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外せない首輪②

「イカン?」

「何ですか、それ」

 宙と小脇が尋ねるが、中野は答えず、こちらに背を向けてスマートフォンを取り出した。

「……はい、そうです。イシツブツの可能性があります」

 小声で話す声が、微かに聞こえてくる。

 イシツブツとは、遺失物――落とし物のことだろうか。けれど、ただの落とし物を指すにしては、中野の声はやけに深刻だった。

「ちょうど近くに来てたらしい。迎えに行ってくるから、ちょっと待ってろ」

「はぁ……」

 中野が慌ただしく交番を出ていく。鍵開け職人ならぬ、首輪外し職人でもいるのだろうか。椅子に座って待っていると、しばらくして、中野はスーツ姿の男を一人連れて戻ってきた。見た目は二十代半ばくらいに見える。切れ長の目に、すっと通った鼻筋。俳優でもやっていそうな顔立ちなのに、表情がなさすぎて近寄りがたい。

「彼です。三井宙くん。落ちてた首輪を着けて外れなくなった子」

 中野が言うと、スーツの男は宙――正しくは宙の首輪に目を向けた。無言で歩み寄ってくる男に、宙は慌てて立ち上がる。身長は百八十センチ前後だろうか。宙とほとんど変わらない。

「座ったままでいい。気分は?」

「え?」

「それを着けていて、具合が悪くなったりはしてないか?」

 椅子に座った宙の前に片膝をつき、男が尋ねる。

 何だ。ちょっとぶっきらぼうだけど、意外といい人そうだ。

「大丈夫です」

「そうか。何か異常を感じたら、すぐに言え」

 そう言って、男は振り返り「何か挟むもの……タオルかハンカチはありますか?」と尋ねた。小脇が「持ってきます」と小走りでカウンターの奥へ向かう。

「あの〜、お兄さん誰なんですか? 首輪外す専門の業者さん?」

「そんな業者いるわけないだろ。お前みたいな間抜けはそういない」

 ……前言撤回。感じ悪いな。

 むっと口を尖らせるが、言い返せる立場ではない。

 男は首輪と宙の首の間に、受け取ったタオルを挟んだ。

「いいか。少しでも首が絞まったら右手を挙げろ」

「は……はい」

 宙が頷くと、男は「触るぞ」と首輪のベルトに手を掛けた。ゆっくりとした動作でベルトを動かす。

「――ゔっ」

 ぐっ、と喉の締まる感覚がして手を挙げる。男はすぐにベルトから手を離した。

 一瞬のことで、タオルも間に挟まっていたから、苦しさはあまり感じなかった。けれど、妙な不快感が胸に残る。

「どうでしたか?」

 中野がおずおずと尋ねる。

「……間違いなさそうです」

「やっぱりですか! いやぁ、実は十年くらい前、練馬の交番にいたときに、届いた物がイシツブツだったことがあって――」

 男の言葉に、中野が少し興奮した様子で話し出す。男は聞いているのかいないのか、おもむろにポケットからスマートフォンを取り出し、「すみません、本部に報告しても?」と尋ねた。

「ああ、はい。もちろんです」

 男はスマートフォンを耳に当て、こちらに背を向けた。

「あのー、イシツブツって何なんですか? これ、外せないんですか……?」

「いやいや、大丈夫だ」

 心配になって尋ねると、中野が安心させるように宙の肩を叩いた。ちらりと電話中の男を見て、「ちょっと待ってろ」と奥のデスクからハサミを持ってくる。

「き……切るんですか?」

「ああ。前に見たときも、異管の人が壊して処理してたんだ。こういうのは、普通の落とし物とは違うからな」

 蛍光灯の光が反射して、ハサミの刃が鈍く光る。近づく刃を見て、背筋に悪寒が走った。

「大丈夫、首が締まる前に切ってやるから」

 思わず身を引こうとした宙を、中野が制する。首に巻かれていたタオルを抜かれ、冷たい刃の背が首に当たった。

「――やめろ! 切るな!」

 電話をしていた男が、こちらに気づいて叫ぶ。だが、それよりもハサミの刃が首輪を挟むのが早かった。

 その瞬間、全身に鳥肌が立ち、首輪がきつく締まる。耐えがたいほどの不安と恐怖、そして――拒絶感。

 宙は中野を突き飛ばし、椅子から転げ落ちた。

「かはっ……はっ、はぁ」

 首輪を掴み、必死で息をする。心臓が早鐘を打ち、視界が涙で滲む。

「す、すまん。大丈夫か」

 中野が宙に近づこうとする。

「く、るな……っ!」

 宙は叫び、ふらつきながら立ち上がった。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 訳も分からないまま、ただ拒絶感だけが胸に湧き上がってくる。

