十七話 浴衣縫いと麗子
来てほしくない朝が来て目が覚めた。なぜ来てほしくなかったかというと、浴衣の宿題を始めなければならないからだ。
通学カバンから浴衣の縫い方を説明したプリントを取り出して開く。それを読むと、俺にはハードルが高いと思われた浴衣縫いだったが、和裁の中では初心者向けの部類に入ることを知った。
一本の布を所定の長さで長方形に切り、そで、身ごろ、おくみ、えり、かけえりの生地に分ける。後はそれを手縫いしていくだけだ。
生地にはっきりした柄がついていると柄の配置を考えて切らないといけない。それが手間なので、母親に水色の小さい水玉がついた安い布地を買ってもらっていた。
初期費用が少しかかるが、できたら自分で着れるので、無駄にはならないはず。
朝食後、母親に見てもらいながら生地をはさみで切っていく。寸法を間違えると生地を買い直すはめになりかねないので、慎重に進めていく。
生地の切り分けをしただけでお昼近くになったので、昼食の準備を手伝った。メニューはきんぴらごぼうとタクアンだ。
武は午前中に昆虫標本を作っていたようだ。昼食に呼ぶと、もらいもののお菓子が入っていた箱にカブトムシ(メス)、クワガタムシ(メス)、ミンミンゼミなどを虫ピンで固定したものを自慢げに見せにきて、虫嫌いの母親にそんなものを食事前に持って来るなと怒られた。
俺が後でほめてやろう。
さあ布を縫い始めようと身構えたとき、家の黒電話が鳴った。受話器を取った母親が二言三言と話をした後で、俺を呼んだ。
「美知子、白沢さんから電話よ」
麗子?何の用だろう。
母親から受話器を受けとる。
「もしもし、美知子です」
「美知子さん?麗子です。お昼から家に来ない?」
「いいわよ」どんな浴衣を作っているのかチェックだ!
電話を切ると俺は母親に言った。
「これから白沢さんちにお呼ばれするから、浴衣作りは明日にするわ。お母さん、明日またお願いね」
「そうなの、じゃあ、おじいちゃんからもらったタマネギとニンジンを少し持って行きなさい。それから、帰りに八百屋さんとお肉屋さんに寄って、ジャガイモと豚の細切れ肉を買ってきて」
「何を作るの?」お金をもらいながら母親に聞く。
「ライスカレーよ」
横で聞いていて「やったー」と小躍りして喜ぶ武。
ライスカレー?カレーライスのこと?・・・どっちにしろ、肉を食うのは久しぶりだな。
俺もちょっとうれしくなって、るんるんしながら家を出た。
以前に行ったことのある麗子の家に着くと、玄関を開けて麗子を呼んだ。
「こんにちは〜。藤野ですが、麗子さんいますか〜?」
すると待ち構えていたように麗子が出てきて俺を招き入れた。
「久しぶりね、美知子・・・さん。来てくれて嬉しいわ」と麗子。
「これ、田舎からもらったお野菜のお裾分け。お母さんにあげてね」
タマネギとニンジンが入った紙袋を麗子に渡す。
「ありがとう。・・・田舎に行ってらしたのよね。先週お宅に電話して、お母様から聞きましたわ」
タイミングよく電話してきたと思ったら、帰る日を聞いてたのか。
今日は応接間でなく、直接麗子の部屋に通された。
「待っててね」と言って麗子は紙袋を持って部屋を出て行った。
前にこの部屋に入ったときとあまり変わっていないが、購読しているらしい芸能雑誌が増えていた。
また、机の上に浴衣らしい布地が畳まれているのに気づいた。もうできたのだろうか?
