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一瞬、何を言われたのか分からなかった。
頭の奥が、かっと熱くなる。
「久瀬」
浜松が窘めるように名前を呼ぶ。けれど久瀬は、宙から視線をそらさなかった。
「今のお前を連れていけば、異失物の調査に加えて、お前が現象に巻き込まれないか、能力が発動しないかまで警戒する必要がある。何が起こるか分からない現場で、そこまで手は回せない」
「だったら、自分の身くらい自分で――」
「守れるのか?」
鋭い声で問われ、言葉に詰まる。
「遺留品の保管室で、どうなった? 出来もしないことを軽々しく口にするな」
返す言葉がなく、宙は黙って唇を噛んだ。椅子の背にもたれ、そっぽを向く。
「分かりました。好きにしてください」
「最初からそのつもりだ」
「……ほんっとムカつく」
「聞こえてるぞ」
「聞こえるように言いましたぁ」
「はい、そこまで」
浜松が大きく息を吐いた。
「お前ら、喧嘩するなら帰ってからにしろ。今は仕事の話だ」
呆れたような浜松の言葉に、宙は俯き、「すみません」と小声で謝る。久瀬は黙って視線をそらした。
「じゃあ、調査担当は浜松さんと久瀬くんにお願いしようか」
篠原は苦笑混じりに言って、こちらを向く。
「秋田さんと三井くんは、分駐所で待機。浜松さんたちのサポートをしつつ、通報があったら他の異失物の対応をして」
「……はい」
唇を尖らせながらも、渋々頷く。篠原は資料をファイルに戻し、久瀬と浜松へ視線を向けた。
「二人とも、無理はしないでね。何かあったらすぐに連絡して」
「はい。……まずはこの家に住んでいた住人の調査からですね」
久瀬が資料を手に立ち上がった。浜松も「よし」と腰を上げる。
会議室を出ていく二人の姿を、宙は未練がましく見送った。
――記憶に干渉する異失物。
十一年前の事故のことを聞いたばかりだから、気になっているだけなのかもしれない。
それでも、胸の奥に引っかかったものは、どうしても消えてくれなかった。
久瀬たちはオフィスに戻ると、すぐに荷物をまとめ、空き家に住んでいた男性――山根勤の親族のもとへ話を聞きに行ってしまった。
居残りを言い渡された宙はというと、秋田と一緒に電話番をしつつ、SNSのパトロールをしている。
異失物は怪異を起こすという特性上、すぐに通報へ繋がらないケースも多い。そのため、不審な落とし物に関する噂などがないか、定期的にSNSをチェックしているのだ。
頬杖をつき、くるくるとマウスホイールを回しながら、画面を下へ下へとスクロールする。
かれこれ二時間近く確認しているが、それらしい投稿は見当たらない。
「はあ……」
思わずため息を吐いた、そのときだった。
宙の目の前に、不意にぬっと赤い箱が差し出される。
「うわっ!」
「三井くん、チョコ好き?」
驚いて振り向くと、秋田が笑顔で手にした菓子箱を振っていた。
「好きです……」
「よかった。じゃあ一緒に食べよ」
秋田はペリペリと切り取り線に沿って箱を開け、中から個包装されたチョコ菓子を二つ取り出した。そのうち一つを差し出され、宙は小さく頭を下げて受け取る。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
秋田は自分のデスクへ戻らず、そのまま宙の隣――久瀬の席に腰を下ろした。
袋を開けながら、ちらりとこちらを見る。
「空き家の調査のことだけどさ。外されたの、気にしてる?」
「別に……」
「あははっ、嘘つきだ」
即座に見破られ、宙はむっと口を尖らせた。
「嘘つきは久瀬さんですよ」
「久瀬さん?」
「前に言ってたんです。できないことは隠さなくていいって。言わない方が連れていけないって」
チョコを口に放り込み、ぼそぼそと続ける。
「なのに結局、連れてってくれないじゃん……」
もちろん、自分が未熟なせいだということは分かっている。
久瀬の言っていたことは正しい。あの場で反論できなかったのも、自分自身がそれを理解していたからだ。
だからこそ、余計に悔しい。
秋田はしばらく黙って宙を見ていたが、やがてぽつりと呟くように言った。
「久瀬さんが三井くんを連れていかなかったの、三井くんのせいだけじゃないと思うよ」
「いいですよー、無理に慰めなくて」
「慰めてるんじゃないよ。本当だって」
秋田は少し声を落とした。
「久瀬さんの前のバディが、異管から異動になった話って聞いたことある?」
「あー……」
そういえば、篠原にインターンを提案されたとき、久瀬の前のバディが一ヶ月前に異管を離れたと言っていた。
「私も詳しいことは知らないんだけどね。そのバディ――木原さんっていうんだけど――ある異失物の調査で久瀬さんと揉めちゃって。そのあと、異管を外れる形で異動になったらしいの」
「え……」
思わず、チョコを口へ運ぼうとしていた手を止める。
確かに、今考えると七月は異動の時期としては珍しい気がする。何か特別な事情――職員同士のトラブルなどがあってもおかしくはない。
「何で揉めたんですか?」
「そこまでは知らない。浜松さんは『俺に聞くな』の一点張りだし、篠原さんはのらりくらりでまともに答えてくれないし」
秋田はチョコを齧りながら、不満げに言う。何となくその姿が想像できてしまい、宙は苦笑した。
「ただね。そのとき調査してたのが、今回と同じ記憶干渉型の異失物だったんだって」
「記憶干渉型の……」
秋田の言葉に、会議室で篠原が言っていたことを思い出す。
「そういえば、篠原さん、久瀬さんが記憶干渉型の異失物に詳しいって言ってましたよね。何で詳しいのか、秋田さんは知ってます?」
秋田は首を横に振った。
「知らない。久瀬さんって、自分のことあんまり話さないし」
「そっか……」
「でも、私が異管に来る前にも、本部を怒らせたことがあるって噂があってね」
秋田は声をひそめ、宙へ少し顔を寄せた。
「そのときも、記憶干渉型の異失物絡みだったらしいよ。久瀬さん、このタイプの異失物となると、ちょっと余裕なくなるみたいなんだよね」
「……久瀬さんが?」
普段の久瀬からは、あまり想像できない。
久瀬はいつも冷静で、宙が慌てたり突っ走ろうとするたび、呆れた顔で止める側だ。
「そう。本部を出禁になってる、なんて噂も聞いたことあるし」
「でっ、出禁……!?」
あまりにも穏やかではない単語に、宙は目を丸くする。
「もちろん噂だよ? 本当かどうかは知らない。でも、何か上の人を怒らせるようなことしたんじゃないかって」
「……それはやりそう」
「でしょ?」
「いや、でも篠原さんも上を怒らせてそうだし……」
「うち、そういう人ばっかりなのかな」
二人で顔を見合わせ、思わず噴き出す。秋田は笑いながら、ゴミ箱にお菓子の箱を捨て、立ち上がった。
「まあとにかく、そういうわけだから。今回久瀬さんが三井くんを連れて行かなかったこと、あんまり気にしない方がいいよ」
顔を上げると、秋田は目を細めて宙を見る。
「三井くん、まだ大学生なのによく頑張ってるよ」




