外せない首輪⑨
「ああ」
「じゃあ、行きましょう」
首輪に巻いたタオルを触って確かめ、宙は車の外へ出た。
――早く飼い主に会いたい。会って、何があったのか確かめたい。
久瀬も続いて車から降り、二人で飼い主の家へ向かう。インターフォンを鳴らすと、中から足音が聞こえてきた。控えめにドアを開けて顔を出したのは、三十代半ばくらいの眼鏡をかけた男性だ。
「こんにちは。警察です。いくつか伺いたいことがあるのですが、少しお時間よろしいですか?」
「警察……?」
警察手帳を見せられ、男は困惑したようにこちらを見た。久瀬はプレートの入った袋をポケットから出し、男に差し出す。
「まず、こちらに見覚えがないか、ご確認いただけますか?」
言いながら、久瀬はじっと注意深く男を見つめている。男はプレートを見て、小さく喉を鳴らした。
「……知りません」
「裏面の住所は、こちらのお宅で合っているかと思いますが」
「知りませんよ。……前に住んでた人のじゃないですか?」
プレートから目を逸らし、男は自分の肘の辺りを摩る。
「こちらに引っ越されたのはいつですか?」
「……四年前かな」
男が答えると、久瀬は淡々とした口調で「そうですか」と頷く。
「実はお宅に伺う前、こちらの物件について管理会社に確認させていただきました。この物件はペット飼育可ですが、飼育には事前申請が必要だそうですね。……ご入居時にペットの申請をされていたか、確認しても?」
プレートをポケットに仕舞いながら、久瀬が尋ねる。男はぐっと言葉を詰まらせた。
「『今は』飼ってないって言ったんです。もう死んだんですよ!」
声を荒げて男が言う。
「では、あなたが『コタロウ』の飼い主ということですね?」
「……はい、そうです」
落ち着きなく指先で肘を叩きながら、男が答える。その瞬間、胸がざわつくような、嫌な感覚がした。
「でも、もう死んでるんです。だから、それも要りませんし、もう帰ってくれませんか?」
苛立ちを露わにする男を見て、久瀬は次の質問を探すように、顎へ手を遣った。宙はとっさに久瀬の腕を掴み、前へ進み出る。
「――違う」
「三井?」
「久瀬さん、違う。この人は飼い主じゃないです!」
宙の胸は確信で満ちていた。
頭を撫でるあたたかな手。川原に弾けた笑い声と笑顔。そばにいると約束してくれた、切なくて優しい声。
どれも、この男とは似ても似つかない。
「は……はぁ!? 何なんだ、お前!」
男はドアを大きく開け、一歩足を踏み出した。久瀬は男の足元――玄関に並んだ靴へ目を遣り、ふと気付いたように口を開いた。
「それ、女性の靴ですよね」
「……っ!」
「もしかして、同居されてる方がいらっしゃるのでは?」
久瀬が尋ねると、男は黙ってドアを閉めようとした。とっさに久瀬がドアを掴み、それを止める。宙は身を乗り出し、ドアの間から叫んだ。
「飼い主さん! コタロウの飼い主さん、いますか!?」
「くそ……っ、うるさい!」
男がカッとなった様子で、ドアを開けて宙に殴りかかってきた。反射的に腕で顔を庇おうとする。
しかし、それよりも久瀬が動くのが早かった。
殴ろうとした男の腕を掴み、外壁に押し付けると、もう片方の腕も掴んで背中の後ろで捻り上げる。
「痛っ……!」
「これ以上暴れれば、公務執行妨害に当たります」
さすが警察官だ。一瞬で制圧してしまった。
男は歯を食いしばり、久瀬を睨んでいる。
「あの……」
ふいに、ドアの向こうから声が聞こえた。聞き覚えのあるその声に、宙は小さく息をのみ、閉まりかけていたドアを開ける。
「今……誰か、コタロウって言いましたか?」
玄関の向こうにある階段を降りて、女性が近づいてくる。肩甲骨の下辺りまである、長い髪。優しげな目元。初めて会うはずなのに、とても懐かしい気がした。
「久瀬さん、プレートどこですか?」
「……右のポケットだ」
男を拘束したまま久瀬が答える。宙は久瀬のスーツのポケットから袋に入ったプレートを取り出した。
「これ……あなたが飼ってた犬が着けてたものですよね?」
「そうです。どこでこれを?」
宙の差し出したプレートを見て、女性が驚いたように目を見開く。
「東京で、首輪と一緒に見つかったんです。そばには柴犬が一匹でいたそうです」
「東京……? どうして?」
「それは、彼に直接聞いた方が早いかと」
久瀬が言って、男から少し身体を離す。腕は掴んで背中に押しつけたままだ。
玄関から身を乗り出し、その光景を目にした女性が息をのんで両手で口を押さえる。
「耕祐! どうしたの!? あなたは……?」
「警察です」
「警察……?」
女性はまだ事態が掴めない様子で、久瀬と男を見比べる。
「あの、いい加減放してください。俺、何もしてないじゃないですか」
男は急に被害者ぶった態度で、久瀬に訴えた。思わず「はあ?」と顔をしかめた宙に対し、久瀬は表情を変えないまま腕を放した。だが、男からは離れず、いつでも再び拘束できる位置を保っている。
「いった……」「力強すぎだろ」とぶつぶつ呟く男を無視して、久瀬は女性に警察手帳を見せ、「遺失物管理課の久瀬です」と名乗った。警察のくせに、嘘つきだ。久瀬は嘘ではなく『特異』を省略しただけだとしらばっくれそうだが。
「お名前をお伺いしても?」
「原麗奈です。……彼は佐野耕祐」
女性――原は戸惑いながら答えると、佐野に向き直った。




