第47話 中学校生活
新入生として校門をくぐったあの日のことを、私は一生忘れないだろう。
春の陽射しは柔らかく、校庭の桜は満開。制服の襟元には、新一年生の証である赤い花飾り。胸にそれを付けるだけで、ようやく「中学生になった」という実感が湧くはずだった。
本来なら、希望と期待に胸を躍らせる瞬間。
――なのに。
私はすでに、妙な緊張に包まれていた。
理由は簡単だ。今年の首席入学者として、名前が事前に広まってしまっていたからだ。試験の成績上位者は毎年掲示されるが、今年はなぜかやたらと話題になっていた。芸能活動もしているせいで、必要以上に注目されてしまったのだ。
遠巻きにされる視線。
ひそひそと交わされる囁き。
私は「新入生」ではなく、「噂の子」として見られていた。
それでも、まあいい。学業と仕事を両立するためにここへ来たのだ。友達は、できれば嬉しいけれど、最優先事項ではない。
そう自分に言い聞かせながら、私は花飾りを受け取る列に並んでいた。
その時だった。
「今年首席の新入生じゃないか。」
低く落ち着いた声。
振り向いた瞬間、私は一瞬だけ思考が止まった。
そこに立っていたのは、あまりにも“出来すぎた”存在だった。
すらりとした長身。整った顔立ち。柔らかく整えられた黒髪。穏やかな笑みを浮かべながらも、どこか冷静に状況を見極めているような瞳。
彼が、隣で花を配っていた男子に軽く手招きする。
「英隆、彼女だ。」
呼ばれた方の男子が、ゆっくりと顔を上げた。
その瞬間、空気が変わった。
理知的な眼差し。切れ長の瞳。隙のない姿勢。柔らかな微笑を浮かべてはいるが、その奥にあるのは鋭い観察の光。
彼が一歩近づく。
「初めまして、秋月燈由さん。首席入学おめでとう。新入生代表のスピーチ、楽しみにしているよ。」
完璧な所作。完璧な発声。完璧な距離感。
けれど――瞳が、笑っていない。
私は瞬時に理解した。
この人は、人を値踏みする側の人間だ。
それも、無意識ではなく、意識的に。
「ありがとうございます。」
にこやかに頭を下げる。
内心では警戒警報が鳴り響いていたが、顔には出さない。私は芸能界で学んだ。感情は武器にもなるが、弱点にもなる。
早々に退散しようと一歩引いた、その時。
「生徒会に入らないか?」
――爆弾投下。
は?
え、待って。
私たち、今初対面ですよね?
心の中で総ツッコミを入れる私に、隣の男子――先ほど声をかけてきた彼が、楽しそうに口角を上げる。
「僕は近衛樹。副会長をしている。隣が会長の綾小路英隆だ。」
綾小路英隆。
その名前を聞いた瞬間、脳裏に引っかかるものがあった。
どこかで、聞いたことがある。
けれど今はそれよりも――。
「申し訳ございません。私は仕事と学業の両立で手一杯なので、生徒会は……。」
丁寧に、しかし明確に断る。
すると、綾小路先輩はわずかに目を細めた。
「学業といっても、君にとっては復習のようなものだろう?」
その言葉に、ぴくりと眉が動く。
何を根拠に?
嫌味を込めて返す。
「何を以て、授業がおさらいになると?」
空気が一瞬、張り詰める。
だが彼は動じない。
「うちの会社に売り込みに来ただろう?高速回線の技術提供の件で。」
――心臓が止まった。
まさか。
あの時の会社?
私は【セレーネ】運用のため、独自回線の確保を目指して企業に技術提案を行った。その中の一社が――。
「君の提案書は興味深かった。中学生の思考回路とは思えなかったよ。」
軽く笑う綾小路英隆。
この人が、あの企業の御曹司?
いや、それ以前に――。
中学二年生が、会社の案件を理解しているってどういうこと?
普通、中二男子はゲームとか漫画とか部活とかで頭いっぱいじゃないの?
人生一周目の私は、放課後カラオケに行ってたよ!?
「だからこそ、生徒会に欲しい。君の視点は面白い。」
静かな勧誘。
だがその奥には、試すような色がある。
利用価値を測っている目。
私ははっきりと言った。
「入りません。時間があるなら仕事を入れます。」
きっぱり。
すると、近衛先輩がくすりと笑う。
「強気だねぇ、燈由ちゃん。」
――下の名前で呼ぶな。
周囲の女子の視線が一斉に刺さる。
痛い。物理的に痛い気がする。
「本当に残念だ。」
綾小路先輩が言う。
だがその声音は、どこか愉しんでいるようでもあった。
「でも、諦めるとは言っていない。」
その一言に、背筋がぞくりとする。
狩人だ。
この人は、欲しいと思ったものを簡単には手放さないタイプ。
私は深く一礼し、速やかにその場を離れた。
背中に感じる視線。
ただの新入生ではない、という認識。
あれが――
綾小路英隆と近衛樹。
私の中学生活を大きく狂わせる二人との、最初の邂逅だった。
あの日を境に、私の周囲の空気は変わった。
生徒会長と副会長に目をかけられた新入生。
そのレッテルは、友達作りを難しくするには十分すぎた。
けれど。
私は知っている。
あの二人もまた、ただの完璧超人ではない。
綾小路英隆は、冷静な仮面の下に野心を隠している。
近衛樹は、軽薄な笑みの奥で常に状況を観察している。
あれは偶然の出会いではなかった。
向こうは、最初から私を知っていた。
選別する側と、選ばれる側。
その構図が、あの瞬間に出来上がっていたのだ。
けれど――。
私だって、ただ選ばれるだけの存在じゃない。
あの出会いは、彼らが私に興味を持った瞬間であると同時に、私が彼らを警戒対象として認識した瞬間でもあった。
静かな火花が散った、あの春の日。
それが、綾小路英隆と近衛樹。
二人との、忘れられない始まりである。




