第39話 YASUKE
ハリウッド映画『YASUKE』のロケ地は、京都郊外に作られた巨大オープンセットだった。
山を背に、安土城を模した天守。
石垣は発泡スチロールだが、質感は本物同然。
海外スタッフが思わず写真を撮るほどの完成度。
監督の
ジョン・ジョーンズ
は、モニター越しに腕を組んでいる。
「Authentic(本物であれ)」
それが口癖だった。
◆
私は帰蝶の衣装を纏い、畳の上に正座していた。
重い打掛。
きつく結ばれた帯。
かつらの重みで首が軋む。
《燈由、呼吸浅い》
脳内にイリスの声。
《心拍数上昇。緊張値+18%》
《姿勢補正。背筋3ミリ後方へ》
「3ミリって分かるわけないでしょ」
《分かります》
分かるのか。
◆
問題のシーン。
弥助を武士に取り立てる信長に、家臣が猛反発する場面。
カメラはレール上を滑り、ワンカット長回し。
失敗は許されない。
「Action!」
障子が乱暴に開く。
「殿!南蛮人を召し抱え、武士の位を与えるなどなりませぬ!!」
怒号が響く。
私は一歩、前へ出る。
畳の軋み。
袖が揺れる。
「……黙りなさいな」
静かに言う。
だが、芯は折らない。
「殿の意思に背くとは、その命要らぬと申すか?」
室内が凍る。
共演者の弥助役俳優――190センチを超える大柄な俳優が、ほんの一瞬、目を見開いた。
喰われた、と思ったのだろう。
イリスが冷静に解析。
《相手俳優の視線揺れ。あなたの主導権確保成功》
信長役が低く笑う。
「弥助は、わしの物だ」
怒気を孕んだ台詞。
私は懐に忍ばせた短刀に指をかける。
抜かない。
抜かないが、“抜ける”構え。
監督が小さく呟く。
「Yes… yes…」
信長が言い放つ。
「古き習わしなど壊してしまえ!」
そこで私は、ゆっくりと家臣を見渡す。
「これより弥助の後見は、妾が務めます」
視線を真っ直ぐに。
「文句があるなら、妾に言うが良い」
静寂。
鳥の声。
遠くで風が鳴る。
「Cut!!」
数秒の沈黙の後、拍手が起こった。
海外スタッフが口々に言う。
「She’s eleven?(本当に11歳?)」
ジョン監督が立ち上がる。
「That’s Kichō. Perfect.」
◆
だが、完璧に見える現場も裏では戦場だった。
殺陣のリハーサル。
ワイヤーアクション。
長時間撮影。
体力は削られる。
《燈由、糖分不足》
イリスが警告。
《ブドウ糖摂取を推奨》
「太る」
《現在消費カロリーは摂取量を上回っています》
……頼れるのか鬼なのか分からない。
◆
昼休憩。
弥助役の俳優が隣に座る。
「君の目は強いね」
「目ですか?」
「怒っていないのに、刃物みたいだ」
それは多分――
スペインで“運命”を弾いた時の目だ。
◆
夜、ホテル。
私はノートを開く。
受験問題。
イリスが出題する。
《問:戦国時代の楽市楽座政策の目的を述べよ》
「映画とリンクさせてくるのやめて」
《記憶定着率が上がります》
確かに覚えやすいけど。
◆
数週間後、アメリカで先行公開。
映画『YASUKE』は配信と同時にランキング上位へ。
特に話題になったのは――
帰蝶。
《Who is the girl playing Kichō?》
《She steals every scene》
《Her eyes are terrifyingly beautiful》
SNSが騒ぐ。
だが私は日本で受験直前。
スマホは没収状態。
胃が痛い。
「日本でコケたらどうしよう」
イリスが淡々と答える。
《日本市場予測:初週興収12~18億円》
《評価は賛否両論。ただしあなたの演技評価は高水準維持》
「賛否両論は嫌だなぁ」
《芸術に満場一致は存在しません》
冷静すぎる。
◆
そこへ容子さんが飛び込んでくる。
「主題歌、CD化決定よ!」
私は固まる。
「歌うの、私?」
「あなたよ♡」
主題歌は、戦国の孤独と誇りを描いたバラード。
作詞作曲は――私。
撮影の合間に書いた旋律。
「私は歌手じゃない」
「でも英語で完璧に歌えるのはあなたしかいないの」
ビルボード上位。
アメリカ先行配信。
私は天井を仰ぐ。
50億以上稼いでいるのに、まだ働くのか。
「……ギャラ次第」
「分捕ってくるわ♡」
即答。
◆
レコーディング。
マイクの前に立つ。
帰蝶の心で歌う。
弥助を守る強さと、戦乱の中の孤独。
英語版と日本語版。
二つの声色。
イリスが補助する。
《発声位置修正。共鳴を前へ》
《英語子音を強めて》
まるで見えないボイストレーナー。
◆
年明け、日本公開。
受験真っただ中。
私は会見にも出られない。
胃がキリキリする。
ニュース速報。
『YASUKE 初週興収14億円』
……微妙?
いや、悪くはない。
レビューサイトを見る勇気が出ない。
イリスが先に分析。
《批評傾向:歴史解釈に賛否。映像美と帰蝶の演技は高評価》
「帰蝶はセーフ?」
《高評価です》
その瞬間、少しだけ肩の力が抜けた。
◆
映画は賛否を巻き起こしながらもロングラン。
主題歌もヒット。
だが私は塾の机に向かっている。
戦国の姫から受験生へ。
ギャップが凄い。
「イリス」
《はい》
「私、ちゃんと両立できてる?」
数秒の沈黙。
《あなたは、やり過ぎています》
「え?」
《しかし、誇らしいとも思います》
私は笑った。
ハリウッドの戦場も。
受験の戦場も。
どちらも、私の戦国。
帰蝶が弥助の後見人を名乗ったように。
私は、自分の未来の後見人になる。
映画『YASUKE』のロケ現場は、確かに夢の場所だった。
でも本当の戦いは――
まだ続いている。




