鳴き声が封を喰らう
ごぉん、と地の底を叩くような低音が地面を震わせる。まるで世界そのものが息を飲んだかのように、ぴたりと風が止む。続けて紋の線に沿って罅割れが生じ、光の柱は白へとその色を変えて空に向かって噴き上がる。
「御前!封印が…!」
仁梧が叫ぶと同時にタブレットの向こうで地面の紋がばきりと音を立てて割れ、ぷつんと映像が途絶える。
「影前!」
「はい!」
和梧の声に応えるように霊気を練り上げるが、禍達は構わず光の柱の方へ浮かれた様子で引き寄せられていく。その姿はまさに百鬼夜行そのものだ。
「房宿!」
鈴の音が鳴り響き、銀色の霊光が禍の群れを押し返す。更に力を込めようとした仁梧は、唐突に胸を押さえて膝を折った。
「影前⁉」
和梧の声が聞こえた気がしたが、仁梧の耳には何も届かない。
胸の奥で暴れ狂う、得体の知れない何か。星の気配…いや、違う。
(星じゃない…)
もっと深く、黒く、冷たい"何か"。
───に……こ…
「っ…やめて……来ないで…」
〈仁梧?〉
肩の上からほしみの声が降る。それはいつもの甘えるようなものではない。ほしみを見た仁梧は、ぞっとした。
微かに震える身体。金色の目は小刻みに狭まり、やがて縦に裂ける。
〈…イ、タイ…イタイヨ…ニ、コ…〉
「ほ、しみ…?」
周囲の霊気を吸いながら、その小さな体には明らかに異常な歪みが現れ始める。
仁梧は思わずほしみを抱き締めた。
「ほしみ…!大丈夫?」
〈コワイ…コワイ、ンダ…デモ…デモ………〉
キモチイイ。
聞いた事のない声に仁梧の呼吸が止まった。ほしみの瞳孔が開き、次いで二本の尾がひゅるりと四本に裂ける。
その瞬間、光の中で何かが動いた。黒にも白にも見える影。禍でも神でもない。星の輝きのようでいてどこまでも底なしに深い闇にも見える。それは"存在"と形容するにはあまりにも不確かで、けれど人知を超えた圧がそこから絶え間なく放たれていた。
現場の観測をしていた祓術局の構成員が悲鳴のような声を上げる。
「封印の中で何かが動いています!意識の塊…いえ、これは…まさか…!」
「大いなる災厄そのものか⁉」
誰かの一言に場が騒然とする。
和梧は印を結びながら膝をついたままの仁梧に向かって声を張り上げる。
「影前!そこを退きなさい!封印が完全に壊れる前に、私が…!」
「…あれが、呼んでる…」
「仁梧!」
聞こえない。聞こえているのに、届かない。
仁梧は光の柱を見つめたまま、震える声で言った。
「ほしみ…あれ……あなたを呼んでるの…?」
「素晴らしい!」
「「「!」」」
突然、空から高らかな声が響いた。一同が上を見ると、大きな鳥に似た禍に数人の人間が乗っていた。
「何だ、あいつら…」
「!あれを見て!」
和梧が鳥の禍の首元を指差す。そこに描かれている紋は、切原の一件でも確認されていた禍環会のものだった。
「って事はあいつらが…」
「黒幕というわけか」
透に続いて椋礼も目を細めて呟く。
まるで災厄のように地面に降り立つ禍環会の男女数人。そのいずれからも高い霊力を感じる。数では圧倒的にこちらが有利な筈だが、和梧は何故か嫌な予感を拭えないでいた。
そしてその予感は的中する。
「うわあああああ!」
「!」
突如上がった悲鳴に、ぱっと振り返る。その時だった。
「!和梧!」
ばしゅっという音が耳元を掠める。どさっと地面に倒れ込んだ和梧は、自分に覆い被さるように倒れている仁梧に呼びかけた。
「仁梧⁉」
「う…」
じわ、と仁梧の右肩から赤い染みが滲むのを見て攻撃を受けたのだと理解する。すぐに起き上がり、傷の具合を確かめる。幸いそう深くはないようだが、一体どこから襲われたのかと周りを見ると味方である筈の典祓庁の者達が同士討ちをしていた。いや、典祓庁だけではない。
