第12話「英雄の、平和の終わり」
翌日、依頼の報告を衛兵長に届けた。
間諜の件と魔物の件、それぞれの情報を伝えた。衛兵長は「助かりました、英雄様」と頭を下げた。報酬が渡された。書類は衛兵長に預けることにした。王都の方に伝えてもらう必要があるかもしれなかった。
「ヴァルクという名前を聞いたことがありますか」
別れ際にアルトが聞いた。
衛兵長の顔色が変わった。
「……ご存じですか。魔族の将軍の中でも、一際力を持つと言われる男です。十年前の戦争にも、その軍を率いて参加していたと──」
「そうですか」
「英雄様のお耳に入るということは、何か動きが?」
「まだわかりません。気にしておいてください」
宿に戻る途中、小さな広場で三人が立ち止まった。
なんとなく、止まった。理由はなかったが、三人とも同じタイミングで足を止めた。
「出発しましょうか」とロウェンが言った。
「どこへ」とアルトが言った。
「さあ。英雄様が次に向かうところへ」
アルトは少し笑った。「勝手なやつですね」と言った。
「まあ、俺は護衛ですから」
セラが「私も同行します」と言った。短く、はっきりと。
「なぜですか」とアルトが聞いた。
「まだ聞きたいことがあるので」
「不変の石の話ですか」
「それも、あります」
アルトはセラを見た。セラはまっすぐアルトを見ていた。
何かを知っている目だと、アルトは思った。しかし今日はそれ以上聞かなかった。
「では、行きましょう」
三人が歩き出した。
街を出た辺りで、旅商人の一人が走ってきた。「英雄様!」と呼んだ。
「何ですか」
「先ほど北の街道から来た商人たちが言っていました。国境近くで──魔族の大きな動きがあったと」
三人が立ち止まった。
大きな動き。この十年で聞いた中では、最大規模の話だった。
「規模は」
「数百、ではないかと。正確にはわかりませんが、数千かもしれないと──」
アルトは少しの間、前を向いたまま黙った。
その瞬間だった。
アルトの視界で、世界の色彩がぐにゃりと歪んだ。
空の青がどろりと濁った紫色に反転し、白い雲がどす黒い塊に変わる。街並みも、行き交う人々の姿も、まるで質の悪い絵画のように輪郭が崩れ、砂嵐のような幾何学的な「ノイズ」が視界を埋め尽くした。
鼓膜の奥で、カリカリと硬い物を削るような音が響く。
「……っ!」
アルトは思わず目を押さえた。隣に立っていたロウェンもセラも、何も気づいていない様子で立ち尽くしている。
数秒後、世界は何事もなかったかのように元の色彩を取り戻した。
ただ、懐の不変の石だけが、心臓の鼓動よりも激しく熱を帯びている。
数千。
自警団では無理だ。正規軍でなければ対処できない。しかし正規軍が動くには英雄の要請が必要で、英雄が動くということは、英雄が本物でなければならない。
要するに、アルトが「英雄として動く」必要がある。
本物でもないのに。
「……そうですか」
アルトはそう言った。
ロウェンが横に来て、小声で「どうしますか」と言った。
「やるしかないです」
「英雄として?」
「英雄として」
ロウェンが頷いた。
セラがアルトを見た。何か言いたそうな顔をして、それでも何も言わなかった。しかし今度はその顔が、少し違った。責めている顔ではなかった。
心配している顔だった。
「行きましょう」
アルトは歩き出した。
世界は彼を英雄と呼ぶ。
彼は英雄ではなかった。
それでも今日も、歩く。
──なんとかなる。根拠はないが、そういう気がした。
たとえ、今見えた「世界の狂い」が、このハッタリの代償だとしても。
12話、お読みいただきありがとうございました。
アルトの前に現れた「数千の魔族」。そして、彼にしか見えなかった「世界のノイズ」。
これまで「ハッタリ」で乗り切ってきた平和な日々が終わり、物語はさらに巨大な、世界の理そのものに関わる戦いへと突入します。
この石は何を記録しているのか。なぜ世界はノイズを走らせるのか。
第13話以降、その謎の深淵へ三人と共に踏み込んでいただけますと幸いです。
引き続きよろしくお願いします。




