四十五話 初もうで
昭和四十二年の元日の朝だ。俺はいつもと同じ時間に同じように目覚めた。洗面所に行って顔を洗い、着替えると武を起こした。
「武、起きなさい。お正月よ」
武は俺の言葉を聞いてはっと目を覚ますと、「また、夜中まで起きれなかったー」と嘆きつつ洗面所に向かった。その間に布団をしまう。
武が戻ってくると服を着替えさせ、一緒にお茶の間に移動した。
既に父親はこたつに座っていた。
俺はその向かいに正座する。武も俺を見て、すぐ横に正座した。
それを見て父親は、「おい、母さん」と、台所にいる母親を呼んだ。
母親はすぐにやって来ると、父親の横に正座した。
「あけましておめでとうございます。お父さん、お母さん」まず俺が新年のあいさつをする。間違っても「あけおめ」なんて言わない。
「あけましておめでとー」と武が言うと、両親も「おめでとう」と答えた。
「今年も勉強をしっかり頑張るんだぞ」と父親が言い、母親に目くばせした。
すると母親がふところから紙袋を二つ出して、俺と武にくれた。「お年玉よ」
「やったー、ありがとうー」「ありがとう、お父さん、お母さん」
武は早速中を確かめた。百円札が五枚入っていた。
百円札は小ぶりのお札で、茶色っぽいインクで板垣退助の肖像画が印刷されている。俺も美知子になって初めて百円札を見たときに「百円がお札?」と仰天したが、さすがに最近は慣れた。なお、この時代の物価は安いが、百均でいろいろな商品を買えた経験がある俺にとって、この時代の百円はやはり百円で、平成時代の千円ほども価値があるわけではない。
「プラモデル買おーっと」と武。
「今日はお店開いてないわよ」この時代、三が日はどこも休みだ。
そう言いつつ、俺も自分のお年玉の額を確かめた。武と同じ五百円だった。小学生と同じかよ、と思ったが、口には出さなかった。
母親が立ち上がる。
「お母さん、お雑煮の準備を手伝うわ」と言って俺も立ち上がった。
反射的に家事を手伝うと言えるようになったなんて、俺は昭和時代の娘の鑑だね。
藤野家のお雑煮は、焼いた角餅、かまぼこ、みつばが入ったしょうゆのすまし汁だ。餅以外の具は添え物程度の量だ。
手伝うと言ったが、もう既にできていたので、母親がお椀によそったのをお茶の間に持っていく。
お雑煮を食べながら、
「今日、これからケイちゃんと初もうでに行く約束なの」と両親に言った。
「武、あなたはどうするの?」と母親が武に聞く。
「俺は誰とも約束していないけど、神社の方へぶらぶらと行ってみようかな」と武。
「じゃあ、お姉ちゃんにつれて行ってもらいなさい」
「「えーっ?」」俺と武が異口同音に叫ぶ。
「一人で大丈夫だよ」と武が言うが、聞き入れてもらえなかった。
「今日は人出が多いから、変なことに巻き込まれないよう、一緒に行きなさい」
三十分後、俺と武はふてくされながら家の前で恵子を待っていた。
ちなみに俺も武も普段着の上にコートという格好だ。俺は寒がりなので、綿の短いマフラーと、良子にもらった手袋と、宿題の毛糸のゲートルをつけている。ゲートルは足首のあたりが少し見えるが、白いから靴下と思われるだろう。
武は手袋と毛糸のマフラーをつけている。マフラーが暖かいのか、武の顔が少し上気している。子どもは風の子だからな。
まもなく、コートを着た恵子がやって来た。マフラーと手袋もしていた。
「みーちゃん、あけましておめでとう。タケちゃんもおめでとう」
「あけましておめでとう、今年もよろしくね」「おめっとー」
「二人でどうしたの?」武の頭をたたく俺に恵子が聞いた。
「武もつれて行けって言われたの」「姉ちゃんについて行けって言われた」
同時に話す俺たちを見て、恵子はぷっと笑った。
「あなたたち、そういうところは似てるわね。・・・タケちゃんも一緒に行こ」
寛容な恵子と一緒に歩く。さすがに手はつながないが、武も黙ってついてきた。そして、神社に近づくに連れ、少しずつ人が多くなってきた。
「人が多いね。同級生や先生もいるかな?」
「セーラー服を着ていった方が良かったかな?」
校則では、人が集まるところへの外出は制服を着るようにとなっていた。もっとも初もうでやお祭りではあまり守られていない。
神社の境内に入ると、参拝客が本殿の前に長い列を作っていた。
俺たち三人は、手袋を脱ぐと、まず手水舎で手を洗った。俺がハンカチを取り出して手を拭こうとすると、武が横取りして、べちょべちょにして返してきた。
参拝者の長い列に並ぶ。十五分くらいで順番が近づいてきたので、お賽銭を用意する。五円玉だ。ご縁がある縁起のいい硬貨だ。と言っても男がほしいと望んでいるわけじゃない。人の縁に限らず、何かいい星の巡り合わせがないかと思ってだ。
武が俺に向かって手のひらを出す。意味がわからず武の手をたたく。
「何すんだよ!俺にもお賽銭をくれよ!」
「何であなたのまで出さなきゃならないのよ。あなたお年玉もらったじゃない!?」
「百円札を投げられるか!」
もらったばかりのお年玉以外、一円も持っていないらしい。
「じゃあ、五円貸してあげるわ。早めに返してね」
「けちっ!」俺から五円玉を取りながら武が言った。
頭をたたこうとしたら、さっと避けやがった。
「二人とも、もう順番よ」
恵子に言われ、武をたたくのをやめる。順番が来ると、お賽銭を投げ入れて二礼し、合掌すると、心の中で願い事を唱えた。
「美知子が幸せになれますように。女の子にあまりべたべたされませんように。変な先輩に絡まれませんように。成績が上がりますように・・・」
これだけ願っておけば、どれかは叶うだろう。俺は手袋をした手で二拍手して一礼すると、恵子たちとともに本殿から離れた。
「おみくじを引こうか」
恵子に言われておみくじを引きに行く。一回十円だ。また、武が手を出すが、今度は無視する。どうせ興味ないだろうに。
「やったー、大吉だ!」喜びの声を上げる恵子。
俺は凶だった。がっかりして木の枝におみくじを結ぼうとするが、手袋をはめた手では結びにくく、誤っておみくじを地面に落としてしまった。この場合、縁起が悪いのだろうか?
