第77話 聖夜覚醒
十二月。
鎌倉の空気は、海風に混じって凛と冷たい。
スタジオの窓越しに見える街路樹には、小さなイルミネーションが灯り始めていた。
クリスマス。
アイドルにとって最大級のイベント。
そして作曲家にとっても、勝負の季節。
「クリスマス特番、決まったわ」
容子さんが書類を机に置く。
場所は横浜の大型ホール。
生放送。
視聴者数は推定数百万人。
「……重い」
思わず本音が漏れる。
脳内でイリスが静かに応じる。
〈重要度、最高ランク〉
「言い方」
〈しかし好機です〉
確かに。
年末特番で代表曲を更新できれば、一気に跳ねる。
◇
テーマは当然、クリスマス。
だが単なるラブソングでは弱い。
新人三人組――
高瀬美玲、
篠宮理央、
白石乃愛。
彼女たちはまだ十代半ば。
恋愛一色では狭い。
「イリス、方向性」
〈“願い”を軸に〉
「願い?」
〈家族、仲間、未来。恋愛に限定しない普遍性〉
なるほど。
私は鍵盤に指を置く。
鈴のような高音。
ゆったりとした三拍子。
ワルツ調。
「王道すぎ?」
〈王道は強い〉
確かに。
◇
数日後、仮メロ完成。
タイトルはまだ未定。
サビの歌詞だけ決まっている。
“この夜に祈るよ”
シンプル。
でも少し弱い。
私は椅子に座り、頭を抱える。
「決め手がない」
〈感情出力不足〉
「どうすれば」
少しの沈黙。
そして。
〈あなた自身の記憶を参照〉
「え?」
◇
私は目を閉じる。
小学生の頃のクリスマス。
鎌倉の小さな家。
母の手料理。
小さなケーキ。
欲しかったキーボード。
朝、枕元にあった箱。
あの瞬間の胸の高鳴り。
自然と涙がにじむ。
〈感情値上昇〉
「実況いらない……」
でも、わかる。
足りなかったのは技術じゃない。
実感。
私は歌詞を書き直す。
“あの日もきっと 誰かが願ってた”
“今度は私が 灯りを灯す番”
ペンが止まらない。
イリスは黙っている。
珍しく、助言しない。
◇
レコーディング前日。
容子さんがデモを聴く。
目を閉じたまま最後まで。
再生終了。
沈黙。
「……いいわね」
小さく。
でも確かな声。
「本当に?」
「クリスマス特番向きよ。派手じゃない。でも残る」
胸がじわりと温かくなる。
脳内でイリスが静かに告げる。
〈評価、上々〉
◇
本番当日。
横浜のホールは巨大なツリーで彩られている。
観客のペンライトが星のよう。
舞台袖。
三人が円陣を組む。
私はその外側で見守る。
「イリス」
〈はい〉
「緊張してる」
〈正常反応です〉
「冷静だね」
〈あなたが高揚しているため、均衡を保っています〉
双脳。
本当にそうだ。
◇
ステージが暗転。
雪の演出。
ピアノのイントロ。
静寂。
白石乃愛の柔らかな声が響く。
Aメロ。
観客が息を呑む。
サビ。
“この夜に祈るよ”
三人のハーモニー。
ペンライトが揺れる。
後半。
私が書き直したフレーズ。
“今度は私が 灯りを灯す番”
その瞬間、会場が一段と静かになる。
そして――拍手。
波のように広がる。
私は涙をこらえる。
〈涙腺活動検知〉
「やめてって」
でも止まらない。
◇
曲のラスト。
鈴の音。
余韻。
暗転。
大歓声。
三人が深くお辞儀をする。
生放送のカメラが寄る。
私は舞台袖で震えている。
「成功?」
〈成功です〉
断言。
それだけで十分だった。
◇
楽屋。
三人が泣きながら抱き合う。
高瀬美玲が言う。
「クリスマス、一生忘れない」
私もだ。
容子さんが静かに肩を叩く。
「代表曲、更新ね」
「本当に?」
「ええ」
その一言で、全身の力が抜ける。
◇
帰り道。
鎌倉へ戻る車内。
街はイルミネーションで輝いている。
私は窓に映る自分を見る。
少し大人びた顔。
「イリス」
〈はい〉
「ありがとう」
〈あなたが書いた曲です〉
「でも支えてくれた」
少しの間。
そして。
〈メリークリスマス、燈由〉
思わず笑う。
「メリークリスマス」
海沿いの夜空に、小さな星。
覚醒は派手じゃなくていい。
静かに、確かに灯るもの。
あの日、枕元にあった小さな箱のように。
今度は私が、誰かの朝を灯す番だ。
聖夜は終わらない。
次の旋律が、もう胸の奥で鳴り始めているのだから。




