11.初めての人殺し
「何で敵があと五人だって分かるんだ?」
「カンよ」
「カンねえ……」
夜中に起きて、三人殺したことは黙っておいた。何か文句を言われる気がしたからだ。
朝から正午まで馬車は切通しを何事もなく進んでいた。霧もかからないし、倒木が道を塞ぐこともない。群葉の薄暗さも何となく落ち着く感じを醸し出し、樹海の旅も快適に終わろうとしていた。
「このまま行けば、日暮れ前には樹海を抜けられる」
オーロンは首をまわしてバキバキ音をたてた。
「そうしたら、お前ともお別れだ。好きなようにしろ。俺も好きなようにする」
エルテが薄笑いを浮かべて、オーロンの言葉尻を繰り返した。
「好きなように、ね」
なんだか嫌な笑い方をするなあ……。オーロンはエルテの表情から何か読みとろうとするが、無駄な努力を笑われているような気がするだけで何も分からなかった。
昨日の夕食が気に入ったのか、エルテはやたらとスープの話をふってきた。エルテは決して素直な賛辞を贈るわけではないが、もはや無関心は装いきれず、食事に関する質問が堰を切ったように飛び出してきた。
焦がしたチーズはどんな味か?
玉葱とコロコロ鳥のスープはどんな味か?
蟹と海老のスープはどんな味か?
オーロンはいちいちそれに答えてやった。語調も自然と熱をおびてくる。もともと話嫌いではないし、料理に関してはけっこう自信がある。
「俺はな。甘い物だって、それなりに作れるんだぜ」
オーロンは胸を張った。
「死んだブランは霧タヌキの実でジュースをつくるなんて言ってたが、甘い甘い。そんなの握り潰すだけじゃねえか。俺はとびっきりうまい薄焼きが作れる。果実をきざんで生地に練りこみ、薄くのばして石かまどで焼くんだ。はじのところがカリカリになるように器用にのばす。それがコツだな。それと山葡萄のパイ。これは石のかまどじゃ無理だから、宿屋で普通の窯を借りないと駄目だ。やっぱり旅は料理がうまくないとな。寝床はいくら頑張っても石の上か木の根元くらいしか用意できないが、料理はまだ工夫の余地がある。野宿がみじめになるか楽しくなるかの瀬戸際はズバリ料理で決まるんだ」
最後のほうになるとエルテもウンウンとうなずいていた。食事から見直すと今までの旅は実にみじめだった。
『組織』って本当に最低なところね。エルテは思った。『組織』が教えてくれたのは暗殺術と拷問だけで素敵な食べ物については何一つ教えてくれなかった。やっぱりこの男は生かしておこう。焦げチーズのスープもコロコロ鳥の丸焼きも鱈のバター煮も霧タヌキの焼き菓子も……とにかくみんな食べてみたい!
食欲と期待に満ちた口元の綻びもオーロンには冷たい笑みにしか見えない。
(メシの話しながら、新しい人の殺し方でも考えてんじゃねえのか?)
オーロンはそう思った。
「ねえ」エルテはたずねた。「今日は何を作るつもり?」
オーロンは自慢げに話した。
「今日は農家で卵を買ってオムレツを作る予定だ。炒めた玉葱と鶏肉を添えて豪勢にいく」
「悪くないわね」エルテもクスクス笑っている。
「何でお前が楽しみにするんだ? 参考までに教えてやっただけだ。どうせ樹海を出たら、おさらばだからな」
「そうなればいいけど」
「そうなればいいけど?」
意味深な笑い。頭の中で警鐘が鳴る。
このガキ、まさかずっと俺についていくつもりじゃねえだろうな。
オーロンはそう思い、きっちり話そうとしたが……
「しっ、黙って」
エルテが人差し指を自分の唇に当てた。
エルテの探るような目が切り通しの上方を見回す。オーロンもピストルの撃鉄をあげた。
巨大な倒木の下を馬車がくぐる。
「たぶん来るわ」
エルテはそう言って柄なしの斧刃を握り締め油断なく身構えた。
倒木をくぐり抜けた瞬間、黒マントが頭上から舞い降りる。
すかさずオーロンが馬に鞭をいれる。黒マントのレイピアが荷台を貫く。
