7
顔を引き攣らせて久瀬を見上げる。久瀬は座卓の前にあぐらをかき、パック寿司を二つ並べた。
「いらないなら俺一人で食う」
「………………いります」
久瀬はともかく、寿司に罪はない。宙はのそのそと座卓の前に戻り、パック寿司を手に取った。
開けてひっくり返した蓋の中に醤油を出すと、「いただきます」と手を合わせる。
「これって、もしかして謝罪の代わりですか?」
さっそく玉子のにぎりを口に頬張りながら、ぽつりと尋ねる。久瀬は「何の話だ」としらばっくれた。あくまでも謝る気はないらしい。
「……久瀬さん、本部出禁って噂、本当なんですか?」
次にサーモンへ箸を伸ばしながら、何気ない調子を装って尋ねる。向かいで寿司を食べていた久瀬の手が、一瞬だけ止まった。
「誰がそんな話――……秋田か」
途中で察したらしい。久瀬は面倒そうに眉間へ皺を寄せた。
「出禁じゃない。本部の一部情報へのアクセスと、単独での本部保管庫への立ち入りを禁止されているだけだ」
「ほぼ出禁みたいなものじゃないですか」
「全然違う」
「何やらかしたんです?」
「何もしてない」
「そんなわけないでしょ」
即座に返すと、久瀬がじろりと睨んでくる。
「久瀬さん、意外とルール無視するじゃないですか。緊急調査扱いにしたり、あとで守るとか言ったり」
「必要があればだ」
「そうやって何かやらかして、本部の偉い人怒らせたんじゃないんですか?」
「…………」
「ほら、黙った」
「うるさい。お前には関係ないだろ。黙って食え」
追及を打ち切るように言われ、宙は口を尖らせた。
大トロを醤油につけ、口へ運ぶ。脂が舌の上でとろけて、思わず頬が緩んだ。
――うまい。
これで素直に謝ってくれれば、もっと気分よく食べられるのに。
ちらりと久瀬を見る。
「もう一個聞いていいですか?」
「……何だ」
「久瀬さんって、記憶干渉型の異失物を探してるんですか?」
久瀬の表情が変わった。
ほんのわずかだったが、宙には分かった。視線だけが静かにこちらへ向けられる。
テレビから、出演者たちの笑い声が響いている。明るい声とは裏腹に、座卓を挟んだ空気だけがじわりと重くなった。
「何でなんですか?」
宙は久瀬を見つめる。
「記憶干渉型の異失物に、何かあるんですか?」
「……お前には関係ない」
「またそれ」
思わず声が尖った。
「何でも『関係ない』って言えば済むと思ってません?」
「実際、お前には関係ない」
「でも、俺は――」
言いかけて、口を閉じる。久瀬が訝しそうに眉を寄せた。
「……俺が子どもの頃の記憶ないの、久瀬さんも知ってますよね」
宙は箸を置き、膝の上で手を握った。
以前、新宿でレモネードを買おうとしたとき。
偶然会った小学校時代の同級生が、久瀬の前で昔の名字を呼んだ。事故のあと記憶を失ったことも、その場で話している。
「……ああ」
「俺の記憶喪失、異失物が関係してるかもしれないんです。その異失物は、今も未回収らしくて……」
言葉にしているうちに、胸の奥がざわついてくる。
記憶を取り戻したいのか、篠原の問いへの答えはまだ出せていない。だけど――……。
「だから俺も、知りたいんです。記憶に干渉する異失物のこと」
久瀬は何も言わない。
「今回の異失物が、俺の記憶喪失に直接関係ないことくらい分かってます。でも、同じ記憶干渉型なら……何か分かることがあるかもしれないじゃないですか」
「言っただろ」
低い声が返ってくる。
「お前にはまだ早い」
宙はぐっと歯を食いしばった。
「じゃあ、今回はいいです。また記憶干渉型の異失物が出たら、次は担当してもいいですか?」
「駄目だ」
間髪入れずに返される。
「何でですか!」
宙は座卓に手をつき、身を乗り出した。久瀬は黙ったまま、寿司へ箸を伸ばす。
テレビから聞こえる笑い声だけが、やけに大きくリビングに響いていた。
――結局、今朝と同じだ。
こっちが何を言っても、最初から聞く気なんてない。
「……もういいです」
宙は残っていた寿司を口へ押し込む。せっかくの寿司も、さっきほど美味しく感じなかった。
「ごちそうさまでした」
立ち上がり、空になったパックを持ってキッチンへ向かう。
「おい、三井」
「何ですか」
きっと睨むように振り返る。久瀬は眉一つ動かさず、壁に貼られた紙を指さした。
「独身寮同居規則の三項。忘れるなよ」
「………………」
『独身寮同居規則 三、共用部分の清掃は週一回、交替制とする』
今日は宙の当番の日だ。だが――今言うことか?
「久瀬さんって本当、人の気持ち分かんないんですね!」
そもそも、毎週掃除なんて多すぎる。
キッチンのシンクに空の寿司パックを置くと、宙はカウンターに転がっていたボールペンを掴み、同居規則を書き換えた。
『独身寮同居規則 三、共用部分の清掃は隔週、交替制とする』
「これでよし」
「おい、勝手に変えるな」
背中に声が飛んでくる。けれど、今度は振り返らないまま、自分の部屋へ戻っていった。




