13
心臓がどっと音を立て、一瞬息が止まった。手のひらからスマホが滑り落ちる。床にスマホが落ちるのと、部屋のドアが閉まるのは、ほとんど同時だった。
「……ぁ……」
掠れた声が溢れる。心臓が早鐘を打ち、背中に嫌な汗が滲んだ。
まずい。早く――早く、ここから出ないと。
何もしていないのに、息が上がる。手足が震えて、上手く力が入らない。棚に手を掛け、なんとか腰を上げるが、踏み出した足がもつれてその場に崩れ落ちた。
暗くて、何も見えない。唯一の出口は閉められてしまった。――もう、出られない。
考えただけで、胸が詰まって、息を吸おうとするほど苦しくなる。今まで自分がどうやって息をしていたのか、思い出せない。喉の奥が、細く乾いた音を立てた。
硬く目を瞑り、その場に蹲る。
どうしよう。どうにかしないと。どうにか――……
「――い、三井!」
不意に声がして、肩を掴まれた。目を開けると、いつの間にか部屋に明かりがついている。
「動かなくていい。息は吸うな。吐け」
顔を上げようとした宙を制し、静かな声が指示を出す。混乱する宙の背に、そっと手が添えられた。
「ゆっくりでいい。大丈夫だ、落ち着いて吐け」
声に従い、ゆっくりと息を吐く。
「そうだ。まだ吸うな。吐ける分だけ吐け」
限界まで吐き出すと、深く息を吸い、また声に従って吐き出す。それを何度も繰り返すうちに、呼吸が落ち着いてくる。
滲んだ涙を手の甲で拭い、宙は顔を上げた。硬い表情でこちらをうかがう久瀬と目が合う。
「やー……すみません。ちょっと、空気薄かったですね」
「薄くない。過呼吸だ」
へらっと笑った宙に、表情を変えないまま久瀬が言う。
「……ですよね」
「異失物に触ったのか」
床に落ちたスマホを拾い、久瀬が尋ねる。宙は俯き、膝の上で強く両手を握った。
「すみません。……でも、これのせいじゃないです」
宙が答えると、久瀬は考えるように顎に手を当てる。
「……そういえば、寝るとき電気を消したがらなかったな。暗所が駄目なのか」
「や、暗いだけならなんとか……」
「なら、閉暗所か」
言い当てられ、無言で小さく頷く。
「どうして言わなかった」
ため息混じりに久瀬が問う。握りしめた宙の手に、強く力がこもった。
「すみません。……足引っ張るなって言われてたのに」
宙の言葉に、久瀬は一瞬困惑したように眉を寄せた。それから、思い至った様子で苦虫を噛んだような顔になる。
「あれはそういう意味じゃない。その……お前が、ふざけるから」
珍しく歯切れの悪い声で言って、小さく息を吐く。
「いいか、怖いことは問題じゃない。隠さなくていい」
「……怖いって言ったら、連れてってくれなくなるんじゃないですか?」
「言わない方が連れていけない」
きっぱりと答えた声に、恐る恐る視線を上げる。久瀬はまっすぐに宙を見つめ返した。
「できないことが分かれば、対策できる。照明を持つとか、ドアを開けたままにするとか、誰かが付き添うとか。それで済む話だ」
久瀬は立ち上がり、宙に手を差し伸べる。
「立てるか」
「……はい」
躊躇いがちにその手を取ると、しっかりと握り返され、引き上げられた。
久瀬は遺留品の箱から保管袋を取り出し、スマホを袋の中へ戻す。その横顔を見ながら、宙は密かに息をついた。
理由を聞かれなかったことに、ほっとしていた。
以前にも、閉暗所で過呼吸を起こしたことがあった。そのとき一緒にいた友人たちはひどく心配して、どうして怖いのか、何かきっかけがあったのかと何度も尋ねた。
けれど、宙は何も答えられなかった。自分でも、分からなかったから。
宙には、十歳より前の記憶がない。
十一年前、地震による市民ホールの崩落事故に巻き込まれ、それ以前の記憶を失くしてしまった。そして、そのときからずっと、暗くて狭い場所が怖い。
事故で閉じ込められたせいなのかもしれない。あるいは、それよりもっと前から怖かったのかもしれない。
何が怖いの。
どうして怖いの。
そう聞かれるたび、宙は答えられなかった。理由も分からないのに怖がっている自分は、ひどく幼稚な気がして、恥ずかしくて、嫌だった。
袋に入れたスマホを、久瀬が箱の中に戻す。それを視線で追った宙は、箱の隅に見覚えのある紙を見つけ――はっと息をのんだ。
「待ってください!」
箱を棚に戻そうとした久瀬を止めて、中を覗き込む。
「何だ?」
訝しむ久瀬を無視し、宙は箱から一枚の紙を取り出した。
――ああ、そうだ。これは、きっと……。
「あの、滝山さんのお母さんは!? まだいますか!?」
「ああ。遺留品を返却すると言っていたから、まだいるんじゃないか」
「今すぐ会わせてください!」




