10.小間使い
オーロンと行動を共にするのは『アレ』を手に入れるためではあった。
……が、小さな鍋とまだらペロン茸を見つけるとエルテは気を変えた。
『アレ』の代わりに食材を抜き取ると、さっき食べたスープを再現してみることにした。
焚き火に鍋をかけ、水をはり、裂いたキノコを放り込んでみる。
後は待つだけ。あんなにおいし……もとい悪くない食事は初めてだったわ。材料さえあれば、私にだって……
ところが今、作っているエルテのスープは透明のぬるま湯にブサイクな形でキノコが崩れて浮かんでいるにすぎず、どうもさっきのようにいかない。香ばしい匂いもしてこない。
オーロンのつくったスープは澄んだキツネ色で適当な大きさのペロン茸と油の丸い模様がスープの水面を遊ぶようにさまよっていた。
まあ、煮立ってみれば同じものができるはずよ。
エルテは足を石の上にのせて横になり、樹海の夜に耳を澄ました。
焚き火の中で燃えさしが弾ける音。スープから小さな気泡がぷくぷく鳴る音。葉と枝のかさつく音。狼の遠吠え。小川の流れが岩とぶつかる軽い水音。オーロンの不細工ないびき。
暗殺者用ブーツが小枝を踏む音も聞こえた。
エルテはゆっくり身を起こし、焚き火を見た。スープは沸騰しかけていて、キノコもいい感じに形がほぐれてきた。
エルテは静かに笑うと黒い手袋をはめた。スープが出来上がるまでに片づける自信があった。
黒衣の暗殺者は下生えの間の隙間を縫うように歩き、静かにオーロンの野営地に近づいていた。
明りが遠く茂みの向こうに見え隠れする。やっと見つけた。
息を潜め、注意深く近づく。ともに忍んでいる仲間二人に連絡するため、爪を外し手を合わせて即席の手笛を形づくるとフクロウの鳴き声を真似た。
ホー、ホー……
返事がない? 暗殺者はまた声真似をしようと口元に手を寄せた。
「ッ!」
湾曲した鎌が首筋にぴったりとくっつく。
背後から忍び笑いが聞こえてきた。
クスッ。
暗殺者は動けなかった。確かにさっきまでまわりには誰もいなかった。気配もしなかった。それが今、何者かに背後をとられ、生殺与奪を完全に握られてしまった。
「どうしたの?」後ろから小馬鹿にしたような少女の声。「続けていいわよ」
暗殺者はゆっくりと手を下した。膝が震えるほどの殺気を感じる。
堪えきれず声をあげようとすると、それを悟った少女がまたつぶやく。
「仲間ならもう片づけたわ。今頃は狼の餌になってるはずよ」
「だ、誰だ?」
暗殺者にはさっぱり正体がつかめなかった。今回の任務は小物の密輸業者を二人始末するだけだった。しかし、自分の背後にいる少女はとてもじゃないが、運び屋には思えない。
「誰だ、お前は!」声が震え始めた。
エルテはまたクスッと笑い、「元『侯爵夫人の小間使い』で、わかるかしら?」とささやいた。
暗殺者はすぐに悟った。『小間使い』から精鋭が一人脱走したときいていたが、今、後ろにいるのがその脱走者……
「いまこの森には何人いるの」エルテは刃をぐっと押し当てた。
「お、教えたら殺される……。組織にいたなら分かるだろう?」
「組織にいるなら分かるわね? 『小間使い』がどんな拷問を使うか……」
暗殺者は怖気ですくみきった。この脱走者は『小間使い』の中で最も残酷で情け容赦がないと聞いたことがあった。
体験したことのない恐怖にくじけ、暗殺者は命乞いするかのように情報を漏らす。
「五人……部隊で残ったのはそれだけだ……。わ、我々の任務はあの運び屋の抹殺だけだ。君の始末は命じられていない。だから今逃げれば君には手は出さ……むぐっ!」
エルテは口を塞いだ。
「いま割と機嫌がいいの。とっておきのやりかたで殺してあげる」
暗殺者の悲鳴がエルテの手の中に消える。
エルテは短く呪文を唱えた。周囲の夜闇がぐっと盛り上がる。夜から『闇』が抽出され暗殺者に襲いかかった。
「うあああっ……あ、あ……」漆黒の闇が暗殺者の体を包み込み、命を蝕んだ。
魂の抜け殻となった骸が地面に崩れた。
「ふん……」
エルテが野営に戻ろうとすると……
狼に四方を囲まれた。口元を人の血と腸で汚し、長い鼻先には暗殺者の黒衣が断片となって引っかかっている。
「なによ、あなたたち。餌ならさっき二人もあげたでしょ」
狼たちは死体ではなく生きた人間を八つ裂きにしたくて、鼻息を荒くしていた。身を低くして唸り声をあげている。
ボスと見られる大きな狼がエルテの背後から近づく。金色の目が光り、エルテの喉笛を噛み砕こうとする大きな顎から涎がたれていた。
エルテは振り向いて、飛びかかろうとする狼と目を合わせた。
殺気も嘲りもない目。無垢というには余りにも空虚すぎる死んだ魚のような眼差し。
言葉を解せない獣でも恐怖を感じる瞬間だった。狼が金縛りにあい、獰猛な低い唸りがきゅうきゅうと弱々しい鳴き声に落ちて、尻尾を巻いて引き下がる。
恐怖が他の狼にも伝染し、訳が分からずエルテから怯えるように遠ざかる。
結局、狼の群れはエルテが殺した暗殺者の骸に集まり、その肉を食らいはじめた。
「いい子ね。なんだか私もお腹がすいてきたわ」
今夜の自分の仕事ぶりと狼たちの分をわきまえた態度に満足し、焚き火のそばに戻る。
オーロンはいびきを、スープは湯気を立てていた。
エルテは期待に目を輝かせながら鍋を覗いたが、スープは相変わらず無色透明、キノコは原形をとどめないほどに崩れている。油は浮いていないし、いい匂いもあまりしてこない。
木のスプーンで試しにすくって口にしてみたが、味がまったくせず飲めたものではないし、キノコもぐにゃぐにゃで風味がとんでいる。エルテはキノコの残骸を吐き出した。
「ぺっ。なんで? おんなじ材料でおんなじように作ったのに……」
エルテは頬を膨らまし、オーロンを値踏みするように眺めた。
樹海を抜けて『アレ』を回収したら、この男も殺すつもりだったけど、……もう少し生かしておこうかな? 一緒に連れていれば、おいし……もとい悪くない食事をつくってくれるわけだし。……うんっ、そうしよう!
エルテは例の乾パンと干し肉を鞄から取り出すと、見るのも嫌と言わんばかりに放り捨てた。




