第九部:充実と過信
(5711字)
「最近、顔色悪くないかい?ソフィア、ちゃんと栄養と睡眠をとっているかい?」
時々様子を見に来るジョルジオ様が、私の顔を見るなり言いました。
実は、お店の刺繡商品作りと《ソードレディ》で頼まれた仕事が忙しく、私の食事と睡眠はいい加減になっていました。《ソードレディ》からの注文が徐々に増えており、新規の受付を停止してもらうぐらいになっていました。女性騎士の方たちが出来上がりを待っていると思う焦りから、自分の休みの日も刺繍に明け暮れていました。
「そうですか?今とっても充実しているんですよ。せっかく私を必要としてくれているんだから頑張らないと」
「ソフィア、自分の体を壊したら元も子もないぞ。仕事のペースを決めるのも仕事のうちだぞ」
「わかっています。でも、今が頑張り時だと思うんです。これを乗り越えたら、慣れてくると思うので」
私は、ジョルジオ様の心配を、そんなに大きく受け止めていませんでした。
後から、ジョルジオ様の言う通りだったと思うことになるのですが・・・。
私の様子を見に来るのは、ジョルジオ様だけではありませんでした。ミリアも休日に時々来ていました。ミリアは、学園のお友達を連れてくることもありました。この日ミリアが連れて来たお友達は、少し浮かない顔をしていました。ミリアは、私とお友達を引き合わせると言いました。
「お姉様、彼女の相談に乗ってあげてほしいの」
「私が?何かしら?」
私に女子学生が相談したいことなんて、想像もつきませんでした。
「突然押しかけて申し訳ありません。私はサラ・ドレーヌと申します。こんなことをお願いするのは図々しいとわかっていますが、私に刺繍を教えていただけないでしょうか?今度、婚約者の家で刺繍の会をするから来るように、と言われているんです。でも私、小さい頃に母が亡くなっていて、刺繍のやり方を教わる機会がなかったんです」
「まあ!教えるのは構わないのですけど、婚約者のお家の方に、ありのままお話された方がいいのではないかしら?婚約者のお母様に教えていただいた方が、関係も深まりますし」
「駄目なんです。婚約者のお祖母様が厳しい方で、最低限の嗜みがあるか見るみたいなんです。お母様には相談したのですけど、お母様が教えたのがわかると困るので、誰かに教わってきなさいって言われているんです。私、一体どうしたら・・」
サラ様は、今にも泣きだしそうです。ミリアも一緒に困った顔をしています。私は、何とかしてあげたくなりました。とは言え、短期間で高度な技術をと言われたらこちらも困ってしまうのですが・・。
「刺繍の会はいつなのかしら?どれくらいのレベルを求められているのですか?」
「一か月後です。今月の最後の休日です。レベルはそんなに難しいことは求められてないんです。刺繍の会は、その日の主催が選んだテーマで各自が何を刺繍するか決めて、30分以内に仕上げないといけないんです。時間内に仕上げることが重視されるみたいです。その後、仕上げた作品をお互いに品評しながらのお茶会があって・・」
「私もそのタイプの刺繍の会に、参加したことがあります。やり方を指定されていないのなら、なんとかなると思いますよ」
授業のある平日は無理なので、刺繍の会前の三回の休日で、サラ様に刺繍を教えることになりました。場所は閉店した後の控室を使わせてもらうことになりました。
初日、サラ様とミリアだけが来るものと思っていましたが、ミリアはもう一人お友達を連れてきました。
「お姉様、・・・マリー様もいいかしら?」
「ミリアのお姉様!私、お姉様の刺繍のファンなんです!ぜひ見学だけでもさせてください」
予定外ではありますが、”ファン”とまで言われたら断れません。マリー様も加わり、私の刺繍教室が始まりました。
一回目は、サラ様に基本パターンをお教えして練習してもらいました。複雑なパターンを知らなくても、基本パターンを正確にたくさん並べればそれなりに見栄えがします。
二回目は、覚えたパターンを使って、布に書いた線をどれぐらいの早さで刺繍し終えるのかを確認しました。また、二つのパターン、三つのパターンの組み合わせで、見え方が変わるのも確認してもらいました。サラ様は、一人でかなり練習されたようで、前回よりかなり早く綺麗にできるようになっていました。
三回目は、実践です。いきなり布に針を刺していくのは難しいので、この線なら刺繍し終わるという線を布に書いてもらいました。線を刺し終わって時間が余っていたら、線で囲まれた部分にも刺繍を施すということになりました。幸いサラ様には絵心があるようで、自分のイメージを綺麗に描けます。なので、線の通り刺繍が時間内に完成できれば、きちんとした作品になるでしょう。
マリー様は、一回目は見学していましたが、二回目からは一緒に刺繍するようになりました。マリー様は婚約者に贈るハンカチの刺繍を、私に相談したかったようです。マリー様の刺繍の技術は元々優れていましたので、マリー様が興味を持った刺繍のやり方を教えて差し上げました。
「新しく店頭に並んだポーチの立体の刺繍、どうしたらあんな風にできるのかしら?」
「あの刺繍にご興味を持ってくださったのですね。あれは最近私が考案したものなんです。やってみますか?今刺している図案は、立体的に仕上げた方が合いそうですし」
