方ないことだと思う。元々あった集団に加わるってそういうことよ。・・・それに、ソフィアは地味な格好をしていても、貴族なのはわかるからね。反感もたれやすいかも・・」
「商店通りで認めてもらえるよう頑張るわ」
私は決意を新たにしました。
***
今日はいよいよ《エマール商会別館 ソフラン》の開店の日です。朝から緊張と興奮でいっぱいです。こちらには、ロゼが一緒についてきてくれることになりました。ロゼは刺繍係で働き始めましたが、いろいろ手伝ってもらっているうちに、在庫管理や会計などの数字に強いことがわかりました。大変頼もしい味方です。
「ソフィア、いよいよ今日だね。よく頑張ってここまできたよ。僕は後で《ソフラン》が開店する瞬間を見に行くよ」
「ジョルジオ様や皆様のおかげです。本当にありがとうごさいます。私は開店前の準備があるから、もう行きますね。ジョルジオ様、行ってきます」
「ああ、また後で」
アルフやシェリルやマルクスも、皆が穏やかな笑顔で見送ってくれます。
私はギュスター邸を出て、《ソフラン》へ向かいました。今日は定休日のお店が多いので、商店通りは静かでした。お店に着くと、ロゼもやってきました。エマは開店の瞬間に立ち会うために、もう少ししたら来てくれることになっています。
「おはようございます。私お店の前を掃除してきましょうか?」
「おはよう、ロゼ。ありがとう。そうね、まずは通りの掃除をしましょう。どこまでやればいいのかわからないけど、左右に分かれて、十軒先のあたりまで掃き掃除をしましょう」
私は腕まくりをすると、ほうきを持って通りを掃きました。他のお店の方に挨拶し、ほうきを動かしていると、気持ちが落ち着いてきました。掃き掃除が終わると、お店に戻り、ロゼに店内の商品棚の確認を頼みました。私は、花を飾るため、店前に出ます。誰が一番最初のお客様になってくれるんだろう?そんなことを考えながら作業しているうちに、開店時間近くになっていました。
「店長、そろそろ時間になります。準備をお願いします」
”店長”、その言葉をかみしめながら、お店の中に入ろうとした時、ふいに近くに人の気配を感じました。ジョルジオ様かしら、と気配をした方に顔を向けました。
その姿を目で捉えた瞬間、私は声にならない叫び声をあげていました。
「・・っ!!」
─────それは、数年ぶりに見るハワード様でした。ハワード様は、ユラユラとした足取りで、明らかに酒気を帯びています。赤黒くなった顔は美しい顔立ちと相俟って、なおのことゾクっとするものでした。好青年と言われていた面影はどこにもありません。目だけはギラギラと私を見据えています。
逃げなきゃ、逃げないと危ない!
わかっているのに、私の足は動かなくなっていました。
ハワード様の目は、視線を逸らすことも逃げることも許さないと告げています。
私の視界にはハワード様しか映らなくなっていました。
膝がガクガクして、自分でもわかるぐらい震えていました。
「おいっ!!ソフィアっ!オーヴェル領を乗っ取っただろう!ふざけんな!こんなところで悠長に店なんか開きやがって!」
ガシャン!
私が台の上に置いた花瓶や鉢植えを倒しながら迫ってきます。
「全部お前のせいだ!おいっ!!何とか言えよ!」
ハワード様は、私の真正面まで来ると、ガッと両肩を掴んで私を大きく揺さぶりました。怒鳴りながら揺さぶり続け、それでも何も言わない私に苛立ったのか、突き飛ばすように手を離しました。よろけた私に、抵抗する間もなく、ハワード様の右手が降ってきました。
ゴンッ!!
左頬に重い衝撃があり、私は地面に倒れました。割れた鉢植えや花瓶の欠片の上に倒れたためか、腕にサッと痛みが走り、顔にもピシッと何かが掠めました。傷を確認する前に足を蹴られ、私は無意識に身を守るよう体を丸めました。
殺される!
丸くなったまま、私は心の中でひたすら叫んでいました。
────!
─────!!
──────ジョルジオ様!!!
