第88話 仏校騒動記
フランス滞在三日目。
石畳の朝が、燈由を静かに迎えていた。
◇
「……少し、慣れてきましたね」
寮の窓辺で、外を見ながら呟く。
◇
〈環境適応率、上昇中です〉
頭の奥で、イリスの声が淡々と響く。
◇
(観光ではないのに、少し楽しいのが不思議です)
〈未知環境は脳を活性化させます〉
◇
「なるほど」
頷くと同時に、部屋のドアがノックされた。
◇
「Bonjour!」
元気よく入ってきたのは、現地の女子生徒だ。
◇
「……ボンジュール」
ややぎこちなく返す燈由。
◇
「今日、一緒に授業回るって先生が言ってた!」
◇
(通訳なしで来ましたね)
〈挑戦的状況です〉
◇
「……大丈夫です」
小さく呟く。
◇
授業開始。
◇
フランス語が飛び交う教室。
黒板に書かれる数式。
議論の応酬。
◇
「……」
燈由は静かにノートを取る。
◇
〈理解度、約六割〉
◇
(思ったより高いですね)
〈事前学習の成果です〉
◇
そのとき――
◇
教師がこちらを見る。
◇
「では、日本から来た彼女に答えてもらおう」
◇
教室がざわつく。
◇
(来ましたね)
〈対応可能です〉
◇
黒板の問題。
数学。
◇
「……」
燈由は立ち上がる。
◇
そして、チョークを手に取る。
◇
迷いなく式を書き――
◇
「……こう、です」
◇
一瞬の静寂。
◇
次の瞬間。
◇
「おお……!」
教室がどよめいた。
◇
(伝わりましたか)
〈正解です〉
◇
「すごい!」
「完璧じゃないか!」
◇
拍手。
◇
「……ありがとうございます」
少しだけ照れる燈由。
◇
(悪くないですね)
〈成功体験として記録〉
◇
◇
昼休み。
中庭。
◇
現地の生徒たちに囲まれる燈由。
◇
「日本の学校ってどうなの?」
「芸能活動って大変?」
「ドラマの撮影ってどんな感じ?」
◇
質問攻め。
◇
(想定通りの展開です)
〈情報提供量を調整してください〉
◇
「……順番にお願いします」
冷静に交通整理する燈由。
◇
◇
そのとき。
◇
「ねえ!」
一人の男子生徒が前に出る。
◇
「勝負しないか?」
◇
(来ましたね)
〈典型的イベントです〉
◇
「……何のですか」
◇
「勉強でも運動でもいい!」
◇
(万能型はこういう時便利ですね)
〈勝率は高いです〉
◇
「……では」
一瞬考えて。
「両方で」
◇
「は?」
◇
◇
即席勝負、開始。
◇
まずは筆記。
◇
結果――圧勝。
◇
「なっ……!?」
◇
次に運動。
中庭での簡易競争。
◇
結果――また圧勝。
◇
「……」
男子生徒、膝に手をつく。
◇
「……完敗だ」
◇
(やりすぎでは)
〈最適解です〉
◇
「……すみません」
一応謝る燈由。
◇
だが周囲は――
◇
「すごい!」
「万能すぎる!」
◇
歓声。
◇
(評価が上がっていますね)
〈目的達成です〉
◇
◇
その日の夕方。
◇
校内放送。
◇
『本日夜、交流イベントを開催します』
◇
(嫌な予感がします)
〈高確率で何か起きます〉
◇
◇
夜。
ホール。
◇
音楽。
食事。
歓談。
◇
そして――
◇
「日本から来た特別ゲストに、一曲お願いできるかな?」
◇
(来ました)
〈回避困難〉
◇
「……一曲、ですか」
◇
「歌でも演奏でも!」
◇
(どうします)
〈パフォーマンス推奨〉
◇
「……わかりました」
◇
ステージへ。
◇
マイクを握る。
◇
静寂。
◇
「……」
息を吸い――
◇
歌い出す。
◇
透き通る声。
空気が変わる。
◇
誰もが息を呑む。
◇
(……)
◇
〈感情反応、極めて良好〉
◇
曲が終わる。
◇
一瞬の静寂の後――
◇
大歓声。
◇
「ブラボー!」
「すごい……!」
◇
拍手が鳴り止まない。
◇
「……ありがとうございます」
小さく頭を下げる。
◇
(少し、楽しいですね)
〈肯定的感情を確認〉
◇
◇
その夜。
寮の部屋。
◇
ベッドに腰掛け、息を吐く。
◇
「……濃い一日でした」
◇
〈非常に高密度でした〉
◇
「ですが」
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少しだけ微笑む。
◇
「悪くありません」
◇
スマートフォンを見る。
◇
樹
『なんか向こうで無双してるって噂来てるぞ』
◇
英隆
『帰ってきたら詳しく聞かせろ』
◇
「……情報が早いですね」
◇
〈拡散速度、異常値です〉
◇
(まあ、いいでしょう)
◇
窓の外。
異国の夜空。
◇
「……まだ、始まったばかりです」
◇
〈はい、マスター〉
◇
静かな会話。
◇
誰にも聞こえない声が、燈由の中で響く。
◇
新しい世界。
新しい日々。
◇
その中心にいるのは――
◇
やはり彼女だった。
◇
フランスの地で巻き起こる騒動は、
まだ序章に過ぎないのだった。