「えっ!よろしいんですか?ありがとうございます!」
ミリアも横で一緒に刺繍をし、最後にお店の片付けを手伝ってもらいました。
「サラ様、刺繍の会が上手くいくことを祈っています。きっと今のサラ様なら大丈夫ですよ。マリー様も、そのハンカチをお渡ししたら、婚約者の方すごく喜ばれますよ」
「ありがとうございます。緊張はしますが、当日何とかなりそうな気がしてきました。結果は報告します」
「私、このハンカチを渡すのが楽しみです。ありがとうございました」
私は、誰かに何かを教える楽しさ、教えた相手が上達していく喜びを感じていました。刺繍教室が終わってしまった寂しさもありましたが、感傷に浸っている場合ではありません。
私は、自分の部屋に帰ると食事もそこそこに、お店の刺繡商品の製作に取りかかっていました。
***
今日はサラ様の刺繍の会の日です。天気も曇りで、寒い日のようです。上手くできているかしらと心配しているせいか、頭が重たい感じがします。
午後、各店舗の見回りが終わって三号館に来たエマが、私の顔を見た途端に言いました。
「ちょっとソフィア!顔色!!うわっ、熱があるじゃないの。お店に立っている場合じゃないわ。休んで!休んで!」
私の額に手を当てたエマが、慌てて言いました。有無を言わさずお店から押し出されます。
「ごめんね。ソフィア。用事を済ませたら、すぐ見に行くね。一人で部屋に戻れる?」
「大丈夫、大丈夫」
私は、お店の裏に回りました。裏にある外階段を上がると私の部屋です。よろよろと歩いて、階段の下まで辿り着くと、私はうずくまってしまいました。今階段を上がるのは危ない、少し休んでから上がろうと考えていました。でも、体が寒くて寒くて、震えはどんどん大きくなっていました。
「ソフィア!大丈夫か!」
うずくまっているところに、ジョルジオ様が駆けつけてきました。私の様子を見に来て、エマ様から話を聞いたのでしょう。熱のせいなのか、普段の私なら、絶対にジョルジオ様に言わないようなことをお願いしていました。
「ジョルジオ様、私を二階のお部屋に連れて行ってください。一人で階段を上がれそうになくて・・」
私はそう言って、部屋の鍵を差し出しました。この辺りで私の意識は薄れていきました。その後のことは、ジョルジオ様やエマから聞くことになるのですが、意識がしっかりしていたら絶対にお断りするような事態になっていました。
*
見届けるという名目で、お店を訪れたジョルジオは、ソフィアがいないことに気が付いた。
「エマ嬢、ソフィア嬢は休みかい?」
「あ、ジョルジオ様、ソフィアは熱があるので二階の自分の部屋に戻ってもらったんですよ。様子を見に行きたいんですけど、手が離せなくて・・。いらっしゃいませー。すみません、ちょっと失礼します」
普段のジョルジオなら見届け人という名目があったとしても、ソフィアの部屋に近づこうとは思わなかった。ただこの時は、前回見た顔色の悪さがどうにも気になり、せめて部屋の外から声をかけて、必要なものを用意するぐらいはいいだろうと考えた。お店の裏に回ると部屋へ上がる階段がある、と聞いている。行ってみると、ソフィアが小さくうずくまっていた。
「ソフィア!大丈夫か!」
「私を二階の部屋へ・・・・階段を上がれなくて・・・・」
ジョルジオは慌ててソフィアに駆け寄った。震える手で鍵を差し出すソフィアの目は、焦点が合っていない。早くベッドに運んで、医者を呼ばねば。ジョルジオは先に部屋のドアを開けておいてから、ソフィアを運ぶことにした。鍵を受け取ると、階段を上がり、部屋のドアを開けた。
「えっ!?これは・・・」
それは、どう見てもただの作業部屋だった。テーブルの上にはやりかけの刺繍、たくさんの刺繍糸、裁縫箱が整然と置かれていた。壁にはたくさんのメモが貼られており、よく見ると注文伝票のようだった。ハンガーラックには、刺繍を引き受けたと思われる、メモ付きの服が何枚も掛けられている。ベッドがなければ、本当にただの作業部屋だった。ふとキッチン部分に目を向けると、お皿にのった食べかけのパンが見えた。食べ物はそれ以外見当たらなかった。
「駄目だ。ここでは駄目だ」
ジョルジオは、ベッドの上の毛布だけ手にすると、部屋の鍵を閉めて、ソフィアの所へ戻った。毛布でソフィアをくるむと、少しだけ待っているように言い、大通りを走っている辻馬車を止めた。お店の中にいるエマに、ソフィアを連れて行くことを告げた。そして、ソフィアを抱きかかえると、辻馬車で自分の屋敷に向かった。
屋敷では、幼い頃から一緒に過ごしている執事のアルフと、アルフの妻シェリルが出迎えた。ジョルジオの腕に抱きかかえられているソフィアを見て二人は驚いたが、青い顔でガタガタ震えていることにすぐ気が付く。これは非常事態だ。アルフはすぐに、一番早く往診してくれる医者を手配するために動いた。
「シェリル、部屋はまだあるか?」
「はい。用意した時のままになっています」
「そこへ運ぶ。ソフィアを着替えさせて、それから毛布をいっぱい用意してくれ」
屋敷内は、にわかに慌ただしい空気に変わった
それから三日三晩、ソフィアは眠り続けたのだった。
*
毛布がフワフワしている。
まるでグリーグ伯爵家にいるみたい。
なんだか部屋の匂いがいつもと違う。
そろそろ起きて刺繍しないと。
誰かがタオルでおでこを拭いている・・・?
