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十年前、俺以外の英雄は全員死んだ。〜無能な生存者が、嘘をついてまで「英雄」を継がなければならなかった理由〜  作者: 蒼野湊


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第3話「英雄の、嘘の使い方」

 壺の作戦は、七割ほど成功した。


 自警団が祠の壺を村の外に運び出した夜、クロウリーの群れは予測通り西側から現れ、壺の方へと移動していった。自警団が松明と罠で追い立てて、群れの大半を追い払った。完全ではないが、これで終わるはずだった。


 問題は残り三割だ。


「英雄様──!」


 カイが走ってきた。夜明けまであと少しという頃合い、村の東側に残った十数匹のクロウリーが柵を破って侵入してきたという。


「はあ」


 アルトは宿の部屋で受け取った報告に、短く息をついた。


 面倒なことになった。


 東側はちょうど民家が密集している方角だ。魔物が家の間に入り込めば、松明も罠も使いにくくなる。自警団だけでは、人数が足りない。


「英雄様が直接──」


「わかってます。行きます」


 外に出ると、すでに何人かの自警団員が松明を持って東側へ走っているのが見えた。夜明け前の空が、少しだけ紫がかっていた。


 アルトは剣を左手で抜いた。右手は使わない。いつもそうしている。


 魔物と直接戦うのは、できるだけ避けたい。戦えば嘘がバレやすくなる。英雄の戦い方というのは独特だ。身のこなしが違う。力の使い方が違う。アルトには、そういうものがない。普通の人間の、どこにでもいる剣士と同じ戦い方しかできない。


 それでもどうにかしてきたのが、この十年だった。


 東側の路地に入ると、クロウリーが三匹、民家の軒先にうずくまっていた。黒い体毛、丸い目、牙が四本。単体なら怖くもないが、群れると話が違う。奥の方からも気配がした。


 アルトは止まった。


 考える。


 路地は狭い。剣を振るには悪い条件だ。松明で追い立てようとしたら逃げ場がなくなる。かといって正面から突っ込むのは下策だ。


 ──なぜクロウリーは東側に残ったのか。


 壺の匂いを追って西に行ったはずなのに、なぜここにいる。


 答えはすぐ出た。


「カイくん、この路地に、食べ物を貯蔵している家はありますか」


「え? あの……東の突き当たりの納屋が、村の食料倉庫になっていますが」


「それです」


 クロウリーは魔力のある物にも引き寄せられるが、腹が減れば食い物の匂いも追う。壺の作戦で大半が動いたのに、十数匹が残ったのは、食料倉庫の匂いが強すぎたからだ。


「倉庫の扉を開けて、中の食料を外に出してもらえますか」


「え、でも食べられ──」


「少しでいいです。倉庫の外に置くだけで。魔物の進路を変えたい」


 カイが少し迷ってから走った。アルトはその間、路地の入り口で松明を持った自警団員と並んで立ち、魔物が奥に進まないよう位置を保った。本物の戦いにはならない程度の、存在感だけで制するような距離感。これが限界だ。


 しばらくして、東の突き当たりの方から扉が開く音がした。


 クロウリーたちが、一斉に鼻先を上げた。


 向きが変わった。


 路地の奥へ、倉庫の方へ、三匹が走り出した。残りも続いた。自警団員たちがそれを追って、倉庫の外に誘導し、囲んで追い払う。アルトは少し後ろで、それを見ていた。


 夜明けの光が、少しずつ空に広がってきた。


「終わりました!」


 自警団員の一人が声を上げた。


 アルトは剣を収めた。


「ありがとうございました、英雄様。本当に──ありがとうございます」


 自警団長が頭を下げた。隣でカイが安堵した顔をしていた。包帯を巻いた父親が「ありがとうございます」と繰り返した。


 英雄らしいことは何もしていない、とアルトは思う。


 壺の匂いと食料の匂いを利用して、魔物の動線を変えただけだ。英雄の力も英雄の剣技も、一切使っていない。それでも事態は解決した。誰も怪我をしなかった。


 それでいい。


「英雄様は、本当に戦わないんですね」


 カイが隣に立って言った。批判ではなく、純粋な観察として。


「戦わなくて済んだので」


「でも普通、英雄って戦うと思います」


「英雄にもいろいろいます」


 カイが何か言おうとした時だった。


「──お前は本物ではない」


 低い声がした。


 アルトは振り返った。


 路地の外、朝の光の薄い場所に、男が立っていた。三十代くらいか。旅人の格好をしているが、目つきが違う。こちらを計算している目だ。


「誰ですか」


「通りすがりです。でも少し、気になることがあって」


 男は笑った。笑っているが、温度がない。


「本物の英雄様は、もっとご立派なお姿のはずでしたが」


「人の見た目で英雄かどうかは決まりませんよ」


「そうですね。でも」


 男はアルトの左手を見た。


「右手で剣を持たない英雄を、私は聞いたことがありません」


 一瞬、息が止まった。


 アルトは顔に出さなかった。十年間で、そういうことだけは上手くなった。


「癖ですよ」と言った。「昔、右手を怪我してから、左手の方が使いやすくて」


「そうですか」


 男は笑ったまま踵を返した。


「失礼しました、英雄様」


 朝の路地に、足音が消えた。


 カイがアルトを見た。アルトは視線に気づいていたが、何も言わなかった。右手をポケットに入れて、その中の指輪をそっと握った。


 ──右手で剣を持たない。


 知っている人間が、いた。


3話、ありがとうございます。


アルトの「戦わずに解決する」スタイルがわかってきた頃に、最後にちょっとした引っかかりを置きました。


あの男が誰なのか、何を知っているのか──

4話では少し場面が変わりますが、この話の余韻は続きます。

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