【資料書き起こし】沢井美智子の横顔、受け継がれる想い/『月刊ニューフェイス』2007年8月号より抜粋
恋しすぎたのね、歌姫
だけど魔法が解けて あの砂浜には戻れない
失恋ソングは似合わないって あなたが言ったのよダーリン
嘘つきなあなた それでも愛してるの
私の体が泡になっても ダーリン ずっと愛してるわ
――沢井美智子(1973)「深海のディーバ」あすなろレコード/あすなろ音楽出版
「美智子はごく普通の女の子でした。ラブソングばかり歌っていましたが、実際には恋をする時間なんてなかった。恋に憧れた少女のまま、あの子は冷たい水の底に沈んでいったんです」
事故当時、沢井美智子のマネージャーを務めていたY氏は、昭和の面影が残る駅前の喫茶店で静かに口を開いた。
「当時は様々な憶測が飛び交いました。『すべてやらせで、美智子はどこかで生きてるんだろう』だなんて、事務所に押しかけてくるファンもいたくらいです。潜水艇を引き上げることができなかった事実が、多くの人々の心に深い傷を残した。もしかして、まだ……と誰もが奇跡を期待してしまったんです。
後追い自殺もあったと聞いています。警察があの池を頑なに封鎖し続けたのも、熱狂的なファンの入水自殺を恐れていたからだとか。実際にフェンスを乗り越えて侵入した者がいた、池の回りに靴が揃えて置かれていた……だなんて話も聞きました。あくまで噂です。実際に入水自殺者の遺体があがったことは一度もなかったので、真相は分かりません」
Y氏は未だにあの日のことを夢に見ることがあるそうだ。沢井はあの過酷な水中撮影を怖がっていた。
もしあの時に、事務所の上層部にもっと真剣に訴えていたら……。
「彼女の代表曲だった『深海のディーバ』は、事故の後にラジオで頻繁に流れるようになりました。でもある時期から、パタッとそれがなくなったんです。いつの間にか『呪われた歌』なんて言われるようになってしまってね。
ラジオで歌が流れた直後にファンが投身自殺をはかったとか、墜落した航空機の機内でその直前に流れていたとか、根も葉もない都市伝説がいくつも持ち上がりました。
実は私も少しだけその気持ちが分かるんです。悪い意味じゃないんですよ。ただ、彼女の歌を聞いていると、どこかに呼ばれているような、そんな不思議な気持ちになる。それは世間で囁かれているような、呪いなんかとはまったく違う。むしろずっと穏やかな、……まるで子守歌でも聞いているような懐かしさが溢れ出してくる。どこかへ帰りたくなるような、胸を締め付けられる焦燥が彼女の歌にはあるんです」
思い出を語るY氏の瞳はどこか遠くを見つめているかのようだった。
「美智子のことは、本当に悲劇でした。それも避けられた筈の悲劇だった。一番無念だったのは、やはり残されたご家族でしょう。
美智子の家は母子家庭だったんです。父親は彼女がまだ幼い頃に病気で他界していました。美智子ががむしゃらに働いていたのも、お母さまに少しでも楽をさせてあげたいという気持ちが強かったからだと思います。
事故の後、お母さまはそれでも気丈に振る舞っておいででした。彼女には、もう一人小さなお子さんがいらっしゃった。その子のために頑張るしかなかったんでしょう。そんな中で、テレビ局との泥沼の裁判に何度も引っ張り出されて、日に日にやつれていく様子は見ていられませんでした」
しかし、母親の執念は決して無駄にはならなかった。
沢井美智子の妹である日菜子さんは、気丈に振る舞う母親の背中、そして天国へと旅立った姉の背中を見つめながら、ひたすらに学業に励んだ。結果、都内最難関の国立大学へ進学。経済学部で経営学を専攻し、姉とはまったく違う分野でその頭角を現していったのだ。
「家族を失った悲しみは一生消えることはないでしょう。しかし、奪われた場所から新たな希望を紡ぐことは出来るのだと、彼女たちに教えられた気持ちでした」
大学卒業後の日菜子さんは大手デベロッパーに就職。数々の大型開発を成功させて実績を上げ、近年、子会社を設立、代表取締役に就任した。
「確かに辛い事は沢山ありました。今思い出してもあの日の出来事は私にとってのトラウマです」
港区の新オフィスにてインタビューに応じてくれた日菜子さんは静かに語ってくれた。
その横顔は驚くほどに沢井美智子に似ており、時を超えた姉妹の血の強さを感じさせてくれる。
「姉はいまでも私の中ではずっと”深海の歌姫”です。姉の歌声はずっと私の中で響いている。それはいつだって私の背中を力強く押してくれるんです。
過去を覆すことは出来ません。ですが未来を作り変えるのは私たち自身の力です。悲劇を、ただの悲劇として終わらせない。それが私たち遺族に残された使命であると、私はそう信じています」
深海の歌姫の意思を引き継いだ彼女は、はたしてどこまで羽ばたいていくのか。これからの手腕が楽しみでならない。




