第79話 鬼の作曲
二月初旬。
鎌倉の海風は冷たく、スタジオの窓ガラスを細かく震わせていた。
私はキーボードの前で腕を組み、天井を見上げている。
私の名前は燈由。
中学二年生、作曲担当。
そして――なぜか毎回、イベントがカオス化する体質の持ち主である。
「……静かすぎない?」
〈嵐の前兆確率、八十二パーセント〉
脳内でイリスが淡々と告げる。
嫌な数字だ。
◇
その十分後。
スタジオのドアが勢いよく開いた。
「燈由!」
容子さんである。
分厚い資料。
嫌な予感しかしない厚み。
「次の案件、決まったわ」
「はい」
「節分ライブ」
ああ、来た。
◇
会場は横浜の大型商業施設特設ステージ。
内容は豆まき+ライブ。
さらに――
「鬼役とコラボよ」
「鬼役?」
「着ぐるみ三体」
沈黙。
脳内でイリスが静かに分析。
〈視覚的混沌、不可避〉
やめてほしい、その冷静さ。
◇
打ち合わせ当日。
参加者。
私、燈由。
容子さん。
高瀬美玲。
篠宮理央。
白石乃愛。
そして――
赤鬼、青鬼、緑鬼。
無言で並ぶ三体。
圧が強い。
「……喋ります?」
赤鬼がゆっくり首を横に振る。
喋らないらしい。
◇
テーマは“鬼退治ソング”。
だが私は思う。
普通にやったら、ただの幼児向けソングで終わる。
「イリス、どうする」
〈恐怖と安心の緩急〉
「またギリギリを攻めるの?」
〈あなたの作風です〉
否定できない。
◇
作曲開始。
低音ベース。
ドン、ドン。
太鼓のような重み。
そこに不協和音を少し混ぜる。
“鬼が来るぞ……”
不穏。
子供が少し怖がる程度。
「やりすぎ?」
〈恐怖値、安全圏〉
本当に?
◇
サビ直前。
突然、無音。
三秒。
緊張。
そして――
“鬼は外!”
一気にメジャー転調。
キラキラ音。
テンポ倍。
鬼が転ぶ振り付け。
「よし」
◇
リハーサル。
会場は豆の匂いで満ちている。
ステージ横に巨大豆袋。
鬼三体スタンバイ。
曲が始まる。
不穏イントロ。
最前列の子供が母親の腕を握る。
私の心拍数が上がる。
〈緊張上昇〉
「実況やめて」
三秒無音。
観客静止。
そしてサビ。
“鬼は外!”
紙吹雪。
赤鬼、豪快に転倒。
会場爆笑。
成功。
……と思った瞬間。
◇
事件発生。
中盤。
青鬼がジャンプ。
着地。
バキッ。
頭部、斜めにズレる。
中の人の目が一瞬見える。
会場ざわつく。
私は青ざめる。
「イリス!」
〈アドリブを〉
瞬間、篠宮理央が叫ぶ。
「鬼の正体は心の弱さだー!」
意味は分からない。
だが拍手が起きる。
助かった。
◇
本番当日。
会場満員。
子供、保護者、カメラ。
私は舞台袖。
深呼吸。
「私、また暴走してない?」
〈通常運転〉
否定して。
◇
本番スタート。
不穏イントロ。
鬼ゆっくり登場。
子供、半泣き。
三秒無音。
“鬼は外!”
大歓声。
鬼転倒。
青鬼、今回は頭無事。
私は心の底から安堵する。
◇
だが終盤。
緑鬼がアドリブで高速回転。
目が回ったらしく、フラフラ。
そのまま豆袋へダイブ。
袋破裂。
豆、爆散。
会場、雪景色のような豆嵐。
私は天を仰ぐ。
〈演出効果、最大〉
偶然だ。
絶対偶然。
◇
イベント終了後。
動画は即日拡散。
“豆嵐ライブ”がトレンド入り。
私は机に突っ伏す。
「なんで毎回こうなるの」
〈因果律不明〉
◇
夜。
鎌倉へ戻る。
静かな海。
スタジオで一人。
私は鍵盤を触る。
今日は騒がしかった。
でも笑顔が多かった。
「イリス」
〈はい〉
「真面目な曲も書きたい」
〈可能。ただし次の案件を確認〉
嫌な予感。
スマホ通知。
容子さんから。
“ひな祭り企画どう?”
私は目を閉じる。
「……ラップは禁止で」
〈保証不可〉
私は笑う。
鬼も豆も、全部曲になる。
混乱もハプニングも、笑いに変わる。
それが燈由の作曲。
窓の外、月明かり。
私は静かに新しい旋律を奏でる。
次はどんな暴走が待っているのか。
少し不安で、少し楽しみで。
鬼の作曲は終わらない。
豆よりも強く。
笑いよりも速く。
私は今日も鍵盤を叩く。
脳内でイリスが静かに囁く。
〈次回も波乱確定〉
「だから保証しなくていいってば」