「何で…」
同士討ちをしている者の中には、祓戸家の人間の姿もあった。敵側と思われるのは一族の中でもごく少数の典祓庁に籍を置く者達だが、だとしてもこの状況は理解できない。
違う。和梧は思った。
理解できないのではない。したくないのだ。だって、これは…
「禍環会の根がここまで深く食い込んでいたとはな」
「っ、父上」
直視したくない現実をいとも簡単に口にする父は、淡々と式神を使って交戦している。
「流石は祓戸家当代当主、祓戸椋礼。氷のような冷静さは噂以上のようだ」
「っ、あなたは…!」
後ろから現れたのは、査問会で和梧を追い詰めようとしていた討伐局の幹部だった。その隣には、紫色の肩章をつけた男もいる。和梧は咄嗟に、彼が透に仁梧を抱き込めと指示を出していた上官だと見抜く。
「おいおい、随分笑えねぇ展開じゃねぇか。これ以上の裏切りは勘弁願いたいって言った筈なんですけどね」
「ふっ、心配するなと言った覚えもないよ」
冷や汗を掻く透に諜報局の幹部は冷たい笑みを返す。
その時、きぃんと耳鳴りのような音が戦場に響き渡り、敵も味方も攻撃の手を止めた。
「さてさて、役者は揃った」
鳥の禍を操っていた男が芝居がかった声で話し始める。
「何十年という時間をかけて進めてきた"廿五計画"。大いなる災厄の封印を解き、この世を再び混沌の中に引きずり込む事でかの双御祖が手にした力、"二十五番目の存在"を呼び起こす条件は整えられる。封印を完全に解くにはまだ足りないと思っていたが、まさかこの場に災厄そのものが現れてくれるとは。神は我らに味方したという事だ!我らの勝利だ!」
「何言ってるの、あいつ…」
「災厄そのものが現れたって、封印の一部を壊したのはそっちだろ?」
「私達が破壊したのは言わば封印の手足なのだよ、界野典監」
諜報局の幹部の言葉に和梧も透も意味がわからないと眉を顰める。それに対し、討伐局の男が続けて言う。
「双御祖が大いなる災厄を封印して千年以上。その効力は、時の経過と共に徐々に弱まりつつあった。私達はその隙を突ければと機会を窺っていた。そして今から二十年近く前、封印の核は突如としてどこかへと姿を消したのだ」
「封印の核が?どうして…」
「最初は私達もそう思い焦ったよ。だがすぐにその答えは導かれた。数ヶ月後に異能者の間に轟いたある双子の誕生の報せによってね」
「は…?」
「双御祖と同じ力を持って生まれた双子。その姿を見るまでもなく確信したよ。封印の核は、君達の元にあるのだと。そして今、その確信は更なる確信を呼んだ」
そう語る討伐局の男の視線の先を和梧だけでなくその場にいた全員が辿る。
「…え?」
右肩を押さえながら話を聞いていた仁梧は、自らに視線が集中した事に戸惑いの声を漏らす。
「影前…いや、祓戸仁梧。君はずっと災厄の存在に気づかず生きてきたんだよ。君だけではない。皮肉にも君という存在をただの露払いとしてしか扱わず、君自身に興味を向けなかった祓戸家の人間全員が、絶対の使命と謳っていた滅するべき災厄を内包していたんだ。全く、滑稽な話じゃないか」
「っ、待ちなさいよ!仁梧が災厄だとでも言いたいの⁉」
一番に我に返った和梧が、きっと討伐局の男を睨みつける。しかし、その視線すら可笑しいとでも言いたげに男は口端を吊り上げた。
「彼女自身の話ではない。かつて十二の星に選ばれず、外れ星とされた十三番目の星"隠星"。災厄として封印されたそれが巡り巡って彼女の側に辿り着き、そして力を蓄え続けたのだ。来る覚醒の時を夢見てね」
「それ、って…」
心臓の鼓動が早鐘のように鳴る。信じたくない思いで視線を落とす仁梧の腕の中で、にゃあおという不気味な鳴き声が木霊した。




