十八話 女生徒とは
俺は図書館で、読書感想文用の適当な文学作品を教えてくれと、委員長こと山際喜子に頼んでいた。
「どんなのがいいかしら」と委員長。
「文学作品って言えるもので、半日で読めるような短編小説があったら紹介して」
「まあ、たくさんあるけどね」
そう言って委員長はいくつかの本を書架から抜いた。
「夏目漱石や森鴎外の短編集もあるから、その中から選んでみたら?」
俺は夏目漱石の短編集を受けとって、中をぱらぱらとめくってみた。
・・・字が詰まっている。
俺が以前に読んでいたラノベは、もっと読みやすい文字の配置だった。読みやすいけど、けっして文章が稚拙ということはない。
読みやすいからライトノベルと言うんだっけ?・・・内容はSFやファンタジーが多かったけど。
「この中から選ぶとなると、一度全部の作品を読んでみることになるわね。・・・手っ取り早くお薦めの短編小説はないの?」
「しょうがないわね」と、あきれ顔の委員長。
「これなんかどう?」そう言って委員長が出したのが、三島由紀夫の『仮面の告白』だった。
「長編だけど読みやすいわよ。一晩もあれば読めると思うけど」
「どんなお話?」
「えーとね、三島の自伝的小説で、簡単に言えば自分が男しか愛せないことに気づくってお話ね」頬を染めつつ平然と話す委員長。
俺はぶっと吹き出した。
「そ、そんなの、読書感想文を学校に出せるわけないじゃない!」
「そう?文学作品よ、一応」
委員長は別の本を差し出した。同じ三島由紀夫の短編集だった。
「この中の『春子』って短編もいいわよ」
「ど、どんなお話?」おそるおそる尋ねる俺。
「主人公のおばさん姉妹が互いに愛し合っていて・・・」
「もういい、もういいから、三島由紀夫は!」
委員長は腐女子か?BLも百合もいけるのか・・・?
「委員長、じゃない喜子さんの趣味でなく、感想文として出せるものを教えて!」
その後何編か文学作品を教えてもらい、ピンと来るものが一つだけあった。太宰治の『女生徒』である。
「これは太宰治のファンだった女性が自分の日記を太宰に送り、それを元にして太宰がまとめた作品よ。女生徒の感情の揺れをモノロオグのように綴ったもので、随想のようでもあり、物語性はあまり感じられないけど」
男である太宰治がまとめた女子生徒の感情。・・・何か今の自分の境遇と通じるところを感じて、読書感想文としてまとめられるかわからないが、読んでみることにした。
「ありがとう、喜子さん」
本を借りる手続きをしてお礼を言うと、委員長はにっこりと微笑んだ。
家に帰るとさっそく「女生徒」を読み始めた。そして読んでまもなく「ううっ」とうなってしまった。ある女生徒の一日を描いた作品だが、悪夢のような内容だった。
しかしせっかく委員長に薦めてもらったので、書かれている内容を箇条書きしながら読み進めてみた。
・朝起きたときの不安・不快感
・メガネに対する嫌悪
・父の死と二匹の犬から思う自己嫌悪
・繰り返す時間の錯覚と哲学
・ひまで感受性の処理ができない自分
・登校途中に男らから受ける嫌な出来事
・雑誌を読んで自分を含む人間の愚かさを考える
・修身(道徳)と世間との齟齬を思う
・電車に乗っている人の醜さから、出入りのハンサムな植木屋を連想する
・お気に入りの風呂敷から自己の無力さに思いが移る
・学校の美人の先生に想いを馳せる
・図画の先生のお気に入りで、今日もモデルを頼まれる私
・友人の無邪気さに嫌気がさす
・自分を含めた女の不潔さに嫌気がさす
・田舎道ではしゃいでみて自己嫌悪
・帰宅して北海道にいる姉を思う
・家族がそろっていた頃の小金井にあった家を思い出す
・父に対する母の想いと、母に子どもぶる自分の愚かさ
・料理の準備で舞い上がったり落ち込んだり
・プチ・ブルなお客が気に入らない
・従兄の手紙を読んで軍隊の規律をうらやましく思う
・失明した従兄の弟を憐れむ
・一人で過ごす家
・百合の花を見て、崖に咲く百合を取ってくれた坑夫を思い出す
・帰ってきた母に感謝して肩をもむ
・夜中に洗濯して月を見上げる
・疲れて眠るときの妙な気持ち
この女生徒の頭はおかしい、というのが俺の素直な感想だ。
いや、俺も、何か物事を見聞きするたびにいろいろなこと、特に好悪の感情を連想してるだろう。あの人は薄汚いとか、あの子どものしつけがなっていないとか。だがそれは一瞬一瞬のことで、必ずしも後に残らない。
ところがこの作品のように克明に記録してしまうと、妄想の連鎖のようになる。
この作品は一女生徒の心情を綴った文章を太宰が凝縮させたものだろう。
きわめて芸術的であるが、そのため精神的な危うさが強調されてしまっている。
・・・上記の感想を読書感想文としてつらつらと書き、最後に、
