十三話 プール開き
前に言ったように松葉女子高には二十五メートルプールがあり、七月に入ると、俺たちのクラスはプール掃除の当番となった。
まず、秋から春の間に濃緑色に染まった水を抜く。小さな魚が泳いでいたが、どこから紛れ込んできたのか不思議だ。
次に残った緑色のぬるぬるをデッキブラシでこすり、ホースの水をかけつつ排水口に流し込んでいく。
きれいになったら新しい水を張り、カルキの白い錠剤を何個か投げ入れた。
これで準備万端。そして待ちに待った体育のプール授業の日になった。
授業の始まる前にプール横の脱衣所に行き、そこで水着に着替える。
俺が小学生だったときは、ズボンの下に海パンをはいて登校していたが、女子のワンピース型の、いわゆるスクール水着をセーラー服の下に着ていると、トイレに行きにくいので脱衣所で着替えるのだ。
体操着に着替えるときに下着姿になるのはお互い慣れているが、さすがに全裸は抵抗がある。そこでバスタオルに近い大き目のタオルか布で胸を隠しながら上半身裸になり、体にタオルを巻いて下半身も脱ぐ。そして足から水着をはき、肩ひもを肩にかける直前に体に巻いたタオルを取った。・・・けっこう面倒だ。
淑子は大きいタオルを持っていなかった。タオルを貸すと言ったが遠慮し、脱衣所の片隅でぱっと全裸になってさっと水着を着ていた。
水着姿になると、次に全身にシャワーを浴びる。気温は高くなっているが、水道水のシャワーは冷たく、女子生徒たちは水がかかるたびにきゃあきゃあと騒いでいた。
シャワーを浴びたらプール際に集合だ。ちなみにプールの周囲は丈の高い灌木で囲まれ、学校内外からプールが見えにくくなっている。
体育の先生が現れた。四十過ぎのおばちゃん先生で、私たちと同じような紺色のワンピースの水着の上にTシャツを羽織っていた。
「はい、準備体操をします」
先生の指示に従って屈伸したり、手首や足首を回したりする。そして、今年初めてなので、足からゆっくりと水に入るよう指示があった。
「ひっ、冷たい!」
七月のプールはまだ冷たく感じられた。
先に頭まで潜った淑子は、「しばらくすると温かくなるよー」と言った。
いや、温泉じゃないんだから。
俺もプールに肩まで浸かると、徐々に水の冷たさが感じられなくなっていった。
先生の指示で、泳げる人と泳げない人に分かれて練習が始まる。
泳げる人は、プールの半分を使って、順番に二十五メートルをクロールまたは平泳ぎで泳ぐ。二十五メートル全部泳ぎきらなくていい。
泳げない人は、プールの残り半分で、ビート板を使ってバタ足の練習をする。・・・ビート板と言っても、ただの発泡スチロールの板だ。
俺は泳げないことはないが、クロールの息継ぎが苦手だったので、顔を水面の上に出したままで平泳ぎをした。
のんびり泳ぐ俺の横を、河野さんや委員長が華麗なクロールで追い越していく。・・・そういや、メガネをしていない委員長の顔を久しぶりに見る。
麗子も恵子も淑子も平泳ぎだが、どちらかというと犬かきのように見えた。
俺も人のことは言えないかも。
このプール授業は自習に近く、先生はプール際の椅子に座って監視に徹している。ちゃんと生徒の方を見ているのだろうか?
泳げない生徒は、泳ぎ終わった河野さんらに指導をしてもらっていた。
プールから上がると、夏の暖かい日差しと爽やかな風が肌に心地いい。・・・と思ってたら、体が冷えたのか、トイレに行きたくなった。
「先生、お手洗いに行ってきます」
椅子に座ってくつろいでいるようにしか見えない先生にそう告げると、脱衣所の横にあるトイレに急ぐ。
トイレの床がじめじめしていて、湿気が高く気持ち悪い。
俺は個室(こちらもぽっとん便所)に入って、ワンピース型の水着を着ているのを思い出した。
うわ、全部脱がなきゃダメじゃん。
男だったときには考えなかった障害だった。
肩ひもをはずし、水着を太ももまでずり下げる。そして和式便器にまたがる。
ほぼ全裸って、開放感があるような、恥ずかしいような・・・。
用を足すと水着を着なおし、冷たいシャワーを浴びて、プールに戻った。プールではみんなが楽しそうに泳いでいた。
そういや、他の人はトイレに行かないな。・・・授業前にしっかりすませているんだろうか?・・・ま、まさか?
