2.樹海
馬車はゆるゆると樹海に入った。
陽を枝葉に遮られ、昼間にもかかわらず薄暗い。
「まるで夜みたいだ」
石畳で舗装された道があるにはあったが、敷石の間から吹き出す雑草に侵食され、漆黒の大樹が道の両脇を覆いかぶさるように生えるものだから樹海街道は消滅寸前だった。
立ち並ぶ樹木はまるで神殿の柱廊の様だった。大樹のそばには臣下のように寄り添う下生えが生い茂り、地を隠す。
気づけば行きも帰りも草木に挟まれて、馬車は薄暗い道筋にしがみつくように進んでいく。シダと苔、蔓と幹に支配された植物の王国をオーロンは不安げに見渡しながら、ぶつぶつ文句を言っていた。
「俺、幽霊とかお化けとかって苦手なんだよ。ランプに石を入れようぜ」
「だらしねえな、オーロン。発光石を使うにはまだ早い。日だって暮れてねえんだぞ」
「俺、今度の仕事が終わったら、樹海鉄道の株を買うぜ。早いとこ、鉄道をひいてこんな不気味な森は切り開いちまうべきなんだ」
頭上から苔むした蔓草が垂れ下がり、オーロンの顔をなでると、この大男はがたいに似合わない高い声でギャッとわめいた。
ブランがけらけら笑った。
「本当に女々しい野郎だな。この子を見ろ。さっきから文句も言わずにすました顔で座ってる。この子のほうがよっぽど度胸があらあ」
確かに少女は静かだった。樹海に入ってから少女の様子が変わった。樹海に入る前は何となく自信のない田舎の娘っぽい印象だったが、今では荷台の端に膝をかかえて座り、琥珀色の目で左右に広がる樹海の暗がりを静かに見つめている。感情が希薄なその眼差しには怖がっている素振りがこれっぽっちも見えなかった。
眺めるというよりは見張っているような目つき。
少女はその目をチラッとオーロンに向けた。
まるでオーロンを値踏みするような目。
「ちぇっ、面白くねえの」
オーロンはふてくされた。
ブランは荷台に体を沈ませて、縁の横木を枕代わりに寝転がると少女に親しげに話しかけた。
「お嬢ちゃん、名前は?」
「エルテ」
「いくつだい?」
「十四」
少女の答えは言葉少なげだったが、ブランは構わず退屈をしのごうといろいろな町をまわったことを話してやった。
「海は見たことあるかい?」
「ないわ」
「そりゃ残念。海はいいぜ。クップレーの港町に住んでたことがあるんだがな。潮風ってのはホントに気持ちがいい。服が塩っぽくなるのが玉にキズだが、蟹や海老は食い放題だし、帆掛け船や蒸気船が毎週外国から面白いものを持ってくる。きれいな絨毯や見たことのない白蝋、ちょうどお嬢ちゃんの肌と同じくらいにきれいな蝋燭が作れるのさ。それに不思議な織物でつくったドレスや面白い形の壷。いろんなヤツもいる。船乗りに軍人、踊り子、ヤスを手にうろつく漁師にペロニアじゃとんと見かけなくなった魔法使いも時たま見るし、蒸気技師たちが遊び半分に車を乗り回したりもしてな。そうそう、この辺じゃ見ないだろうが、都会じゃ車は馬で曳かない。蒸気機関で動くんだ。凄いだろ?」
「ふうん」
「見ろよ、オーロン。この子、驚いて呆気に取られてるぜ。かわいいじゃないか」
「興味がないだけだよ」
「ケッ、お前ひねくれてんな。まあ、こっちの熊みたいなツラした兄ちゃんは放っておいて、海の話を続けるか。やっぱ海はいいって。お嬢ちゃんも嫁ぐんなら海の近くに住んでる男にしな」
樹木はさらに鬱蒼と生い茂り、一行の視界から光を奪う。
オーロンは発光石を取り出すとピストルの火打ち石で小突いて、昼間に溜め込んだ光を吐き出させた。 光る石を御者台にぶらさげたランプに放り込み、道を照らさせる。
ブランが吹聴する冒険談の他に聞こえるものは葉が摺れる音と下生えがかさつく音、馬の蹄の音のみ。オーロンは地図を注意深く指でなぞりながら、道を外れていないか確認した。
道が二手に分かれている。
右の道は斜面の上をゆく道でシダに覆われた獣道。
左側は平坦な石畳の道で小川に沿って敷かれている。
「川沿いに行けば、まあ間違いはない」
左側の石畳の道をゆく。木々がまるで倒れかかるようにして道の両側に並んでいる。道も木も全て苔を覆われていて、世界全体が緑の薄暗い洞窟になったようだった。
「ん! おい、オーロン。霧タヌキの実がなってるぞ」
ブランが身を起こした。
霧タヌキの木が道に覆いかぶさるように枝を伸ばしている。太ったタヌキの腹のように丸い黄色い果実は薄暗い森の中で宙を浮いているように見えた。
「あれ、うまいんだよな」ブランがオーロンの肩を揺すった。「木の下で馬車を止めてくれ」
やれやれ。オーロンは果実の下で馬車を止めた。
ブランはタバコの箱を足台にして、木の実へ手を伸ばした。
「ったく、子供にはすぐいい顔したがるんだからな」
オーロンは欠伸しながら尻を掻いた。
「待ってな、お嬢ちゃん。こいつで甘いジュースをこしらえてやるからな」
ブランは箱の上で危なげにバランスを取りながら、そろそろと手を伸ばす。木の実まで後ちょっとのところで……
耳をつんざく銃声。
ブランは頭から血を噴きながらのけぞった。