「私たちはいろいろと思うことがあるが、それらをなるべく引きずらず、あっけらかんと生きていく方が健康的であろうと思いました」
という一文を書いて読書感想文を締めくくった。稚拙な締めの文章だが、もうこれでいいやと思った。
こうして俺は宿題の一つを片付けた。
翌朝、また浴衣縫いを進めた。指に針が刺さるので、今度は絆創膏を細く切ってもらい、指に貼っておいた。
「ねえ、お母さん」縫いながら俺は母親に話しかけた。
「なに?」
「この間、白沢さんに、白沢さんちに泊まりに来ないかって誘われたんだけど」
「どういうお宅なの?」
「会社員のお父さんと、モダンなお母さんと、一人娘の麗子さんの三人家族なの。兄弟がいないから、友達に泊まりに来てほしいそうよ」
「お友達はともかく、親御さんにご迷惑じゃないかしら」
「あちらのお父さんと会ったことはないけど、お母さんは私が訪問した際に喜んでおられたわ。・・・多分、社交辞令でなく」
「そうなの。・・・まず、うちのお父さんの意見を聞いて、先方のお母様ともお話しして、それで反対されなければ考えてもいいけど」
「そうね、まずお父さんに聞いてみるわ。・・・どっちにしても、浴衣を仕上げてからの話だけど」
浴衣縫いは、昨日と同じく午前中で力尽きたので、午後は図書館に借りた本を返しに行くことにした。
図書館に入ると、今日も委員長が来ているのに気づいた。
「こんにちは、喜子さん」
「こんにちは、美知子さん」
「毎日図書館に来てるの?」
「ええ、読みたい本がたくさんあるから・・・」
俺は委員長が手にしている本の表題を見た。堀辰雄の『燃ゆる頬・聖家族』という本だった。
「それはどういうお話なの」
「・・・『燃ゆる頬』の方は、主人公と親友の友情が、愛情に変わっていくというようなお話よ」
俺の目は宙を見上げた。委員長、開き直ってきてるな。
「あの、喜子さんは、その・・・男性どうしが愛し合うお話が好きなの?」
俺は小声で聞いた。もしそうなら、腐女子確定だ。
「え、ええ・・・だって男どうしで愛し合うなんて、自然の摂理に反している分、より純粋な愛情だと思うの。青年が幼い女の子に愛情を抱くのと同じよ。・・・その、破廉恥な行為を伴わないから、より純粋な愛と言うわけよ」
いえ、幼女を愛するやつは、破廉恥な行為がしたい変態で、犯罪者です、と俺は心の中でツッコんだ。
同性愛は人間の権利と主張されてたけどね、俺の時代で。
「美知子さんはそう思わない?」
「わ、わたしは男どうしってのにはあまり興味がないけど・・・」
「じゃあ、女の子どうしの方がいいのね。ほかにもお薦めの本があるから、また紹介するわ」
そちらもあんまり興味ないんですけど・・・。
どうやら委員長はいけない仲間に俺を引きずり込もうとしているようだった。
その日の夕方、銭湯に行くと、久しぶりに恵子に会った。
「ケイちゃん、久しぶりっ」
「みーちゃん、元気だった?」
「ええ、二週間ほど田舎に行って帰ってきて、今宿題に苦労してるとこ」
「あたしは浴衣はできたわ。・・・読書感想文がまだだけど」
「そう、私と逆ね。読書感想文は今日適当に書いたわ。でも、浴衣縫いがね」
俺はそう言ってまだ絆創膏を貼っていた手を見せた。
「あらら、大丈夫?」
「大丈夫よ。指も浴衣も何とかなりそう」
「そう、良かった。」
「読書感想文は、何の本を読むの?」
「まだ決めてない。簡単に読めるのがいいけど。・・・みーちゃんは何を読んだ?」
「私は図書館に行って、委員長と会って、本を薦めてもらったの。太宰治の短編よ」
「おもしろかった、その小説?」
「ん~、微妙、かな」
「あたしは何にしよう?」
「無難なところで夏目漱石か森鴎外の短編集から探したら?宮澤賢治もいいかも」
「そうね、あたしも図書館へ行って来よう。・・・委員長に会えるかもしれないし」
委員長は『仮面の告白』を薦めてくるから気をつけろ、恵子。・・・お前には多分まだ早い。
夜、父親に麗子の家に泊まりに行ってよいか尋ねた。
母親が先方の親御さんに確認するならいいだろうと、あっさり承諾してくれた。
「あなた、よろしいんですか?この子、短気だから、よそ様で粗相をしないか心配なんですが」
ええっ、美知子って親にそういう風に思われてるの?・・・俺はあまり怒ったりしたことないけど。
「まあだからこそ、いろいろ経験させてみるのがいいだろう。・・・今なら子どものしたことと、許してもらいやすいから」
「あなたもけっこう思い切りがよろしいわね」と母親はあきれ顔だ。
「浴衣ができたら電話するから、美知子、いいわね」
「はあい」
とりあえず浴衣縫いをがんばろうと思う俺だった。
書誌情報
三島由紀夫/仮面の告白(1949年初版)
三島由紀夫/春子(1951年発行の短編集『聖女』などに収録)
太宰治/女生徒(1939年初版)
堀辰雄/燃ゆる頬・聖家族(1947年初版)




