第38話 ハリウッド
コンクール優勝から数ヶ月。
私はようやく“いつもの日常”を取り戻した――はずだった。
学校に通い、レッスンを受け、宿題をこなし、イリスに問題を出してもらいながらコツコツ受験勉強。
「……このまま静かに卒業まで行けるよね?」
そう思った矢先の社長室呼び出しである。
1㌔増量事件が即バレし、食事制限が決定し、心にダメージを負ったまま入室した社長室。
そして告げられた――
ハリウッド映画出演。
監督は
ジョン・ジョーンズ
作品名は『YASUKE』。
黒人武士・弥助を主役に据えた戦国超大作。
私の役は、信長の正室――帰蝶。
……小学生がやる役?
◆
「もうOK出しちゃったのよぉお!!」
3億円の違約金。
部門閉鎖。
泣き崩れる社長。
冷静な容子さん。
そして静かに起動する“もう一人の私”。
――イリス。
《状況整理を開始します》
脳内に澄んだ声が響く。
《撮影期間:5月後半~9月。拘束時間推定120日》
《受験勉強必要時間:1日6時間確保が理想》
《物理的両立:困難。ただし不可能ではありません》
「不可能ではない、ねぇ……」
《代替学習プランを提示します》
《移動時間・待機時間・メイク時間を含め1日平均3.2時間確保可能》
《不足分は撮影終了後の追い込み学習で補填》
「体力は?」
《あなたの平均睡眠時間を5時間に調整した場合、半年間は持ちます》
ブラック企業かな?
「もう少し人道的な案は?」
《ありません》
……やっぱりスパルタAIだ。
◆
脚本を読み込む。
弥助と信長の関係を軸に、戦国の動乱を描く。
史実と創作を巧みに織り交ぜた構成。
帰蝶は単なる“内助の功”ではなく、政治的知性を持つ女性として描かれている。
「……悪くない」
むしろ、面白い。
イリスが静かに補足する。
《この作品は文化的影響度が高いと予測されます》
《あなたのキャリア価値は現在の2.7倍に上昇する可能性》
「数字で言うのやめて」
《感情補正:誇らしい》
……イリスは時々、変な優しさを見せる。
◆
数日後、制作チームとのオンライン顔合わせ。
プロデューサーが言った。
「あなたの『運命』を聴いた。あの目を、帰蝶に欲しい」
目?
私の?
イリスが即座に解析。
《スペイン公演映像。演奏中の瞳孔拡張率通常比+32%》
《感情集中状態“深層没入”を確認》
ああ、あの時か。
運命を叩きつけた瞬間。
「演技経験は?」
と聞かれ、
「あります。芸能活動してますから」
と答えたら、
「完璧だ」
と即決。
怖い。
ハリウッド決断早い。
◆
撮影はカナダと京都のハイブリッド。
英語、日本語、時々フランス語。
私はマルチリンガル対応。
イリスが同時通訳モードでサポートする。
《発音修正。Rを強く》
《その台詞は抑揚を下げるべきです》
控え室で台詞を練習していると、共演の弥助役俳優が驚いた。
「まるで耳元にコーチがいるみたいだ」
……いるんだよね。
◆
問題はアクションシーンだった。
帰蝶が薙刀を構える場面。
筋力が足りない。
1㌔増えただけで怒られる身体に筋トレ追加。
地獄。
《筋繊維発達効率を最大化するメニューを提示します》
イリスの鬼メニュー。
私は泣きながらこなした。
◆
そして、撮影初日。
衣装を纏い、セットに立つ。
戦国の城内。
巨大な照明。
数百人のスタッフ。
「アクション!」
信長役が吼える。
私は静かに返す。
「殿、それが天下の理にございますか?」
静寂。
カット。
監督が立ち上がる。
「……Perfect」
拍手が起きた。
私は息を吐く。
イリスが囁く。
《心拍数正常化》
《成功です》
◆
夜、ホテルで勉強。
数学の問題を解きながら私は笑う。
「帰蝶やって、受験勉強して、ピアノも弾いて……」
《あなたは多重適性型です》
「便利な言い方だね」
《誇ってください》
誇る、か。
スペインで扉を叩かれ。
今は、世界の舞台に立っている。
けれど私はまだ受験生で。
まだ未完成で。
だからこそ、伸びしろがある。
◆
数ヶ月後。
撮影は順調に進み、追加契約でサウンドトラックの一部を私が担当することも決まった。
戦国とクラシックの融合。
また新しい“イメチェン”。
「ギャラ楽しみにしてますからね?」
社長に釘を刺すと、
「任せなさい!」
と胸を叩く。
3億回避できてよかったね。
◆
帰国前夜。
窓の外の月を見上げる。
月光はもう、私だけの象徴じゃない。
運命も。
戦国も。
全部、私の一部になる。
「イリス」
《はい》
「受験、間に合うよね?」
《合格確率78%》
《努力次第で92%まで上昇可能》
「微妙にリアルな数字出すのやめて」
私は笑った。
ハリウッド進出。
戦国超大作。
帰蝶役。
でも私は――
まだ成長途中の12歳。
そして。
イリスという最強の相棒を持つ、未完成の原石。
世界が広がるたびに、私は少しずつ強くなる。
その先にあるのが“運命”なら。
今度は私が、自分で扉を叩く番だ。