背中を数回蹴られたところで、フッとハワード様の気配が遠のきました。
ドサッと音がして
「何やってるんだ!!」
というジョルジオ様の声が響きます。人が駆けつける音がして、「捕まえろ!」と誰かが叫んでいます。
「ふざけんな!放せっ!僕を誰だと思っているんだ!オーヴェル侯爵だぞ!放せ!」
私は丸くなったまま固まっていました。
足音が、ザクッと近づきました。
「ソフィア!ソフィア!!僕だ!ジョルジオだ!!もう大丈夫だから」
大きな手が優しく背中に添えられて、温かさが伝わってきます。私は恐る恐る頭を守っていた腕を外し、丸めていた体を開きながら、ジョルジオ様の方に向きました。
「ジョルジオ様・・・・来てくださったんですね・・良かった・・またお会いできた」
「っ!!・・・」
私の顔を見た瞬間、ジョルジオ様の顔色がサッと変わりました。赤く腫れた顔、切れた唇で顔を殴られたのがわかったようです。
「ソフィア、喋らなくていい。まずは傷の手当だ」
「・・・・あ、エマ・・お店・・ごめんなさい」
「ソフィア、そんなことはいい!早く手当しないと!」
ジョルジオ様の後ろにエマもいました。エマの目に涙が浮かんでいます。エマはハンカチで腕を縛ってくれました。
気がつけば辺りは騒然としていました。人通りが少ない時間で、却って怒声が響き渡っていたようです。商店通りの人たちが集まっていました。中には会長さんもいます。お店の前は、割れた鉢植えや花瓶が散乱して酷い有様です。ロゼは青ざめた顔で、バケツを持ったまま立ち尽くしていました。
ハワード様は、巡回で駆けつけたケイン様とアン様によって捕らえられ、護送用の馬車に入れられているところでした。
「ソフィア、痛いかもしれないが持ちあげるぞ」
馬車まで運ぶため、ジョルジオ様が私を抱き上げました。ジョルジオ様の腕の中で、私は冷静さを取り戻していました。
抱きあげられた状態で、立ち尽くしているロゼに声をかけます。
「ロゼ、楽しみにしていたのにごめんね・・・悪いけど片付けと戸締りをお願い・・」
ロゼは、無言で首を大きく縦にぶんぶん振りました。
ああ、こんなことになるなんて・・・。
商店通りで、こんな酷い騒ぎになってしまった・・・商店通りの人たちは、出て行けと思ったかもしれない・・・・・。きっともう受け入れてもらえない・・。それでも・・・言うことは言わないと・・。
私は、商店通りの人たちや会長さんの横を通るときに
「お騒がせして申し訳ございませんでした」
と謝罪しました。
私は悔しさと痛みの中、ギュスター邸に帰りました。
***
ギュスター邸に戻ると、ちょうどアルフとシェリルとマルクスが、私の開店祝いについて話しているところでした。
ジョルジオ様に抱き上げられ、血と土塗れの状態の私を見ると、普段冷静なアルフとシェリルが、ヒッと息をのみました。
「こ、これは一体・・!」
「説明は後だ。じきにブランナー医師が来る。シェリル、汚れたところを綺麗にして、可能なら着替えさせてくれ。痛がるなら無理させなくていい。マルクス、お湯を用意しておいてくれ。アルフは後で執務室へ。ハワード・オーヴェルの厳罰を求める訴状を出す」
一通り指示を出すと、ジョルジオ様は普段使っていない夫婦の寝室へ私を運びました。ここは、寝室とつながっている別室があります。私の状態によっては夜も待機が必要と判断したようです。
シェリルは私の顔や腕の傷、アザだらけの体を見て、怒りに震えながら体を拭いてくれました。
ブランナー先生の診察によると、骨は大丈夫だけど打撲がひどく、全治三週間と診断されました。腕の傷は少し深かったので、何針が縫いました。自分では気が付いていませんでしたが、跳ねた破片で顔も切り傷ができていたようです。顔の傷、口唇と口の中の傷は、自然に治るのを待つことになりました。
私は診察後、よく眠るよう薬を出され、そのまま次の日まで眠り続けました。
