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外せない首輪⑦

 病院は事故のあった繁華街の近くにある、十階建ての大きな総合病院だった。久瀬は受付で警察手帳を見せ、慣れた様子で潮晴己の病室を尋ねる。事前に連絡していたらしく、すぐに階数と部屋番号を教えてもらえた。

 病室へ向かうため廊下を歩いていると、急に緊張してくる。宙は首輪を覆ったタオルを弄りながら、横目で久瀬の様子をうかがった。久瀬は眉ひとつ動かさず、当然のように病室へ入っていく。宙は慌てて久瀬の後に続いた。

 病室は個室で、大きな窓からは入道雲の浮かんだ空が見えた。部屋の中央にベッドが一つ置かれ、入院着を着た男が座って窓のほうを向いている。

「こんにちは、潮晴己さんですね」

 久瀬が声をかけると、ゆっくりと潮が振り向く。肩まである白い髪がさらりと流れた。

「……誰?」

 こちらを向いた彼の瞳は、空の色を映したような鮮やかな青だった。色白で、中性的な顔立ちをしている。

「警察です」

「またか……事情聴取なら散々したでしょ。もう話すことはないよ」

 久瀬が警察手帳を見せると、潮は面倒くさそうに背を向け、ベッドに転がった。そのままポケットからイヤホンを取り出し、耳に挿してしまう。

「聞きたいのは事故の話ではありません」

 久瀬はベッドの反対側へ回り込みながら、潮に言う。宙もその後を追い、ベッド脇に立った。

「うるさいなぁ。もう話したくないって言って――」

 顔を上げた潮と目が合う。潮は僅かに目を見開き、言葉を止めた。

「潮さん?」

「……気が変わった。少しだけならいいよ」

 イヤホンを耳から抜き、潮が身体を起こす。久瀬は振り返り、「知り合いか?」と小声で尋ねてきた。

「いえ……」

 目立つ容姿だし、一度でも会っていたら忘れないはずだ。少なくとも、学校で見かけた覚えはない。

 戸惑いながらも首を横に振ると、久瀬は一瞬眉を顰めた。しかし、すぐに表情を引き締め、ポケットから小さなメモ帳とペンを取り出す。

「ご協力ありがとうございます。では伺いますが、潮さんは事故に遭ったとき、犬を連れていた――もしくは、首輪を持っていませんでしたか?」

「持ってたよ。黒い革の首輪」

 あっさりと答えた潮に驚く。ということは、彼が『コタロウ』の飼い主なのだろうか。

「その首輪は、ご自身の物ですか?」

 久瀬は表情を変えることなく、メモ帳にペンを走らせる。

「うん」

「……では、飼い犬の名前を伺っても?」

 久瀬がメモ帳から視線を上げて尋ねる。潮は一瞬言葉を詰まらせた。それから小さく息を吐き、ベッドテーブルに頬杖をつく。

「犬は飼ってないよ」

「なら、なぜ首輪を持っていたんですか?」

「拾ったんだ。すごく……興味を引かれたから」

 潮は唇の端を吊り上げ、なぜか宙のほうを見た。困惑していると、久瀬が潮の視線を遮るように一歩前に進み出る。

「それは『あなたの物』とは言えません。拾得物は速やかに交番に届けてください。持ち去った場合、罪に問われることもあります」

「……そうなんだ。今度から気をつけるよ」

 警察から注意を受けているというのに、潮は飄々とした態度を崩さない。

「首輪はいつ、どこで拾いましたか?」

「事故に遭った日、繁華街の近くの川沿いで拾った。蕎麦屋がある辺り」

「拾ったとき、犬は見ませんでしたか?」

「見た見た。首輪のそばで、一匹でウロウロしてたよ」

「……それで、犬を放っておいて、首輪だけ持っていったんですか?」

 久瀬が怪訝そうに眉を顰める。潮は微笑んで首を傾げた。

「そうだけど。……何か変?」

「……いえ」

 久瀬は静かに答え、またメモ帳に視線を落とす。

「犬の外見について、教えてもらっても?」

「あれは……柴犬かな? 茶色と白の毛が混じってて、大きさはこれくらい」

 潮は軽く腕を広げて答える。宙は思わず久瀬の背中を叩いた。

「久瀬さん、夢で見たのと一緒です!」

「夢?」

 久瀬は一瞬潮を見て、「すみません」と断ると、宙を部屋の端へ引っ張っていく。

「何の話だ?」

「実は首輪を着けられた瞬間と、昨日の夜、犬の記憶みたいなものを見たんです」

 宙は声を潜めながらも、勢い込んで自分の見たものの話をした。久瀬はため息をつき、腕を組む。

「どうして今まで黙っていた」

「えっ? あ、いや、昨日は酔ってたし気のせいかなって思って、今朝はさすがに話そうと思ってたんですけど、事故の話聞いたりパン食べたりしてるうちに、その……」

「忘れたのか」

 ごにょごにょと言い訳する宙に、とどめを刺すように久瀬が言う。宙は「はい……」と背を丸めて頷いた。久瀬はじっとりと宙を睨みながらも、「……まあいい」と組んでいた腕を解いた。

「だが、拘束型で記憶干渉か……」

「珍しいんですか?」

「……というより、聞いたことがない」

 久瀬は顎に手を当て、考えるように視線を落とした。そこへ、背後から声が掛かる。

「――そうだ。首輪を拾ったとき、一緒に拾ったものがあるんだ」

 振り返ると、潮がベッドサイドに置かれた棚の引き出しを探っていた。中からカーゴパンツを引っ張り出すと、ポケットの中に手を突っ込んで、何かを取り出す。

「これこれ、あんたたちにあげるよ」

 差し出されたのは、直径四、五センチほどの銀色の丸いプレートだった。まるで自分の所有物のような物言いに、久瀬は若干顔を顰めつつ、プレートを受け取った。久瀬にくっついて覗き込むと、プレートの表面にはKOTAROU、裏面には住所が彫られていた。

「これって……飼い主の住所?」

 顔を上げて久瀬を見る。久瀬はプレートをチャック付きのポリ袋に仕舞い、潮に頭を下げた。

「お話聞かせていただき、ありがとうございます。……失礼します」

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