僕
僕の生まれた日は、閏年の二月二十九日。
四年に一度しかこない、四年に一歳しか年をとれない日だ。
その日に生れたものはジュンネンと言われる。
本当なら出産予定日はまだ先だったけれど、両親の乗っていた車が事故に合った。そのショックで早まってしまい、何とか一分でも日をずらそうと母親は頑張っていたらしいけれど、このままではどちらも危ないということでその日僕は生れた。
誰もが、この時期は避けて産もうとする。
僕の両親のように事故や、何らかの異常があった場合は仕方なくといった具合に、二九日に産まれてくる。でも稀だ。
だから、閏年の一月から三月は、出生率がとても低い。
0歳を四年、一歳を四年。
他の子達なら8歳になり小学性になっているのに、僕はまだ二歳。
変わらない姿のまま、赤ん坊を何年もしなくてはいけない。
赤ん坊の時なら、自分の意識はないから何年でも出来る。
けれど、小学生にもなると、なぜ自分は何年も同じことを繰り返さなければいけないのか、なぜ仲の良かった友達と離れ離れになるのか不思議に思い、自分の課せられている運命を知ることになる。
周りの友達は全て進級していく。自分だけが取り残される。小学三年生になっても 同じ年に生まれた皆は、すでに三十七歳だ。
それだけの年月を費やされるのに、何も変わらない自分、そしてそんな子供を育てる親は、正常でいられるだろうか。
僕の両親は結婚して十年、やっと授かったという僕をとても大切にしてくれた。それは、幼かった僕にもよくわかった。
中には、変わらない子どもに嫌気をさし捨てる人もいるという。
子供は子供で、そんな何も変わらない、長すぎる人生に嫌気をさし、自ら命をたつ者もいる。
両親は、九十五年の阪神・淡路大震災で、当時幼稚園だった僕を守って死んだ。
倒壊した家の下で、僕を包むように二人で重なっていたそうだ。
そんな両親が助けてくれた命を自分で捨てることは出来ない。、
それから僕は、母方の祖父母に育てられた。
小学一年生の時のことだ。
ゴールデンウイークが終わった頃には、気のあった者同士のグループも出来、そのうちの一つのグループから僕はいじめにあっていた。
理由なんていつの時代も特別ない。ただ皆より、歩くのが遅い、声が小さい、食べるのが遅いなんていう取るに足りないことだ。
僕はジュンネンという理由だ。一人だけの異質として見られている。
今ではいじめは、事件や犯罪として社会問題化するほど深刻な事態を向かえているけれど、その頃はまだ少ないほうだっただろう。
その時出来た友達から、「佑人君と一緒にいたらお前もいじめるって言われたんだ。だからゴメン。」と言われた。僕は「いいよ。」と言った。決っして負け惜しみでもなくそおう思った。気にせずいてくれる友達もいるからだ。




