6.お遊び
「あ~、アッタマくるぜ。あんな悪魔みたいなメスガキにとりつかれて、こっちはとんだとばっちりだ! ブランは死んじまうし、煙草の箱は空っぽだし、くそったれ殺し屋どもには追われるし、踏んだり蹴ったりだ」
車輪の音が小さくなりだした。
道が石から土くれに変わり、音が吸収されたのだ。
増していく静けさに心細くなる。蔓草は幽霊に見えるし、シダの葉っぱは自分を地獄に引きずり込もうとする手に見える。ときどき垂れ下がる枝葉は自分を握りつぶそうとしている悪魔の鉤爪に見えた。
「この樹海を抜けたら、ほとぼりが醒めるまでどっかに身を隠さねえとな。ロブ・バレオンの町になじみの娼家があるから、そこに転がり込むか……。つっても金がねえと始まらねえ」
胸に違和感を感じる。何かがぶつかる感じだ。
これ、罪悪感か? まあ、あんなのでもまだガキだ。さすがに置き去りはよくなかったか。あの異様な薄情さだって、暗殺者としての育ちの悪さがそうさせるだけでちゃんとした家に生まれてちゃんとした親の元で愛情をかければ、まあ、そこそこ性格はよくなったかもしれないな。でも、俺が置いてくって言っても堪える気配は微塵も見せないし、なんつうかやっぱり薄気味悪いガキであることには変わりねえな。よしっ、置いていって正解。
オーロンの結論がまとまったところで胸に何かがぶつかる感じの正体もわかった。
さっき見つけて懐にしまったエルフロア煙草である。
オーロンは煙草を取り出した。
「たった一本。これ一本だけか」
持っていても情けなくなるだけだ。とりあえず匂いを嗅いでみた。そこはエルフロアの高地産、香りは抜群である。紙が少し分厚いが、まあ問題はない。
「呑んじまおう」
オーロンは煙草をくわえたまま、マッチを探した。
「荷台の道具箱かな? 馬車止めるのが面倒くせえな。ピストルの火皿でつけちまおう」
片手で手綱を握ったまま、ピストルを取り、火皿に火薬を入れる。
撃鉄を上げ、引き金に指をかけるところで銃が弾き飛ばされた。
地面に落ちて暴発し、銃声が森を反響する。ピストルの銃床には錐のような投剣が突き刺さっている。
馬がおびえて足を止めた。
投剣が飛んできた方向を振り返ると、白い仮面が草むらからオーロンを覗いている。草のかさつく音一つ立てずににじり寄ってくる。
さっきの黒マントの仲間だろうが様子が違った。白い仮面と黒い布頭巾が顔を完全に隠しきっていたし、来ている服ももっと動きやすそうな黒装束だった。そして両手に取りつけた鉄製の長い爪。その切っ先を地面につくか否かのところまで下げて、低い姿勢で隙を窺っている。気づくと左右にも同じようなやつが距離をつめようと近寄ってきていた。
「くそっ」一か八かオーロンは説得を試みた。「おい、お前ら。お前らの目的は昔、お前らのお仲間だったっていうあのイカれた小娘だろ? だったら、残念だったな。あの跳ねっ返り娘ならここにはいない。置いてった。ずっと後ろのほうでな」
そう言って、オーロンは後ろを指差した。
暗殺者たちの仮面に隠れた目は少しも逸れなかった。
冷や汗が止まらない。煙草を噛む歯が震えてくる。
「バイバイ、あのガキと好きなだけ殺し合いな。俺はこのまま樹海を抜けて、なじみの酒場で一杯やって、いい女と一発やって寝る。お前らがどこの誰かなんて、俺には全然関係ないからな」
オーロンの無関心を装った口上も意味を成さなかった。暗殺者たちはオーロンを完璧に囲い込んだ。
(ラッパ銃で一人は倒せる。でも、撃った途端、両側の奴らが……)
左――空気を切る音がした。オーロンが身を低くすると暗殺者の刃が半外套の裾を切り裂いた。
オーロンはラッパ銃をつかみ、銃身で暗殺者の顔を殴った。そのまま御者台から転がり出ようとしたが、怯まない暗殺者の攻撃に阻まれ、荷台に追い詰められる。
また刃が閃き、オーロンはラッパ銃の銃身でそれを受け止めた。別の暗殺者が荷台の手摺に立ち、爪を繰り出す。
身をよじってギリギリで避けるが、バランスを崩して、地面に転がり落ちた。その拍子にラッパ銃が手から離れてしまった。
荷台の上に暗殺者が三人、二人は左右の手摺の上に器用に立ち、中央のやつが板張り床の上で両手の爪をこすって火花を散らしている。
中央の暗殺者が飛びあがり、オーロン目がけて爪を振り下ろした。
「助けてくれッ!」
オーロンが叫んだ瞬間、降下してくる暗殺者の体がひしゃげた。猟刀のように厳ついナイフが飛んできて体の真ん中を貫き、絶命した暗殺者が荷台に叩きつけられる。
荷台の暗殺者たちに動揺が走った。
エルテが両手に鎌状の刃を持って身を低くし、風のように走りこんでいた。黒衣の暗殺者の一人に襲いかかり、袈裟懸けに胸を切り裂く。
最後の暗殺者は間合いを取ろうと跳躍するがエルテは背後にぴったりくっつき逃がそうとしない。暗殺者は木々の間を飛びまわり、必死に逃がれようとした。
エルテはその背後に影のように纏わりつき、一切手を出さなかった。殺せるのに殺さず、ただ逃げ回るのを眺めている。エルテの口元は残酷な笑みで歪んでいた。
「遊んでやがる……」
オーロンは悪寒に震えた。ついさっき暗殺者の爪に殺されかけたときよりも、今、目の前で繰り広げられている『遊び』のほうが慄然とするものがあった。
最後の暗殺者は既に恐怖にかられ、体力の限界で動きが鈍り始めた。
エルテはそれを悟るとあっという間に首を刈り取った。
胴体と首が潅木の中に落ち込み、エルテが静かに着地する。
どうも置いていかれてから仕事着に着替えていたらしい。手袋から脚絆まで全て統一された黒装束。短剣を隠した鎖帷子のボディスを胴に纏い、肩と首を隠す小さなマントを身につけていて、腿や腕にはベルトで大小様々なナイフが縛り付けられている。
「言ったとおりでしょ? 奴らの狙いはあなたよ」
「お前、尾けてたのか?」
「ずっと後ろについてたわ。その馬程度の速度なら木を飛びまわって簡単に追いつけるもの」
「なんでもっとはやく助けてくれねえんだよ!」
エルテは荷台に釘付けにされた暗殺者からナイフを引き抜くとクスッと笑った。
「だって、嘘つきのメスチビとか悪魔みたいなメスガキとか、あとイカれた小娘とか……。そういう言い方が出来なくなるくらい怯えさせたほうが現状を把握しやすいと思って」
こいつ、恐怖を思い通りに操りやがった。
事実、オーロンは完璧に縮み上がっている。この娘を自分の身から遠ざけるとえらいことになると思い知らされた。
「で、どうするの?」
エルテは自分の優位を知りきったもののみに許される満たされた表情をしていた。
「……乗れよ」
オーロンは言った。
エルテの勝ち誇ったような微笑がオーロンの堪忍袋を引き裂こうとする。
(樹海を出たら、とっとお払い箱だ)
オーロンはぶすっと顔をしかめ、口にくわえたままだった煙草を懐にしまった。




