↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
53/55

12

 山根家の門の前に立つと、思っていた以上に足が竦んだ。資料で何度も見た、古びた二階建ての家。門の向こうには赤茶色の玄関扉が見える。

 この中に、久瀬がいる。――怖気付いている場合じゃない。

 宙は手に持っていたファイルを胸に抱き、門を潜った。近くに停めた車から、こちらを見守る浜松と秋田の視線を感じたが、あえて振り返らなかった。

 玄関前まで進むと、直接触れないよう手袋をした手で鍵を差し込む。

 カチャリ、と音を立てて鍵が開いた。

 扉を開けると、暗い玄関が宙を迎える。

「……お邪魔します」

 敷居を跨ぎ、深く息を吸うと、家の奥へ向かって続ける。

「同居人の久瀬さんを迎えに来ました!」

 声を張り上げた瞬間、背後で鍵の閉まる音がした。空気が揺れるのを感じる。まるで、家が怒っているような気がした。

 久瀬を――息子を連れて行く者は許さない、と言うように。

 ごくりと唾を飲み込む。胸に抱いたファイルを確かめるように撫で、再び大きく息を吸う。

「久瀬さーん! いたら返事してください!」

 靴カバーをつけ、玄関を上がる。その瞬間、家の中がまばゆい光に包まれた。

「……っ!」

 電気がついたのだ。窓も雨戸が上がり、外から光が差し込んでいる。足元は、浜松から聞いたのと同じ、緑の客用スリッパに変わっていた。

 宙はショルダーバッグから取り出しかけた懐中電灯を戻した。……これは必要なさそうだ。

 気を取り直し、久瀬の名前を呼びながら廊下を歩き出す。

 左手に和室。右手には洗面所。正面にはリビング。浜松から聞いた間取りと、今のところは一致している。

「久瀬さん! 久瀬さーん!」

 繰り返し名前を呼ぶが、返事はない。それほど大きな家でもないし、本来ならどこにいても聞こえる声なはずだ。恐らくこの家が、意図的に、久瀬に聞かせないようにしているのだろう。

 リビングへ入ると、四人分の夕食がテーブルの上に並んでいた。湯気の立つ味噌汁。ケチャップの掛かったハンバーグ。つやつやとした白米。

 誰もいないのに、まるで今から家族が食卓を囲むかのようだった。

 ぞわり、と背中に寒気が走るが、宙は負けじと口を開いた。

「あと一セット足りませんよー! 久瀬さんは客なので!」

 腹から声を出すが、応答はない。料理も増えない。

 宙はすごすごとリビングを後にした。ここに久瀬がいたらよけいなことをするなと怒っただろう。

 気を引き締め直し、しんとした廊下を歩き出す。客に見えるよう、周囲の物には触らず、大人しく部屋を回った。

「迎えに来ただけだからな……」

 二階へ続く階段を上りながら、誰に聞かせるでもなく呟く。

「久瀬さんがいたら、すぐ連れて帰るから」

 手袋越しに手すりを掴み、慎重に一段ずつ上っていく。二階には三つの扉があり、宙は手前の部屋を開けた。

 夫婦の寝室らしい。

「いない……」

 次の扉は書斎で、こちらも空振り。残るは廊下の一番奥の部屋のみとなった。

 扉を開けると、勉強机とベッドが見えた。棚には漫画と参考書、その横には野球のバットとグローブが無造作に置かれている。

「子ども部屋……?」

 久瀬は、この家に息子として認識されている。なら、ここにいるかもしれない。

「久瀬さん!」

 部屋へ足を踏み入れた――その瞬間だった。背後で、ばたん、と扉が閉まる。

「っ!」

 慌てて振り返る。けれど――扉がない。代わりに宙の周りには、服が掛けられていた。

「……え?」

 ここがクローゼットの中だと気づくのに、少し時間を要した。

 ――狭い。壁が、すぐそばにある。

 圧迫感に、喉の奥が引き攣った。クローゼットの中は暗く、扉の隙間から、わずかな光が差し込んでいるだけだ。

「……はっ……」

 息が浅くなる。

 ――駄目だ。分かっている。ここはただのクローゼットで、扉を押して出ればいいだけだ。

 そう思うのに、身体が言うことを聞かない。

「は……っ、は……」

 胸が苦しい。吸っても、吸っても、空気が足りない。

 やっとの思いで手を伸ばし、扉に触れると、思い切り押した。けれど、扉はびくともしない。

 押して、引いて、叩いて。何をどう試しても、扉が開く気配はない。

「開け……っ」

 声が掠れる。

「開けろ……!」

 暗くて、狭い。――息ができない。

 宙はシャツの胸元を掴み、その場に蹲った。――その瞬間、頭の奥で何かが弾ける。

 目の前の景色が揺れ、クローゼットの壁が消えた。代わりに見えたのは――瓦礫の山。

 暗く、埃っぽい空気。息を吸うたび喉の奥がざらついた。

 身体が重い。何かに挟まれているのだろうか。思うように身動きが取れない。足が痛い。腰も、肩も、どこが痛いのか分からないくらい、全身が痛かった。

 助けを求めるように視線を彷徨わせる。すぐそばに、誰かが横たわっているのが見えた。

 暗闇の中、こちらへ向かって伸ばされた手。――女の人の手だ。

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎……」

 喉の奥から声が漏れた。声変わり前のような、少し高い声。女の人を呼んだ気がするのに、何と呼んだのか分からない。

 ただ、胸が引き攣れるように痛んだ。目の前が涙で滲む。

「宙……大丈夫だ……」

 少し離れたところから、男の人の声がした。弱い声だった。

「すぐ、助けが……」

 そこまで聞こえて――途切れる。

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎?」

 返事はない。

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎……?」

 動かない。何度呼んでも、誰も答えない。

 全身がガタガタと震えだす。

 早く――助けを呼ばないと。俺が、助けないと。

 そう思うのに、声が出ない。息が苦しい。苦しくて、息を吸おうとするのに、もっと苦しくなる。

 そのとき、遠くから誰かの声が聞こえた。助けが来たのだ。

「――――っ」

 助けて。ここにいる。

 そう叫ぼうとするのに、声が出ない。

 早く助けを呼ばないと、間に合わなくなる。

 瓦礫の隙間から見える救助隊の姿が遠ざかっていく。その姿に、ふいに見覚えのある姿が重なった。

 背の高い、スーツ姿の男。――久瀬だ。

「……たす、けて」

 声が出た。小さく、掠れていても、溢れた声は確かに空気を震わせた。

『動かなくていい。息は吸うな。吐け』

 いつか、久瀬に言われた言葉が脳裏に蘇る。宙は目を閉じて、深く息を吐いた。

「助けて……久瀬さん! 久瀬さん!」

 何度も繰り返し叫ぶ。返事がなくても、声が裏返っても、構わず久瀬を呼び続けた。

「久瀬さん!」

「――三井?」

 ふいに、声が聞こえた。

 息をのんで目を開けると、さっきまであったはずの瓦礫の山がなくなっている。宙の周りには、ハンガーに掛かったコートやスラックスがぶら下がっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。