「おい、いったん落ち着い――」

「来るな!」

 とっさに腕を振ると、カウンターに置いてあったペン立てが倒れ、床にペンが散らばる。中野たちが怯んだ隙に、交番の外へ駆け出した。

「ちょっと、三井さん!」

「おい!」

 背後から叫ぶ声が聞こえたが、足は止まらなかった。人混みを掻き分け、薄暗い脇道へ入る。喧騒が遠ざかり、静かな通りにコンクリートを蹴る足音が響いた。息が苦しい。焦りで足がもつれる。

 しばらく走り、脇道を抜けると急に目の前が開けた。人気のない川沿いの遊歩道。暗い水面に夜の街の灯りが反射して、時折きらきらと輝いている。

 その光を見つめているうちに、波立っていた気持ちが凪いでいく。確かめるように首輪を指でなぞり、深く息をついた。

「――見つけた」

「うわーっ!?」

 ふいに背後から聞こえた声に、飛び上がる。振り返ると、交番で会ったあの男がいた。スーツの袖を捲り、肩で息をしている。

「……っ」

「おい――待て!」

 また走り出そうとした宙を、男が制止する。その瞬間、金縛りにあったように身体の動きが止まった。

「な、なんで……」

 宙は困惑して自分の身体を見下ろした。男は小さく息をつき、宙に近づいてくる。

「よく躾られてたんだな」

「俺のこと犬だと思ってる!?」

「お前じゃなく、その首輪の持ち主だ」

 男は淡々と答え、宙の前で足を止めた。じっと観察するようにこちらを見つめ、

「よし」

 短く言った。その瞬間、身体の硬直が解けた。深く息をつき、その場にへたり込む。

「な……何なんだ」

「それは、ただの首輪じゃない。『異失物』だ」

「遺失物って、落とし物の……?」

 男を見上げて尋ねる。男は小さく首を横に振る。

「違う。特異遺失物――通称、異失物」

「何ですか、それ。聞いたことないですけど」

 宙は眉間に皺を寄せた。

「無用な混乱を避けるため、表向きには存在を明かされていないからな」

 男は宙に向かって手を伸ばした。その手を取って、ゆっくりと立ち上がる。

「物には使っている者の感情が残る。それが執着であれ、愛情であれ……憎しみであれ、感情が強いほど痕跡は深く残る」

 宙の首輪を見つめて、男は続ける。

「そして、蓄積した思念は、ある条件下で怪異へと変わる。それが異失物だ」

「か……怪異?」

 呟く声が掠れる。宙は乾いた笑いを溢した。

「い……いやいや、ホラー映画じゃあるまいし」

「なら、その首輪。どう説明する?」

 尋ねられ、言葉に詰まる。そのとき、こちらへ走ってくる足音が聞こえた。

「三井さん!」

「よかった、見つかったんですね」

 小脇と中野だ。中野は安堵した様子で表情を緩め、こちらに近づいてくる。

「大丈夫か。さっきは悪かっ――」

「彼に近づかないでください」

 鋭い声だった。中野は小さく息をのんで足を止める。

「命令形で話しかけるのも厳禁です」

 男が言って、宙を庇うように前に立つ。小脇は顔を強張らせ、腰の警棒に手をやった。

「あの、失礼ですがあなたは?」

 中野が慌てたように「おい、小脇」と腕を叩く。男は手を上げて中野を止めた。

「構いません。……こちらも、名乗らず失礼しました」

 そう言うと、スーツの内ポケットから黒いレザーの手帳を取り出す。

「警察庁刑事局特異遺失物管理課の久瀬隼人です」

「警察官だったんですか?」

 驚いて男――久瀬の顔を見上げる。小脇は困惑したように中野を見た。

「特異遺失物管理課なんて、聞いたことないですけど……」

「秘匿部署だからな」

 中野が答える。久瀬は警察手帳をポケットに戻し、中野に向き直った。

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