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外せない首輪①

「あの〜……すみません」

 ――ああ、なんでこんなことになったんだ。

 金曜日の夜。駅前の繁華街は、飲み会帰りのサラリーマンや大学生で賑わっている。三井宙は、通りの片隅にある小さな交番の扉を開けながら、情けなさと羞恥で消えてしまいそうだった。

「どうしましたか?」

 背を丸め、首元を押さえながら入ってきた宙に、女性警察官が顔を上げて尋ねる。宙は上目遣いで彼女を見て、押さえていた首元を指さした。そこには、黒いレザーの首輪がはまっている。

「これ、外れなくなっちゃったんですけど……」




 夏休みに入り、大学のゼミメンバーと行った飲み会終わりのことだった。これから始まる長期休暇に浮かれて、少し飲み過ぎてしまっていた。だらだらとくだらない話をしながら駅まで向かっていた途中、

「あれ」

 ふと、一人が足を止めた。道の端へ走っていき、何かを拾い上げて振り返る。

「見ろよ、なんか落ちてた」

 そう言って振ってみせたのは、リードの付いた犬の首輪だった。中型犬用だろうか。厚みのある黒いレザーの、しっかりとした首輪だ。

 彼――倉橋は宙を見てにやりと笑う。

「これ、宙のじゃね?」

「は? なんで」

「お前、犬っぽいじゃん」

 倉橋の言葉に、宙は怒った顔をつくってみせる。

「犬じゃねーし! 偏見だわん!」

「おい、本性出てるぞ」

「わんわん!」

 ふざけて鳴き真似をする宙に、笑い声が上がる。

「なあお前、これ着けてみろよ」

「んぁ?」

 不意に倉橋が背後に立った。首にベルトを回され、締められる。その瞬間、頭の奥がズキリと痛んだ。

「――っ、?」

 一瞬、目の前の景色がブレて、どこか違う場所が見えた。

 レースカーテンから溢れる淡い光。白で統一された家具。ふかふかのクッションの上で、風が吹くたびに揺れるカーテンをぼんやりと眺める。視界の端に、白と茶色の毛に覆われた前脚が見えた。

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎」

 ふと、名前を呼ばれた気がした。顔を上げるけれど、見上げた顔は霞んでよく見えない。手のひらが近づき、そっと頭を撫でられる。

「宙?」

 倉橋の声に、はっと我に返る。辺りを照らすネオンの光。通りを行き交う人たち。街の喧騒が耳に戻ってくる。

「え……ああ、いや」

 何度か瞬きをして、首を振る。

 さっきのは、何だ。飲み過ぎたのだろうか。

 胸がざわつき、宙はそっと首元に手をやった。夏の空気で汗ばんだ肌に、首輪の感触がやけに冷たく感じる。

「てかさ、もう帰るのか?」

「俺、カラオケ行きたい〜」

「俺はパス」

「じゃあ、一旦ここで解散するか」

 みんながこの後の予定を話すのを聞きながら、宙は首輪を外そうと、ベルトの先を持った。金具を少し浮かせ、ベルトを緩めようとする。けれど、なぜかベルトが何かに引っ掛かったように動かない。

「ん……?」

「なぁ、宙は? もう一軒行く?」

「や、もう帰るけど」

「そ? じゃあ俺らカラオケ行くから」

 またな、と手を振って、倉橋たちが近くのカラオケ店へ入っていく。帰宅組はいつの間にか駅に向かって歩き出していて、人混みに背中が消えていく。宙は道の端に移動して、首輪を外そうとした。

「ん? んん〜〜?」

 けれど、首輪は一向に外れる気配がない。単純なベルトの首輪に見えたが、別の留め具が付いているのだろうか。近くの店の窓ガラスに首を近づけて首輪を見てみるが、それらしきものは見つからない。