しばらくすると麗子が紅茶のセットとビスケットが入った皿を持ってきた。
「お母さんがお野菜ありがとうって」紅茶を入れ始める麗子。
「ねえ、もう浴衣、縫い上げた?」
「ええ、美知子さんは?」
「ずっと田舎に行ってたからさっぱり。今日ようやく始めたところ」
「そう。・・・でもそんなに時間はかからないわよ」
「後で見せてくれる、参考までに?」
「いいわよ。お茶を飲み終わったら見せるわ」
お茶を飲む間、麗子は芸能雑誌を広げて俺に見せた。俺はあまり興味なかったが、芸能界に詳しい麗子が芸能人一人一人について詳しく説明してくれるので、おもしろく聞いていた。
お茶を飲み終わってティーセットを傍らに片付けると、麗子は自分が縫った浴衣を広げた。白地に紺色でキキョウの花の図柄が染められており、派手ではないが、シックないい浴衣だった。
「いい浴衣じゃない」俺がそう言うと麗子は嬉しそうに笑った。
「ちょっと着てみようかしら」
そう言って麗子が突然服を脱ぎ、下着姿になった。
俺は一瞬おおっと思ったが、よく考えれば体育の授業前後の着替えで見慣れていた。
「どう?」浴衣を着て前後を見せる麗子。
「なかなか素敵じゃない。・・・この前、田舎でお祭りがあったけど、こんな浴衣を着ていけば良かったわ」
「ありがとう。・・・じゃあ美知子さんも着てみる?」
そう言われて最初は躊躇したが、麗子に服を剥ぎ取られそうだったので、思い切って下着姿になった。
頬を染める麗子。自分の浴衣を脱いで俺の体にかけると、慣れない俺のために着付けまでしてくれた。
「あら、素敵だわ!美知子さん、浴衣姿も素敵ね」
「ありがとう」
麗子の性癖がちょっと変な方向に向かってるんじゃないかと心配になったが、女の子どうしってこんなものかも知れないなと俺は思い直した。
「ねえ、美知子さん、今度うちにお泊まりに来ない?」
そう言えば、前にもそんなことを言ってた。
「えーと、うちの親に聞いてみないと何とも言えないけど、麗子さんのご家族は迷惑じゃないかしら?」
「うちは私が一人娘で兄弟とかいないから、歓迎してくれるわよ」
「そう・・・とりあえず宿題の浴衣を縫い上げてからね」
「きっとね、お願い」
夕方になり、買い物もあったので、俺は麗子の家を辞した。もちろん元の服に着替えている。
帰りに八百屋とお肉屋さんに寄ってじゃがいもと豚コマを買う。
家に戻って母親に渡すと、カレーを作るのを手伝うことにした。
俺が美知子になる前に食べていたカレーは、カレー屋で食べるか、レトルトカレーを買ってきて下宿で食べるかのいずれかだった。しかし、小学生か中学生の頃に行ったキャンプで、固形のカレールウを使って作ったことはある。
美知子の家でも作り方はほとんど同じだった。
ジャガイモ、ニンジン、タマネギを適当な大きさに切り、豚コマも食べやすいサイズに切った。
鍋に油を引いて熱し、肉を炒め、ジャガイモ、ニンジン、タマネギを投入してざっと火が通るまで炒めた。
少し水を入れて、カレールウを割って混ぜる。
若干水っぽいカレーになったが、味見をするとちゃんと家庭で作るカレーの味になっていた(当たり前だけど)。
母親は祖父母にもらった松茸らしききのこを何枚かに切り分け、金網の上であぶっていた。また、小鍋でお湯をわかし、とっくりに入れたお酒のお燗をした。
父親は既に帰っていて、お茶の間に座って新聞を読んでいた。武は台所の中を覗き込んでいた。
どれだけ楽しみにしてたんだよ。
母親がお酒とあぶった松茸を父親の前に持って行く間に、俺は大きい丸皿にご飯をよそい、カレーをかけまわした。
四人分の準備をすると、お盆に載せてお茶の間に持って行く。
久々のカレーライス(家族はライスカレーと言った)はうまかった。若干とろみが少ないが、味が薄いということもなく、入っていた肉もかみしめて味わった。
父親はあぶった松茸を食べていたが、カレーの香りが強いので、松茸の香りを楽しめたか疑問だ。
食事が終わって後片付けをしていると、読書感想文の宿題もあることを思い出した。
明日浴衣の続きをして、時間があったら町の図書館にでも行って本を探してみよう。
翌朝の午前中、また母親に見てもらいながら浴衣を縫い始めた。ちくちくと何度か指を指してしまうので、指にちり紙を巻き付けながら縫った。浴衣に血がついたら大変だから。
その日は左右のそでを縫って力尽きた。完成まで早くても一週間はかかりそうだ。
昨日のカレーの残りを昼食で食べると、気分転換も兼ねて、ゆうべ考えていたように町の図書館に行くことにした。
図書館は学校までの距離より倍ほど遠いところにある。この図書館の貸出カードは以前に作ってあったので、中に入って文学の書棚を見て回った。
何がいいかな?・・・簡単に読めて、それでいて現国の先生が認めるような作家の作品がいい。
そう思っていると、当然声をかけられた。
「あら、藤野さんじゃない?」
振り向くと、委員長が立っていた。
「こんにちは、委員長」
「藤野さんとここで会うのは初めてね」
俺は頭をかいて正直に言った。
「読書感想文の宿題があるでしょ。普段読書をしなれないので、何を読もうか探しにきたの。何か適当な本を教えて、委員長」
委員長はメガネ越しに俺をにらんだ。
「本を紹介するのはかまいませんが、私を『委員長』と呼ばないでくれる?山際喜子って名前があるの」
「ごめん、ごめん」と悪びれずに謝った。
「みんながそう呼ぶからつい。・・・今度から喜子さんって呼ぶわ」
そう言うと、委員長は頬を染めた。馴れ馴れしくて怒ったかと思ったが、
「じゃあ私も美知子さんって呼ぶから」
「了解です」と俺は言って警察官のような敬礼をした。
俺のおどけた態度に委員長はくすっと笑った。
「美知子さんって変な人ね」
「そう?」男っぽいって意味か?
「何だか立ち居振る舞いが普通の人と違うって感じるときがよくあるから」
五十年後から来た未来人ですから。そう思ったが、もちろん口には出さない。
「で、読書感想文の文学作品を探しているの?」
「適当なのがあったら教えて、喜子さん」
俺はにっこりと笑った。