俺がかがむと、すかさず武が拾って開いた。
「あ、吉じゃない!」凶の字が読めないのか。
俺は武の手から奪い返そうとするが、武がぎゅっと握っていたので、おみくじが半分に裂けてしまった。この場合、縁起が悪いのだろうか?
俺は千切れたおみくじを武から奪い取ると、コートの左ポケットに入れた。そのとき、横から声が聞こえた。
「美知子さ〜ん」
振り返ると、それは委員長だった。息をはあはあ言いながら俺のそばに駆け寄ってきた。
「あけ・・・まして・・・おめ・・・でとう」ぜいぜいと荒い息を吐く委員長。
「大丈夫、喜子さん?・・・あ、あけましておめでとう」
俺が委員長にそう言うと、続いて恵子も新年のあいさつをした。
「元日から美知子さんに会えるなんて、今年も運がいいわ」
「そ、そう?」
すると委員長が俺の脇にいる武に気づいた。
「あら、弟さん?」
「うん、弟の武だよ。・・・武、あいさつしてっ」
「おめでとー」照れているのか、顔を赤くして小声であいさつする武。
「おめでとう、武くん」
そのとき、委員長の後ろから小柄な少女が現れた。
「やあ、藤野さん、山際さん、おめでとう」
それは自称探偵の一色千代子だった。
「あ、一色さん?あけましておめでとう。お一人?」
「まあね。ところで、何か事件は起こってないかい?」
「ないわよ」また、探偵がしたいのか。相変わらずだな、と俺は思った。
「そうかい?君の周りには犯罪の匂いがするんだけどね」
しねえよ。真犯人みたいに言うな。
「あー、美知子さん!」
また別の声が聞こえた。振り返ると、麗子が頼子、良子を連れて立っていた、麗子は晴着を着、その上から着物用のコートを羽織っていた。さすがお嬢様。
「あけましておめでとう」俺と武が頭を下げる。武も一応顔なじみだ。
「あけましておめでとうございます、美知子さん、武くん」と麗子。
「今日は会えて良かったわ。・・・あら、委員長もご一緒?」
麗子と委員長の目が合う。火花が散った気がする。ちょっと怖い。
「私はケイちゃんと武と来たんだけど、ここで喜子さんと偶然会ったの」とりあえず弁解しておく。
「美知子ー!」
再び呼ばれたので振り向くと、河野さんが手を振っていた。
河野さん一人じゃなく、後に五人の女子生徒を引き連れている。よく見ると、そのうち二人はバレーボール部の一年生、三人は隣のクラスの河野さんのファンの子たちだった。
「あけましておめでとう。多人数だね」
「あけましておめでとう。・・・多人数ってこの子たちのこと?バレー部の仲間と初もうでに来たんだけど、この間ミチンガを渡してあげたこの子たちと途中で出会ってね、一緒に行くことにしたんだ。美知子の方も大所帯じゃないか」
「私はケイちゃんと弟以外は、偶然ここで出会ったんだけどね」
「あ、藤野くんとお姉さんだ」別の声が聞こえた。
そちらを振り向くと、前にミチンガの作り方を教えてあげた、武の同級生の女子小学生、美佐子たち五人がいた。
「おめでとう、藤野くん、お姉さん」
「あけましておめでとう。今年もよろしくね」
武は顔を赤くして、「よっ」とだけ言って顔をそむけた。
「礼儀のなっていない弟でごめんなさいね」俺は武の頭をこつんとたたいた。
いよいよ大所帯になってきたな。・・・嫌な予感がする。そう思ってると、
「やあ、美知子くん、奇遇だねえ〜」と水上先輩の声が聞こえた。
例によって、後に十人の取り巻きを引き連れている。
俺は顔を引きつらせつつも、一応先輩であるので、水上先輩の方を向いて頭を下げた。
「あけましておめでとうございます」
「ハッピーニューイヤー!」
そう言いながら、水上先輩はつかつかと俺の前に近寄ってきた。そして肩に手を置いて言った。
「新年会はよろしくね。君が来るのを待っているからさ」
それを聞いた取り巻きたちの目が吊り上がる。恵子、委員長、麗子たちも妙な顔をしていた。
武と、美佐子たち女子小学生はわけがわからず俺たちを見上げていた。
そして、事件が起こった・・・。