妙な疑惑が頭に思い浮かんだ。
まさかね、みんな乙女なんだし。
ここで初めて告白しよう。実は俺は小学生のときにプールの中でおしっこをしたことがある。プールの冷たい水の中で腰の周りだけが妙に温かくなり、しかも黄色いもやのようなのが広がっていった。
そのときの俺は腰の周りの水をあわててかきまわし、何とかごまかしたが、後味の悪い行為だった。その後は、一度もしたことはない。
・・・いないな。
プール際に立ってプール全体を見渡したが、妙な動きをしている人はいなかった。
再びプールに入って平泳ぎを始めるが、顔を水につけることはできなかった。
プール授業が終わると、着替えて教室に戻った。髪はまだ湿っており、夏場の室温に暖められて頬がほてり、お風呂上がりのような気分だった。
「ねえ、海水浴をしたことある?」恵子が淑子に聞いた。
「うーん、ない!」
美知子も海水浴の経験はなかった。この町は海から離れており、家に自家用車がないため、家族で気軽に海に行くということはなかったし、友だちどうしで海へというのも、女子ではハードルが高い。
「私はあるわよ」委員長が話に入ってきた。
「親戚の家が海岸近くの町にあるから、小さい頃はよく海に行ってた」
「へー、プールと比べてどう?楽しい?」
「潮の香りが強いし、海岸に波が押し寄せて来るからおもしろいけど、波打ち際に海藻や木切れがいっぱい落ちてたわね。・・・それに海の水は塩っ辛いの。誤って鼻や口に入ると、辛くて大変だったわ」
「お味噌汁よりしょっぱい?」
「はるかに塩っ辛いの。涙が出るほどよ」
そういえば、海の魚を刺身で食べても、それ自体に強い塩気を感じないな。なぜなんだろう?
「それにね、砂浜で遊んでいると、水着の中に細かい砂が入って、後で洗い流すのが大変だった」
「そうなんだー」と恵子。「一度行ってみたいけど、プールより面倒そうね」
「そう言えば以前に雑誌か映画で見た外国のホテルで、海岸のすぐ前にプールがあって、『なぜ?』と思ったことがありましたわ」と、麗子が言った。
「そういう事情があるからかしら?」
「私は家の近くの川で泳いでたよ」と淑子。
「へー。・・・この近くの川は泳げるようなきれいな水じゃないから、手軽に泳げるのはうらやましいわ」
「水はきれいだけどね、そんなに深くないから、泳ぐというよりはつかる感じだったけど」
「夏休みになったら、またどこかへ泳ぎに行きたいね」
「ねー」
「夏休みの計画もいいけど、その前に期末テストがあるわよ」と委員長。
「興ざめよ」俺たちは文句を言った。
「興ざめでもなんでも、試験が終わらないと夏休みにならないから」
俺も美知子のために、いや、俺自身のために、もう少し勉強をがんばろうと思った。
がんばりました。玉砕しました。
美知子のクラスの四十人中二十二位で、前回二十四位だったから順位が上がったと言えなくもないけど、誤差範囲だろう。
今日は終業式の日で、見たくもない通信簿をもらった。五段階評価で、ほとんどが三だった。
恵子や麗子に通信簿を見せてと頼んだら、恥ずかしながらも見せてくれた。麗子は四が多く、恵子すら四をいくつか取っていた。
委員長はいうまでもなくオール五。体育でも五を取っているところがすごい。
河野さんは俺と同じくほとんど三だったが、体育だけは堂々の五だった。
淑子は、意外にと言ったら失礼だが、英語の成績が良かった。
「私、勉強の仕方が悪いのかな。・・・二学期は委員長に勉強を教えてもらおうかしら」
俺の言葉に委員長は顔をほころばせた。
「ええ、どうぞ。放課後でも、お休みの日でも、いつでも声をかけて」
それを聞いて恵子たちが「いいな、いいな」と叫んだ。
「いや、みんなで押しかけたら、さすがに迷惑でしょ」俺が牽制する。
「夏休みに来てもいいわよ」と委員長。
それを聞いて麗子が
「それなら夏休みに私の家に泊まりに来ない。一緒に宿題をやりましょうよ」
と張り合ってくる。
他の子もなんやかんやと言って、俺を取り合うような感じになった。
俺は・・・いや、美知子は、なぜか女の子にモテモテだな。・・・なんでだろう?
その日の帰り道、一緒に歩いていた恵子に思い切って聞いてみた。
「ねえ、ケイちゃん。最近、私、クラスメイトに妙に好かれてるみたいなんだけど、なんでだろう?」
「そうよね!みーちゃんはあたしの親友なのに!」
・・・それはいいんだけど。
「それは多分、みーちゃんが頼もしいからよ」
「頼もしい?私が?・・・勉強もスポーツも裁縫も、何一つぱっとしないのに?」
「みーちゃんは、・・・その・・・女番長だから」
「お、女番長?何それ?」
そもそも『番長』ってなんだ?クラスには委員長がいるのに。・・・日直みたいなものだろうか?
「前、よそのクラスの子が、田辺さんに文句を言いにうちのクラスに来たことがあったでしょ?」
「ああ・・・その子の従兄か誰かと田辺さんが親しく話をしていたとかで、何を勘違いしたのか、怒鳴り込んできてたわね」
「委員長が止めても相手が聞かなかったとき、みーちゃんがノートで机をぱしってたたいて、『やかましいから出て行け』って怒鳴ったよね」
あれはたまたま機嫌が悪い日だったので、むかっとしてやってしまった。教室中が引いてたので後悔したが。
「それから、みーちゃんのこと、手が早いけど頼もしいってことになっちゃって、クラスの中で密かに人気が出ているの」
手が早いって、人をたたいたことはないし。・・・たたきかけたことはあったけど。
女子高生を演じていたつもりだったが、男としての粗暴さが出ていたのかもしれない。
でも、不良に魅かれるような、ダークな人気だ。もう少し行動を押さえようと思いつつ、明日からの夏休みに心を弾ませる俺だった。