眠っている間に、ギュスター邸の人々が、激しい怒りを爆発させていたことを、大分後になって知りました。
マルクスが、包丁を持って飛び出していこうとしたこと、アルフとシェリルが普段使わないような乱暴な言葉を口にしていたことなど・・・。
そして、ジョルジオ様の見たことのない怒りの形相など。
私は、傷が癒えるのをただ待つしかありませんでした。その間、ギュスター邸にはいろんな人が、お見舞いの手紙をくれたり、実際に会いに来てくれました。人通りが少ない状況だったとはいえ、人目のある通りで、オーヴェル元侯爵が元妻を探し出して暴行を加えたというニュースは、あっという間に知れ渡っていました。
ミリアは話を聞くと、学園を抜け出し来てくれました。その後も何度か来てくれました。サラ様とマリー様は、ミリアを介してお見舞いの品を届けてくれました。
遠く離れたグリーグ伯爵家にも伝わり、両親が駆けつけてきました。お母様は、私の顔と腕に巻かれた包帯を見て、その場にしゃがみ込んでしまいました。この時ほど、グリーグ伯爵領が離れていてよかったと思ったことはありません。両親が王都に到着するまでに、顔の腫れや唇の傷は一番酷い状態は過ぎていましたので、最悪な状態を見せずに済みました。体の方はアザだらけで痛みもひどかったのですが、なんとか堪えて平気なふりができました。
上手く誤魔化していたつもりでしたが、ジョルジオ様には、両親がいるとかえって私が無理をしてしまうとわかったようです。お父様にだけそっとお話して、後は経過をみるだけだからとお母様に伝え、帰ってもらうことになりました。
「フィリップ、夫の僕が付いているから任せてくれ」
「・・・わかった。よろしく頼む。それにしてもあの男は・・!厳正に裁いてもらわねば」
お父様は最後まで怒りをあらわにして、グリーグ領に帰って行きました。帰る前に、厳罰を求める訴状を直接提出していったようです。
エマも何回か、お見舞いに来てくれました。最初に来てくれた時、いきなり謝られて、私の心が痛みました。
「ソフィア、ごめんなさい。私が別館の店長をお願いしたばかりにこんなことになって・・・」
私は、慌てて否定しました。
「それは違うわ、エマ。私が自分で決めたことだもの。それより、私の方こそごめんなさい。エマール商会の名があるのに、こんな大騒ぎになってしまって・・・・。あの後、自分では何も対処しなくて」
「何言っているの!そんなの、仕方ないことじゃない」
「・・・・・きっと商店通りの人たちは、もう受け入れてくれないわね・・・ロゼも・・私と一緒は嫌でしょうね・・・」
「・・・ソフィアが思っている感じとは違うかも。あの後ね、お店の前の片付け、商店通りの人たちが手伝ってくれたのよ。申し訳ないけど、会長さんにソフィアの事情をざっと伝えたわ。ソフィアのこと、すごく心配していた。ロゼはね、助けにいけなかったことを悔やんでいるみたい」
「そんな!そんな危ないことロゼがしなくて良かったのよ」
「私もそういう風に伝えたんだけど・・・。ソフィアはこれからどうする?」
「・・・・・どうする?」
「ソフィアが完全に回復するまで、まだ三週間あるわ。これだけのことがあったら、ソフィアの一存だけで今後のことを決められないと思うの。ジョルジオ様は、本当にソフィアのこと大事に思っているし、ソフィアはギュスター邸の人たちにとって大事な人だわ。ジョルジオ様とよく相談してたくさん考えた方がいいと思う。私、時々顔を見に来るけど、心が決まるまでは何も聞かないから」
エマの言うことは、よくわかりました。
これだけ心配をかけてしまって、”体が回復したから行ってきます”、というわけにはいきません。
ジョルジオ様はどう思っているのか、聞いてみないといけません。そして、これとは別に、私はジョルジオ様にどうしても伝えたいことがありました。
私はもう終わりかもしれない───
そう思ったときに強く願ったのはジョルジオ様のことでした。
私は、後悔したくありません。