エルテは顔、首、胸の順に斧の刃をめり込ませ、黒マントを血の海に沈めた。
崖の上から暗殺者のボウガンが狙い下ろされる。オーロンは威嚇で一発撃ち、ボウガンを引っ込めさせた。
エルテは斧の刃を左手に持ち替えて、右手に例の猟刀を逆手持ちにし、次の獲物を探す。黒マントと暗殺者が二人ずつ馬車を猛追してきた。
「馬が疲れて、速度が出ない!」
「殺るからまかせて!」
さっき斃した男を蹴り落としながらエルテが返す。
馬で追ってくる黒マントが二人、左右の崖の上を素早く走ってくる暗殺者が二人。
二人の黒マントがいっぺんに飛び乗ってきた。一人を足払いで転ばせると、もう一人の顎を低い姿勢から右手の斧で突き上げる。顎が砕け、赤い血塊と白い骨片が飛び散る。
倒れたほうが木床すれすれで剣を払うが、エルテは猟刀を床に突き立ててそれを防ぐ。猟刀をそのままにして鎌状の得物を取ると顎を失った黒マントの首を一撃で刎ねた。
骸が馬車から落ちる。倒れている黒マントが身を起こし、剣を振るう。それをしゃがんで避けた瞬間、崖の上から矢が放たれ、黒マントの肩に突き刺さる。黒マントは荷台に倒れた。
崖の暗殺者二人は左側の崖に移っていた。
馬車が切り通しを抜け、道の右側に深い谷が口をあける。
ここまでくればあと少しなんだ。
オーロンは祈るような心持ちで手綱を握った。
左の崖から暗殺者たちが荷馬車目がけて飛び降りる。エルテは上を睨み上げ、身構えた。
「何かにつかまれ!」
オーロンの叫び声が聞こえた瞬間、馬車が大きく揺れエルテは荷台から放り出された。
車輪が倒木を踏んだのだ。宙を舞いながらエルテは降りてくる暗殺者たちに両手の得物を投げつけた。
斧のほうは命中し、仮面と額を二つに割った。
だが、鎌のほうは外れた。
(一人逃がした!)
エルテはそのまま谷に身を投げ出されそうになり、石にしがみついた。
「くっ……」
足が岩肌にかからず、手が痺れて握力が失われていく。
最後の暗殺者がエルテの頭上に立った。
白い仮面にあいた穴から血走った目でエルテを凝視している。
「殺りなさいよ」
エルテは不敵に笑った。
暗殺者は鉛色に光る爪を振り下ろした。
大きな破裂音とともに暗殺者の体に無数の穴があき、ボコボコに崩れる。散弾で吹き飛ばされた刺客の体は谷底に落ちていった。
エルテが目をパチパチさせて驚いていると、オーロンがぬっと現れ、疲れた顔をして無言で手を差し出す。エルテはそれをつかんで、道までよじ登った。
「ふう、危うく殺られるとこだった。……あら、元気がないわね?」
オーロンのラッパ銃からパン屋の煙突のように白煙が立ち上っている。
「初めて人を殺した」
エルテは嬉しそうにクスッと笑った。
「じゃあ今日は記念日ね。おめでとう。残りは……」
荷台の上で肩を射抜かれ、うずくまる黒マント。エルテはそれを地面に引き摺り下ろすと猟刀を引っこ抜き、帽子と仮面を剥いだ。
「うっ……」
まだ十代半ばの若者だった。しかし、エルテは少しも動じない。髪をつかんで、喉をむき出しにさせると鋭い刃をぴたりと当てた。
「おい、よせ」
オーロンが憔悴しきった様子で制止した。
「もう血は十分見ただろ?」
エルテは意外そうな顔をしてオーロンを見た。どうして止めるのかしら? 生かしておく理由なんて別にないのに……。あ、そうだ。
邪な嘲りを顔に浮かべると黒マントを放してやった。
「侯爵夫人の小間使いが生きていたって、仲間に伝えるのね」
エルテは可笑しくてしょうがないのを堪えて言った。
黒マントがよろよろと逃げ去る。オーロンは悲しげな顔をして、御者台に戻った。
(一体何が不満なのかしら?)
エルテは不思議そうに首をかしげ、オーロンの表情から何か読み取ろうとした。
結局何も分からなかった。オーロンの心痛を理解するには、エルテに足りないものが多すぎたのだ。




