外せない首輪⑤
秋田は「んー……」と考えるように、少し視線を落とした。
「でも、私もちょっと気になります。この首輪の犬と飼い主のこと」
「秋田さん」
弾かれたように顔を上げた宙に、秋田は微笑んで首を傾げる。
「今のところ、三井くんの意識もはっきりしてますし、もう少し調べてから判断してもいいんじゃないですか?」
宙は秋田の言葉に何度も頷き、久瀬を見る。久瀬は露骨に顔を顰めた。
「……そうだな。俺も破壊処理はまだ早いと思う」
「浜松さんまで……」
苦々しげに言う久瀬に、浜松は笑ってみせた。
「久瀬の言い分も分かるが、まだ持ち主も、落としたときの状況も分かってないんだ。もう少し調べてみてもいいんじゃないか? 異失物による悪影響がないかは、俺たちで注意して見ていてやればいい」
浜松は久瀬の肩を軽く叩く。
「まずはこの首輪を着けていた犬と、その飼い主を特定しよう」
「……はい」
渋々、といった様子で久瀬が頷く。宙は首輪を拾った場所とそのときの状況を説明し、分駐所のシャワー室を借りることになった。
浜松に付き添ってもらい、近くのコンビニで歯ブラシと下着を買って戻ってくると、久瀬が着替えを渡してくれる。
「これ、久瀬さんのジャージですか?」
「嫌なら使わなくてもいい」
「嫌なんて言ってないじゃないですか。ありがとうございます」
笑顔でジャージを受け取り、早速シャワーを浴びる。首輪は濡れないように、ビニール袋とタオルで覆っておいた。
「服は洗って乾燥機にかけていいな?」
脱衣所の外のランドリースペースから、久瀬の声がする。
「はーい」
シャワーの音で掻き消されないよう、大きな声で答える。
「にしても、シャワー室に洗濯乾燥機まであるなんて、すごいですね〜」
汗をかいていたから、助かった。頭を洗うと、すっきりして生き返るような心地がする。
「当直勤務もあるし、仕事柄、汗をかいたり汚れたりすることも多いからな」
洗濯機を操作しているのか、久瀬の声に電子音が重なる。宙は交番から逃げ出したあと、久瀬が追いかけてきたときのことをぼんやりと思い出した。異失物『管理課』と聞くと事務仕事メインな印象だが、案外肉体労働なのか。
「そういえば、今日帰れないこと、親に連絡しなくていいのか」
ふと尋ねられた声に、体を洗っていた手が一瞬止まる。
「……大丈夫です! 俺、学生寮なんで」
「実家が遠いのか」
「や、そこまでじゃないんですけど……」
宙は少しだけ視線を泳がせ、笑った。
「ほら、一人暮らしってなんか憧れるじゃないですか。寮なら大学近いから、ギリギリまで寝られるし」
「……そうか」
「そうです。朝の五分は人類の宝なんで」
首輪のカバーを濡らさないよう、気をつけてシャワーで体を流し、浴室を出る。着替えを済ませて脱衣所を出ると、久瀬の案内で三階の仮眠室へ向かった。
「うわー、すご! ベッドまであるんですね」
仮眠室にはベッドが四つ並び、それぞれがカーテンで仕切られている。
「何かあったら下に来るか、電話してくれ」
「はーい」
久瀬と連絡先を交換すると、宙はベッドに横になった。寮のペラペラのマットレスより、寝心地がいい。
「電気切るぞ」
「あ、待って」
電気のスイッチに手を伸ばした久瀬を、慌てて止める。
「電気、消さなくていいです。その……真っ暗だと逆に寝づらいタイプで」
「……分かった」
久瀬は特に追及することなく、スイッチから手を離した。ほっと息をつき、宙はタオルケットを肩まで引き上げる。
「おやすみなさい」
部屋を出ていく久瀬の背に声を掛け、目を閉じる。色んなことが起きて疲れていたせいか、すぐに眠気がやってきた。泥の中に沈むように、体が重くなり、力が抜けていく。
薄れていく意識の中、宙は犬の鳴く声を聞いた気がした。
ふと、頬に風を感じて目を開けた。視界がぼやけて、周囲がよく見えない。ただ、窓から降り注ぐ光とエアコンのひんやりとした風が心地良くて、目を細めた。お気に入りのクッションに頬擦りして、再び目を閉じようとする。
「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎」
不意に低い声が聞こえた。水の中にいるように音が遠く、くぐもっていて、上手く聞き取れない。ただ、肌が粟立つような、嫌な感覚がした。
顔を上げるより先に乱暴に首輪を掴まれる。視界が揺れ、強引に立たされた。
「⬛︎⬛︎⬛︎」
さらに短く鋭い声が飛んできて、追い立てられるように歩き出す。力の入らない脚で、ふらつきながら廊下を歩いた。
玄関のドアが開き、じっとりと湿った熱い風が流れ込む。思わず足を止めると、リードを付けられ、力尽くで引かれた。首がぐっと詰まって苦しい。耐えきれず外へ足を踏み出すと、眩しい日差しが降り注ぎ、目の前が白く染まった。