私は違和感を覚えながら、目を開けました。
「え!?」
「あ、気が付かれました?」
目の前には、ブランナー先生とジェイン様の顔がありました。
「ソフィア!目を覚ましたか!」
そしてジョルジオ様の顔が視界に飛び込んできました
「え!?私、どうして・・・」
「ソフィア様は熱を出して倒れたのですよ。ただの風邪ならここまで寝込むこともなかったと思いますが、過労、睡眠不足、栄養不足などが重なったことが影響したと思います。ソフィア様は、貧血気味でもあるから、大分前から立っているのが辛かったと思うのですが・・」
「私、倒れたのですか?それで寝込んで。・・・っ!!今、何日ですか?頼まれたもの仕上げないと」
ブランナー先生の説明だと、私は何日も寝込んでいたようです。ハッとして起き上がろうとすると、ジェイン様に制されました。
「ソフィア様、それは大丈夫です。エマさんがディーナさんに説明して、依頼主の方にお伝えしていますから。今は体を治しましょう」
「そんな・・・・」
「ソフィア様、申し訳ないですが、この後往診が二か所あるので、僕とジェインはそろそろ出ないといけません。まだ微熱はありますが、後は栄養とって体力の回復を待つだけです。食事は無理せず、胃に優しいものから始めてください。また様子を見に来ます」
ブランナー先生は、後半部分はジョルジオ様に伝えると、ジェイン様とともに部屋を出て行きました。入れ替わりに、見たことのない侍女風の方がジョルジオ様の近くに立ちました。
「・・・・あの、ジョルジオ様、ここは一体どこでしょうか?私、なぜこのベッドで寝かせてもらっているのでしょうか?」
ジョルジオ様は、ため息をつきながら言いました。
「何も覚えていない?・・・そうか。君が熱を出して部屋に戻ろうとした日、僕は階段の下でうずくまって震えている君を発見したんだ。君は部屋に連れて行ってほしいと言ったが、あの部屋に病人を置いてくるわけにはいかなかった。だから僕の屋敷に連れて来た。ここなら、常に誰かいるから、何かあっても対処できる」
「えっ!?」
今度こそ、私は起き上がりました。ベッドを出て立とうとしたところで、くらっときてしゃがみ込みました。私は、すぐにジョルジオ様の手でベッドに戻されました。
「ソフィア嬢、さっきの話を聞いていただろう。言いたいことは山ほどあるが・・・今は余計なことは考えず、とにかく体を治しなさい。こちらの彼女はうちの侍女頭・・・と言っても住み込みの侍女は彼女しかいないけど・・・シェリルだ。ここにいる間は彼女が君の世話をしてくれる。シェリル、厨房に彼女の食事を頼んでおいてくれ」
「わかりました。ソフィア様、私はシェリルと申します。このお屋敷にいる間は、私に何でもお申し付けください。ソフィア様、起きたてで、喉乾いていませんか?お水飲みましょう。それから汗をかいているようなので、体を拭いて着替えましょう。ジョルジオ様は一旦外へ出てください。いえ、それより一度しっかりお休みください」
シェリルさんは、ジョルジオ様と同年代に見えました。私がこれ以上迷惑をかけないためには、大人しく言うことを聞くしかなさそうです。お水を飲んで、体を拭いてもらって、着替えさせてもらうと、気持ちよくなって、また眠りに引き込まれていきました。