 力任せに引っ張ったり、意味もなく上下に振ったり、どうにか外そうとするが、やはり外れない。

 家に帰ってハサミで切るべきか。だが、勝手に壊すのは抵抗がある。落ちていた物だし、持ち主が探しているかもしれない。

「落とし物……」

 ハッと息をのむ。

 そうだ、交番に行こう。警察の人に外してもらって、ついでに落とし物として届け出ればいい。

 駅前に交番があったのを思い出し、ほっと息をついて歩き出す。

「ねぇ、今の人、犬の首輪着けてたよ」

「チョーカーじゃなくて?」

「違うよ! リード付いてたもん」

 すれ違った女性たちの、くすくすと笑う声が聞こえる。宙は顔を真っ赤にして俯き、慌ててリードをシャツの中に入れて隠した。

 くそ、倉橋め。次会ったら絶対に飯奢らせてやる……。

 首輪を隠すように手で首を押さえ、足早に歩く。しばらくして繁華街を抜けると、交番の明かりが見えてきた。

 これから、この情けない状況を説明することを思うと、とたんに足が重くなる。けれど、行かないわけにはいかない。

 深く息を吸い、交番の扉を開ける。

 女性警察官に首輪が外れなくなったことと、その経緯を説明すると、呆れた顔で注意された。

「落とし物で遊んだら駄目ですよ。拾ったらすぐに交番に届けてください」

「すみません……」

「大学生? お名前は?」

「三井宙……東武学院大学の三年生です」

 しゅんと肩を落として答える。女性警察官は宙を椅子に座らせ、首輪を眺めた。

「普通の首輪に見えるけど……酔って力入らなくなっちゃった?」

「そこまでは飲んでないです」

 二十歳を過ぎてからもう一年、さすがに自分の酒量くらいは分かってきた。無茶な飲み方はしていない。

「そう? まあ、とりあえず外すから上を向いてて」

「はーい」

 言われた通り、素直に顎を上げて首を伸ばす。女性警察官は宙の首輪に手を掛け、ベルトを緩めるように軽く引いた。

 次の瞬間、首がぎゅっと締め付けられる。宙は驚いて身を引いた。

「いっ、今、俺の首締めました!?」

「そんなことしないわよ!」

 そう答えながらも、彼女はどこか戸惑っているようだった。自分の手と宙の首輪を交互に見て、眉を寄せている。

「おい、小脇。どうしたんだ?」

 奥にいた年配の男性警察官が、こちらの様子に気づいて近付いてくる。

「中野さん……。あの、この方――三井宙さんが落とし物の首輪を着けて、外れなくなったそうで」

「何だそりゃ。早く外してやりな」

 中野と呼ばれた警察官が、おかしそうに笑う。女性警察官――小脇は頷いて、再び宙の首輪に手を伸ばそうとした。

 その瞬間、ぞわりと鳥肌が立つ。

 ――嫌だ! やめろ!

「ま、待ってください!」

 とっさに首輪を守るように、手で押さえる。自分でも、どうしてこんなことをしているのか分からない。

 ただ、言葉にならない不安と焦りが込み上げてくる。

「なんだ、酔ってるのか?」

 中野がまた笑う。けれど、小脇は手を止めて中野を見上げた。

「あの……すみません。中野さん、代わってもらってもいいですか?」

「ん? 構わんが……金具が硬いのか?」

「いえ、そういうわけではないんですが……」

 歯切れの悪い返事に首を傾げながら、中野は宙の前にしゃがみ込んだ。小脇はその隣にしゃがみ、じっと観察するように首輪を見つめる。

「じっとしてろよ。今、外してやるから」

 中野が言って、首輪のバックルを掴んだ。

「――っ」

 全身が総毛立つような感覚に、息をのむ。中野は首輪を外そうと、ベルトを引いた。

「ぅ、ぐ……っ!」

 とたんに首輪が締まり、喉の奥がぐっと詰まった。息ができない。

 宙は反射的に中野の手を払いのけ、身を引いた。彼の手が離れると、首輪の締め付けが緩む。

「けほっ、ごほっ!」

「大丈夫か!」

「見ました!? 今、勝手に締まりましたよ!」

 小脇が首輪を指して言う。宙は立ち上がり、二人から距離を取った。

「なっ、何なんですか? 首輪が勝手に締まるなんて、そんなことあるわけないじゃないですか!」

「お、落ち着いてください」

 小脇が宙を宥めようとするが、彼女自身も動揺を隠しきれていない。中野は顎に手を当て、しばらく考え込んでいた。そして、おもむろに立ち上がると、

「……こりゃ異管案件だな」

 と呟く。

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